
#259 Pete Thompson cracks the 300 FAI in Colorado’s Deepness
- ピート・トンプソン、コロラドの「深淵」で300kmFAIを突破——北米初の快挙 2023年8月、コロラド州のパイロット、ピート・トンプソンは、北米のパラグライダー史に残る...
- [0:00] 「300kmなんて無理だ」——その思い込みを打ち破るまで ピート・トンプソンがパラグライダーを始めたのは高校卒業後、21年前のことだ。ペンシルベニアで友人に...
- 5年前にタンデム業を辞めてから、ピートのフライトスタイルは劇的に変わった。アスペンでの早朝フライトが可能になり、「この州なら10〜11時間飛べる日がある」と気づいたのだ。...
自分では見つけにくい海外Podcastの話題に、日本語で気軽に触れたい人。
Cloudbase Mayhem Podcast / Gavin McClurg
ピート・トンプソン、コロラドの「深淵」で300kmFAIを突破——北米初の快挙
2023年8月、コロラド州のパイロット、ピート・トンプソンは、北米のパラグライダー史に残る夏を過ごした。わずか10日間のうちに、275km、292km、そして305kmという3つのFAIトライアングルを連続して達成。特に305kmは北米で初めて300kmの壁を破った記録となった。ホストのギャビン・マクラーグとピートは20年来の知己であり、このエピソードは、長年の夢を追い続けた男の情熱、孤独な戦い、そしてコロラドという地形ならではの挑戦を、深く掘り下げていく。会話のトーンはリラックスしながらも、互いの経験へのリスペクトに満ちており、技術的な詳細と精神的な葛藤がバランスよく語られる。
「300kmなんて無理だ」——その思い込みを打ち破るまで
ピート・トンプソンがパラグライダーを始めたのは高校卒業後、21年前のことだ。ペンシルベニアで友人に誘われ、その後モンタナ州ボーズマンの大学に進学。夏はワイオミング州ジャクソンホールで過ごし、当時は「100マイル(約160km)飛べば大記録」という時代だった。彼は16年前にコロラド州カーボンデールに移り、タンデムパイロットとして働き始める。タンデムの仕事は朝のフライトを制約したが、同時に地元のコンディションを熟知する機会でもあった。
5年前にタンデム業を辞めてから、ピートのフライトスタイルは劇的に変わった。アスペンでの早朝フライトが可能になり、「この州なら10〜11時間飛べる日がある」と気づいたのだ。そこから4シーズン、彼は大きなFAIトライアングルに挑み続ける。しかし、コロラドの難しさは「良いオープンディスタンスの日」を見つけることよりも、「ライトウィンドの日」を見つけることにあるという。300kmを飛ぼうとすると、どこかで過剰な積雲の発達にぶつかるからだ。
「ヨーロッパのように、50人が同じローンチから飛び立つ環境とは根本的に違う。ここでは一人か、運が良ければ二人でやるしかない」とピートは語る。それでもコロラドには強みもある。上昇気流が非常に強く、1分間に8m/sという驚異的な上昇率を記録することも珍しくない。そして一度高度を獲れば、長いグライドが可能だ。この「速く上がり、遠くへ滑る」という特性が、300kmへの鍵だった。
タンデムパイロットから記録破りへ——16年の軌跡
ピートのキャリアを語る上で欠かせないのが、2020年に達成した「コロラド横断ビバークフライト」だ。これは州の南端マンコスから北端のワイオミング州境まで、8日間かけて飛びと徒歩で縦断するプロジェクト。3年越しの挑戦で、最初の年は9日間も山頂で嵐に打たれ続けたという。この経験は、後に彼が「ウィングマン」というタイトルのドキュメンタリー映画として公開している。
この横断プロジェクトは、単なる冒険ではなく、後のビッグトライアングルへの布石でもあった。当時、ピートのコロラド州記録は170kmだったが、タンデムの制約がなくなったことで、彼は「もっと大きな三角形が描ける」と確信する。アスペン山からの早朝テイクオフは、東向きの美しいフェイスを持ち、午前9時には飛び立てる。このアドバンテージを活かし、彼は4シーズンにわたって特定のラインを追い続けた。
