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How I Built This with Guy Raz · 2026年5月18日

NVIDIA:ジェンセン・フアン。崩壊寸前から世界最大の企業へ

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この記事でわかること
  • NVIDIA:ジェンセン・ファン——破綻寸前から世界最大の企業へ NVIDIAの共同創業者兼CEO、ジェンセン・ファンは、ゲーマー向けグラフィックスチップのメーカーからA...
  • [0:00] 序章:NVIDIAという驚異 NVIDIAは現在、人類史上最も価値のある企業の一つである。もしNVIDIAを一国と見なせば、米国と中国に次ぐ世界第5位の経済...
  • [07:34] ケンタッキーの寄宿学校からシリコンバレーへ ジェンセン・ファンは1960年代初頭に台湾で生まれ、幼少期の一部をタイで過ごした。タイの政情不安を懸念した両親...
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How I Built This with Guy Raz / Guy Raz | Wondery

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NVIDIA:ジェンセン・ファン——破綻寸前から世界最大の企業へ

NVIDIAの共同創業者兼CEO、ジェンセン・ファンは、ゲーマー向けグラフィックスチップのメーカーからAI革命の中心企業へと自社を変貌させた。しかしその道のりは、30日で倒産する危機、10年にわたる不採算技術への投資、そして株主からの屈辱的なプレッシャーに満ちていた。Guy RazがNVIDIA本社で行ったこの深く個人的な対談では、ファンが自らの経営哲学、AIに対する楽観論、そして「昨日を忘れる」ことの重要性について語っている。

0:00序章:NVIDIAという驚異

NVIDIAは現在、人類史上最も価値のある企業の一つである。もしNVIDIAを一国と見なせば、米国と中国に次ぐ世界第5位の経済規模に相当する。その価値は日本や英国、フランスのGDP全体を上回る。同社のチップは、エンターテインメントから軍事に至るまで、あらゆる分野を変革するAIシステムを動かしている。しかし、この成功は一夜にして訪れたものではない。ファンは約10年にわたり、CUDAと呼ばれる技術に数十億ドルを注ぎ込み、AIがそれを収益化するずっと前から投資を続けていた。

07:34ケンタッキーの寄宿学校からシリコンバレーへ

ジェンセン・ファンは1960年代初頭に台湾で生まれ、幼少期の一部をタイで過ごした。タイの政情不安を懸念した両親は、彼が9歳の時に兄と共にアメリカの寄宿学校へ送り出す。行き先はケンタッキー州クレイ郡にあるOneida Baptist Institute。信号機すらない小さな町の、丘の上にある学校だった。「最も重要な特徴は、それが寄宿学校だったこと。そして信じられないほど安かった。両親にあまりお金がなかったからだ」とファンは振り返る。彼はそこでトイレ掃除の仕事を任され、同年代の生徒がおらず、最年少の9歳で16歳のルームメイトと暮らした。長距離電話は高すぎたため、両親とはテープに録音したメッセージを送り合うだけで、約2年間直接声を聞くことはなかった。

その後、家族はオレゴン州に移り住み、ファンはオレゴン州立大学で電気工学を学ぶ。当時はまだコンピュータサイエンスのプログラムすらなかった。大学では後に妻となるLoriと出会う。250人の大教室に女子学生は3人だけだったが、ファンは同じ実験グループに入る方法を見つけ出した。卒業後、彼はAMDに就職し、その後LSI Logicに移る。LSI Logicは、他社のためにチップを設計・製造する革新的なビジネスモデルを持ち、ファンは22歳という若さで重要な責任を任された。彼はSun MicrosystemsやSilicon Graphicsといった当時の名だたる企業と仕事をし、「良い技術・悪い戦略、平凡な技術・優れた戦略」の両方を目の当たりにした。