ギャビンが指摘するように、ピートと彼は同じ時期にモナルカ(メキシコの大会)に参加し始め、長年レースを共にしてきた。ピートは現在、年に4つのコンペに出場しており、それが「トレーニング」の役割を果たしている。特に毎年6月末のチェラン(ワシントン州)のコンペは、コロラドのシーズン直前の絶好の調整の場となっている。
標高4,000mの戦い——酸素2本と「深さ」との格闘
コロラドの地形を理解していないリスナーのために、ピートはその特徴を丁寧に説明する。州の中央部は非常に大きな山々と狭い谷で覆われ、道路網は限られている。しかし、太平洋岸北西部のように「着陸できない峡谷」は少なく、谷は概ね開けている。とはいえ、最寄りの未舗装道路まで10〜15kmという場所も多く、車が2時間に1台通るかどうかという「深さ」だ。
最大の「pucker factor(恐怖要素)」は、18,000フィート(約5,500m)のクラスG空域の上限を超えないようにすることだ。コロラドでは21,000〜23,000フィートまで上がる日も珍しくなく、高度を抑えながら飛ぶのは非常に難しい。「寒い中で、あれ以上上がらないように戦うのは本当に辛い。距離を稼ぎたい時に、最後にやりたいことだ」とピートは苦笑する。
この問題に対処するため、彼は酸素システムを大幅に強化した。通常のAL248タンク(マウンテンハイ社製)でも7〜7.5時間で切れてしまうため、2本目のタンクをコックピット内に追加。赤いチューブをゴムバンドで留めておき、1本目が切れたら差し替えるというローテクながら効果的な解決策を編み出した。また、ハーネスはOZONEのGR5をベースに、酸素やスナックにアクセスしやすいようポケットを追加。ダウンジャケットを改造してアーム部分だけを独立させ、ハーネスのアームガスケットと密閉することで、体幹は薄着でも腕だけを極寒から守るという工夫も施している。
3つの記録、3つの物語——275、292、そして305
ピートの2023年の夏は、6月の「グランドメサ」へのフライトから始まった。コロラド川渓谷とガニソン川渓谷を結ぶこのメサへのルートは、彼がそれまで到達できなかった「クルックス・クロッシング」だった。この日は100kmでバムアウトしたが、午後1時には終了。しかし、この経験が「もっと大きなラインが可能かもしれない」という確信に変わった。
最初の大記録は8月初旬、4シーズン追い続けてきた「純粋なマウンテンフライング」のラインで達成された。南へ向かい、北西へ旋回し、アスペンに戻るこのルートで、彼は275kmを記録。前年にガレン・カークパトリックが樹立した北米記録を破った。しかし、この日は「もしかしたら300も狙えたかもしれない」という未練も残ったという。
8日後、天候が再び整い、ピートは新しいグランドメサラインに挑戦。292kmを達成したが、着陸地点までわずか6kmに迫りながら閉じきれず、9時間半のフライトは「ビタースイート」なものになった。そしてその2日後、水曜日。前日に「もう大きなフライトは終わり」とパートナーに告げたばかりだったが、予報を見て再びテイクオフに現れる。周囲は驚いたが、彼は「夢があったから」と淡々と語る。
この3回目のフライトでは、最終レグで時速55kmという驚異的な平均速度を記録。追い風に乗り、雲の下でアンチGを投げながら吸い上げられる感覚は「雲はそれほど大きくないのに、ただポンピングしていた」という。こうして305km、北米初の300km超えが達成された。さらに2週間後には、友人ジャレッド・シャイトと一緒に260kmのフライトも成功。「その頃には260kmが『小さなフライト』に感じられた」とピートは笑う。
孤独な10時間——精神と肉体のマネジメント