15:02NVIDIAの創業とNV1の大失敗

1992〜93年頃、Sun MicrosystemsにいたChris MalachowskiとCurtis Priemが、ゲーム用の3Dグラフィックスチップを作るアイデアを抱き、ファンに声をかけた。ファンは安定したキャリアを捨てる決断をする。当時、既に子供がおり、貯金はわずか3万ドルだったが、「NVIDIAは私の頭の中で完全に明確に具現化していた。うまくいかないという考えは一度も頭をよぎらなかった」と語る。

しかし、最初の製品NV1は大失敗に終わった。25万台を販売したが、ほとんどが返品された。問題は技術的なアプローチにあった。彼らは「フォワード・テクスチャ・マッピング」という独自方式を採用したが、業界の標準は「インバース・テクスチャ・マッピング」だった。さらに、MicrosoftがWindows 95向けに発表したDirectX APIは業界標準方式を採用しており、NV1は互換性がなかった。2年半の努力が無駄になっただけでなく、次世代チップNV2とNV3の設計もすべてNV1のアーキテクチャに基づいていた。

19:51セガとの契約と倒産の危機

NVIDIAはセガと1200万ドルの契約を結び、次世代ゲーム機向けにNV2とNV3を供給する約束をしていた。しかし、アーキテクチャが根本的に間違っていることが明らかになった時、ファンは究極の決断を迫られる。契約を続ければ間違った道をさらに2年進むことになり、競合に追いつけなくなる。契約を破棄すれば会社は倒産する。

ファンは日本に飛び、セガのCEOである入交昭一郎に直接会い、「セガには別のパートナーを探すことをお勧めします」と告げた。その上で、残りの契約金500万ドルをNVIDIAへの投資に振り替えてほしいと依頼した。入交は「あなたの会社には30の競合がいる。倒産する可能性が高い」と指摘したが、ファンは「ビジネスプランはわかりませんが、CEOとしての最初の仕事は会社を倒産させないことです」と返した。入交は取締役会と協議し、500万ドルを投資に転換することを承認した。

ファンはこの資金で会社を立て直そうとしたが、人員が過剰だったため、従業員の3分の2を解雇せざるを得なかった。「33年前の話ですが、今でも思い出すのは辛い経験です」とファンは語る。

23:11エミュレーターという最後の賭け

人員削減後も、新チップNV3(Riva 128)の開発には資金が足りなかった。通常、チップ設計から量産までは1年半から2年かかるが、NVIDIAに残された時間は約6ヶ月。試作品を作ってテストする余裕はなかった。

そこでファンは、IKOSという会社が開発したエミュレーターに目をつけた。これは、実際のチップの代わりにソフトウェアを実行して動作を検証できる巨大な機械だった。しかしIKOSは倒産寸前で、最後の1台が債権者の手に渡っていた。ファンは会社の残り資金の半分を投じて、誰も買いたがらなかったこの機械を購入した。「それが私たちに残された唯一のアイデアだった」とファンは振り返る。反対意見はなかったという。「聞く前に決めていたからかもしれない」と彼は笑う。

この賭けは成功した。Riva 128は動作し、会社は生き残った。「当時、会社は倒産まで30日だった」というファンの言葉は、後にNVIDIA内で伝説的なマントラとなった。

30:53クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」とCUDAへの道

1990年代後半、NVIDIAはゲーム業界に完全に集中していた。ファンはハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授の著書『イノベーターのジレンマ』に大きな影響を受けた。クリステンセンは、ホンダが子供向けの原付スクーターから自動車市場に参入した例を挙げ、一見「おもちゃ」のように見える技術がやがて大市場を破壊することを示した。「NVIDIAの歩みのすべてのステップで、私たちは常に破壊者だった」とファンは言う。

2006年、NVIDIAはCUDA(Compute Unified Device Architecture)を発表した。これはGPUを汎用の並列計算機として使えるようにするプラットフォームである。CPUを一人の天才シェフに例えるなら、GPUは何千人ものライン・クックを擁する厨房のようなものだ。CUDAは、それらのライン・クックに新しい調理法を教えるマニュアルの役割を果たす。