「一人で9〜10時間飛ぶのは、仲間と飛ぶのとは全く違う。精神的に処理すべき情報が圧倒的に多く、サポートを感じられない」とピートは語る。最初の275kmのフライトでは、前腕の痙攣、腹部の痙攣に悩まされ、ハーネスの調整も不十分だった。しかし3回目には「もう1時間飛べた」と感じるまでにコンディションが向上した。
彼のメンタル面での鍵は「目標への飢え」だという。「普段はダムに水が溜まっていくような感覚で、7月、8月になると爆発する準備ができている」。しかし、前夜に興奮して眠れなかった日は「今日はやめておこう」と判断することもある。アルコールを控えるようになったのも、睡眠の質を重視してのことだ。
リスク管理については、明確な哲学がある。「飛んだ後に『危なかった』と感じるようなフライトはしたくない」。そのため、CCCクラスのエンゾではなく、少し受動的安全性の高いゼノを選択。酸素を2本持つこともリスク軽減の一環だ。しかし同時に、「低くなったらすぐに逃げていては、これらのフライトは一つも実現しなかった」とも認める。20年の経験が、その微妙なバランスを可能にしている。
北米の可能性——ヨーロッパとの比較と未来
ギャビンはヨーロッパのビッグトライアングル事情を詳しく説明する。アントルスやフィッシュなどでは、朝8時半に50人が一斉にテイクオフし、最初の60kmをほとんど旋回せずに飛び続ける。これは北東向きの美しいフェイスと、氷河からの安定した風があってこそだ。
しかしコロラドにはコロラドの強みがある。8m/sの上昇率はヨーロッパでは滅多にない。そして「速く上がり、遠くへ滑る」という特性は、異なるアプローチで同じ結果を生み出せる。ピートは「もっと早くテイクオフし、もっと遅く着陸し、平均速度を2km/h上げれば、10時間で20kmは伸びる」と計算する。さらに、もし10人のパイロットが一緒に飛べば、お互いにバーを押し合い、平均速度は8〜10%向上する可能性があるという。
「ガレンが270kmを飛ぶまでは、自分には240kmが限界だと思っていた。でも彼がやってのけた24時間後には、『275kmはいける』と確信した」とピートは語る。この「可能性を信じる」ことの重要性が、北米のパラグライダーシーン全体を押し上げる原動力になると彼は考えている。コロラドだけでなく、サンファン山地、アイダホ、ネバダにも大きな可能性が眠っている。
20年のキャリアと2つのケガ——安全への向き合い方
ピートは21年のキャリアで2度のケガを経験している。1度目は初年度、モンタナでのテイクオフ時のクラッシュで脛骨と腓骨を骨折。2度目はアリゾナでのトーイング中、グラウンドスパイラルを試みて背骨の椎骨を骨折した(手術は回避)。また、7年前にはコロラドで一度リザーブを投げている。
「飛ぶのは『気持ちいい』と感じるコンディションだけ。危ない目にあった後に『よく逃げ切った』と思うようなフライトは、胃に良い味を残さない」と彼は言う。しかし同時に、大きなフライトには常に「少し毛羽立つ瞬間」がつきものだ。その境界線を引くのは、20年の経験と「自分に正直であること」だという。
まとめ
このエピソードが特別なのは、単なる記録達成の報告ではないからだ。ピート・トンプソンという一人のパイロットが、4シーズンもの間、同じラインを追い続け、何度も失敗し、それでも諦めなかった物語がそこにある。彼が語る「ダムに水が溜まっていく」という比喩は、長距離クロスカントリーフライトに取り組むすべてのパイロットの心情を代弁している。
そして何より印象的なのは、彼が「これは自分だけの成果ではない」と繰り返し強調する点だ。ガレン・カークパトリックが前年に270kmを飛んだからこそ、自分も300を目指せた。仲間がいるからこそ、孤独な10時間に耐えられる。北米のパラグライダーシーンは、まだヨーロッパのような「集団での記録更新」の文化はないが、ピートの夏はその可能性を確かに示した。彼が言うように、「可能性を信じれば、実現する」。このエピソードは、そのシンプルな真実を、コロラドの壮大な景色と共に刻み込む、刺激的な一編だった。