しかし問題は、CUDAの主なユーザーが大学の研究者だけで、商業的な需要がほとんどなかったことだ。NVIDIAの主要顧客はゲーマーであり、彼らはCUDAの機能を必要としていなかった。それでもファンは、GeForce(ゲーム用GPU)にCUDAを「背負わせて」世界中のすべてのPCに届ける戦略を取った。これにより粗利益率は悪化したが、インストールベースを拡大することが優先された。「誰もCUDAにお金を払ってくれなかった。だから私たちは無料で提供した」とファンは語る。この投資が実を結ぶまでに約8年、株価は低迷し、投資家からの圧力は強まる一方だった。

41:38AI革命の幕開け

2010年代初頭、トロントの研究者グループが2枚のNVIDIA製ゲーミングGPUを購入し、寝室のコンピュータに接続してニューラルネットワークを訓練した。その結果、画像認識の精度が従来のコンピュータをはるかに上回った。これがAIブームの始まりだった。

複数の研究グループが同時にNVIDIAに連絡を寄越し、CUDAを使ったディープラーニングの加速について支援を求めてきた。ImageNetと呼ばれるコンピュータビジョンのコンテストに向けて、彼らは数千台のCPUの代わりに数台のGPUでモデルを訓練しようとしていた。その性能の飛躍的な向上に気づいたファンは、2013年のある週末に全社宛てのメールを送り、「私たちはAI企業になる」と宣言した。

ファンはこの決断を「第一原理」に基づく思考の結果だと説明する。「なぜこの技術が効果的なのか、その基盤は何か、どこまで進化できるのか。私は点と点を結びつけ、システム思考するのが得意だ」。彼はメールを送る前に、すでに数十のグループと個別に議論を重ね、全員を同じ方向に導いていたという。

48:38AIの恐怖と機会——ジェンセンの反論

ChatGPTやClaudeが登場し、AIが仕事を奪うという懸念が広がる中、ファンは明確に異を唱える。彼は、AIが人類を絶滅させるリスクを警告する公開書簡(2023年5月、ビル・ゲイツやサム・アルトマンらが署名)に署名しなかった。

「まず、SFやハリウッド版の人工知能を脇に置こう。コンピュータはコンピュータであり、ソフトウェアであり、意識を持たない」とファンは断言する。彼の最大の懸念は、恐怖によってアメリカがAIの恩恵を享受できなくなることだ。「アメリカのAIに対する感情は、他のほとんどの国よりも低い。『仕事を奪う』『存在の脅威だ』というメッセージが原因だ。この会話は主に西側で起きている。中国ではそんな話は聞かない」

ファンは放射線科医の例を挙げる。10年前、AIが放射線画像を読影できるようになれば放射線科医は不要になると言われた。実際、AIは読影を劇的に改善したが、放射線科医の需要は増加した。なぜなら、検査が安く・速くなったことでより多くのスキャンが行われるようになり、病院の収益が増え、より多くの医師が必要になったからだ。「問題は、著名な専門家が『職業の終わり』を宣言したことで、若者が放射線科を志望しなくなり、結果的に放射線科医不足を招いたことだ。それこそが害なのだ」

ファンは、AIによって次の世代の機会が減るどころか増えると確信する。「今日の新卒のコンピュータサイエンス専攻の学生が持つツールは、私が卒業した時よりも10億倍も強力だ。それでも彼らはかつてないほど忙しい。AIは彼らの仕事を奪うのではなく、より大きなことを成し遂げる手助けをする」

56:50地政学リスクと経営スタイル

台湾での半導体生産の集中について、ファンは「サプライチェーンの回復力」の重要性を認めつつも、全面衝突の可能性には懐疑的だ。「私はホットコンフリクトについて、ほとんどの人より懸念していない。しかし、リーダーの行動次第でそれを引き起こす可能性はある。敵対者や競合を壁際に追い詰めて、選択肢をなくしてはいけない」

自身の厳しい経営スタイルについて問われると、ファンは「スタイルではなく、価値観と何を大切にしているかが重要だ」と答える。「同じことに対して常に厳しく、それが終われば終わりにする。社員は自分が安全であり、愛され、成功を願われていることを知っている。私は十分なものすべてを持っている。それでも誰よりも働いている。それは、私が持っているものをすべて社員にも与えたいからだ」

01:01:56「もう一度やれと言われたら?絶対にしない」

ファンは、もしすべてを知った上で30歳の自分に戻れるなら、NVIDIAを始めないと明言する。「多くの人は不誠実だと思う。NVIDIAの成功と貢献を知った上で『もう一度やりますか?』と聞かれれば、もちろんイエスだ。しかし質問は違う。あの痛みと苦しみ、屈辱と挫折のすべてを知った上で、あの30歳の若者に『これは思っているよりずっと長くかかる。成功するスピードは想像の何倍も遅い。あなたは史上最悪の財務報告を何度も説明することになる』と伝えたら、彼は始めるだろうか?答えは絶対にノーだ」

彼は「昨日を忘れる」ことの重要性を強調する。「アスリートは『前のポイントを忘れろ』と教えられる。それと同じだ。私は人生のすべての時間を、昨日を忘れることに費やしている」。その代償として、子供の空手のトーナメントをほとんど見逃したこと、家族との時間を犠牲にしたことを認める。しかし妻のLoriがすべてを支え、「一度も不平を言ったことはない」という。現在、彼の二人の子供(Spencer 35歳、Madison 34歳)は両方ともNVIDIAで働いている。

まとめ

このエピソードの核心は、信念を持ち続けることの代償と報酬にある。ファンは、10年にわたって市場から理解されない技術に投資し続け、屈辱的な株価と投資家の圧力に耐えた。彼の成功は、技術的な先見性だけでなく、「昨日を忘れる」という精神的なタフネスと、危機を楽しむ「バトルフィールドCEO」としての気質に支えられている。同時に、AIに対する彼の楽観論は、恐怖によって機会を逃すことへの警鐘として、現在の議論に重要な対抗軸を提供している。このインタビューは、世界最大の企業を築いた男の、生々しい苦闘と人間性を伝える貴重な記録である。

要点

  • NVIDIAの最初のチップNV1は技術的に失敗し、25万台が返品された。セガのCEO入交昭一郎が残りの契約金500万ドルを投資に転換したことが、会社の存続を可能にした。
  • ファンは2006年にCUDAを発表したが、商業的に成功するまでに約8年かかった。ゲーマー向けGPUにCUDAを「背負わせ」、無料で提供することでインストールベースを拡大した。
  • 2010年代初頭、トロントの研究者がNVIDIAのゲーミングGPUを使ってニューラルネットワークを訓練したことが、AI革命の契機となった。ファンは2013年に全社宛てに「私たちはAI企業になる」と宣言した。
  • ファンはAIによる雇用喪失の恐怖に強く反論する。放射線科医の例を挙げ、AIが仕事を奪うどころか需要を増やしたと指摘。恐怖によって若者が重要な職業を避けることこそが害だと主張する。
  • ファンは「もう一度NVIDIAを始めるか」という質問に「絶対にノー」と答えた。成功を知った上でも、その過程の苦痛と屈辱を繰り返すことはできないと語る。
  • 彼の経営哲学の核心は「昨日を忘れる」ことにある。過去の失敗や屈辱に囚われず、常に前を見ることで困難を乗り越えてきた。
  • 台湾の地政学リスクについては、全面衝突の可能性には懐疑的だが、サプライチェーンの多様化と「敵対者を壁際に追い詰めない」政策の重要性を強調した。
  • ファンは自身を「バトルフィールドCEO」と表現し、危機的状況こそが最も力を発揮すると語る。自己反省や過去を振り返ることには強い抵抗感を示し、「セラピーが必要かもしれない」と冗談めかして認めた。