
#256 初心者からレッドブルX-アルプスへ:セブランド・ウォーレンの挑戦
- 256: パラグライダー初心者からレッドブルX-アルプスへ — セブランド・ウォーレンの挑戦 パラグライダーを始めてわずか数年、アメリカで飛び方を学んだセブランド・ウォー...
- [0:09] レッドブルX-アルプスとは何か — そしてセブランドという人物 レッドブルX-アルプスは、パラグライダーと徒歩(ハイク&フライ)を組み合わせ、アルプス山脈を...
- ギャビンが主催するハイク&フライレース「Global Rescue X Red Rocks」で、セブランドは昨年2位に入賞している。1位は同じく今年のX-アルプスに初参加...
自分では見つけにくい海外Podcastの話題に、日本語で気軽に触れたい人。
Cloudbase Mayhem Podcast / Gavin McClurg
256: パラグライダー初心者からレッドブルX-アルプスへ — セブランド・ウォーレンの挑戦
パラグライダーを始めてわずか数年、アメリカで飛び方を学んだセブランド・ウォーレンは、自らの人生を根底から変える決断をした。仕事も恋人も住まいもフランスに移し、世界で最も過酷なアドベンチャーレースの一つ、レッドブルX-アルプスに挑んだのだ。ホストのギャビン・マクラーグとの対話は、プロローグでの最下位、精神的な崩壊、チーム全員が新人だったという逆境、そしてレース終了直後に起きた深刻な怪我まで、生々しくも希望に満ちた物語として展開する。このエピソードは、単なるレースの記録ではなく、「なぜ人は限界に挑むのか」という問いに対する、稀有なまでの正直さで綴られた答えである。
レッドブルX-アルプスとは何か — そしてセブランドという人物
レッドブルX-アルプスは、パラグライダーと徒歩(ハイク&フライ)を組み合わせ、アルプス山脈を横断する過酷なレースだ。参加者は自身の判断で飛行ルートを選び、時には夜通し歩き、制限時間内にゴールを目指す。セブランド・ウォーレンは、オランダ代表としてこのレースにルーキーとして参加した。しかし彼のバックグラウンドはアメリカにあり、パラグライダーを始めたのもアメリカ国内だった。彼はアップル社でデザイナーとして働いていた経歴を持ち、キャリアの頂点にいたところから、自ら進んで未知の世界に飛び込んだ人物である。
ギャビンが主催するハイク&フライレース「Global Rescue X Red Rocks」で、セブランドは昨年2位に入賞している。1位は同じく今年のX-アルプスに初参加したジャレッド・シャイデだった。この成績が、セブランドに「自分にも戦える」という確信を与えた。しかし、彼がレースに臨むまでの道のりは、単なる「才能のある若者の成功物語」ではなかった。
レース後の悲劇 — 踵骨粉砕骨折とその回復
レース終了からわずか数日後、セブランドはセクストリア(イタリア)でトップランディング中に事故に遭う。彼は「スカイゴッドになった気分だった」と振り返る。レース中は常に安全マージンを確保していたが、レース後の開放感と過信が判断を鈍らせた。友人のデビッド・チェンが無事に着陸したのを見て、「自分もあの小屋の隣に着陸しよう」と考え、草地ではなく岩場のあるトレイルを選んだ。サーマル(上昇気流)が突然途切れ、対気速度とフレア操作の余裕を失い、岩の上に左踵から着地。即座に「爆発したような感覚」があったという。
病院での診断は「踵骨が数え切れないほどの破片に砕けている」というものだった。アラバマで外科医をしている義兄に電話で相談すると、「ほとんどのアスリートはこの怪我から復帰できない。X-アルプスへの挑戦は諦めろ」と言われた。しかしセブランドは「彼の意見は無視することにした」と語る。Instagramで怪我の報告をしたところ、多くの人が回復経験を共有してくれた。「15年前に同じ怪我をしたけど、どちらの踵だったか忘れた」という人もいれば、「3年経っても長距離の日には痛むが、それでもやれる」という人もいた。彼は「2年後には地上最速ではないかもしれないが、4年後には再びトップに立てるかもしれない」と前向きに捉えている。
ギャビンは、アーロン・デュラガッティが2015年と2017年に膝を粉砕しながらも、今年のレースで非スイス人として初優勝を果たした例を挙げ、「外科医は普通の人を基準に判断する。我々は普通じゃない」と励ました。
「無知ゆえの勇気」 — 人生をかけた決断
セブランドがX-アルプスへの挑戦を決意した背景には、「信じられないほど純粋な無知」があったと彼自身認める。アップル社でのキャリアは順調で、「トップに立つのはそれほど難しいことではない」という感覚を持っていた。大学卒業後すぐにアップルに入り、その後フリーランスのデザイナーとして十分な収入を得ながら、時間をパラグライダーに振り向けてきた。
しかし、X-アルプスを本気で目指すには、それまでの「趣味と仕事の両立」では不十分だった。彼は「X-アルプスのためのトレーニングをしていた過去2年間、仕事ではひどいサボり魔だった」と告白する。レース直後、実際に仕事を解雇された。「直接は言われなかったが、パフォーマンスが原因だと感じた」。しかし彼は「もう仕事は探さない。これを仕事にする」と決断した。
ギャビンは、共通の友人であるローガン(2023年出場)の言葉を紹介する。「トップ10に入るには、アルプスに住んでいないと無理だ。たとえ移住しても、トップ10の選手たちはそこで生まれ育ち、山を身体で知っている」。セブランドはこの壁を認識しつつも、2022年の東シエラ・ハイク&フライレースでの経験を自信の源にしていた。そのレースでは、はるかに経験豊富な選手たちを抑えて優勝。「ハイク&フライでは、身体経験だけでなく、精神的な経験も重要だと気づいた」と語る。
プロローグの惨敗 — 精神の脆さとコミュニティの力
プロローグは通常「ただのメディアイベント」だが、アドレナリンとエゴが絡み、誰もが真剣になる。セブランドはこの日、最悪の形で精神的な脆さを露呈した。レースの3ヶ月前から「飛ぶ喜び」を失っていた。トレーニングを「やらなければならないこと」に変えてしまい、さらに経済的不安が重なった。プロローグ当日は風邪も引いていた。
最初のサーマルでパトリック・フォン・カネル(強豪選手)と一緒に上がっていたが、「10メートル下がった瞬間、精神が完全に崩壊した」と振り返る。「彼らはあまりに上手い。自分はここにいる資格がない」という思考に支配され、その後はただの「自動操縦」状態だった。本来なら「難しい日だから誰でもミスをする」と割り切れる状況でも、自分を責め続けた。結果、リーダーから5時間半遅れの最下位でフィニッシュした。
しかし、その夜の表彰式で起きたことが、彼のレースを変えるきっかけとなった。他の全選手とチームが、最下位で入ってくるセブランドにスタンディングオベーションを送ったのだ。「あの瞬間、コミュニティが私を信じてくれた。それがなければ、本戦はもっと悲惨なものになっていた」。このエピソードは、X-アルプスが単なる競争ではなく、参加者同士の深い連帯感に支えられた冒険であることを示している。
本戦序盤の苦闘 — 「自分を飛ばそう」とする失敗
プロローグの翌日、セブランドはまだ風邪と精神的な不調を引きずっていた。チームの勧めでプレッシャーなく飛ぶためにリフトで上がり、3時間の楽しいフライトを経験。一時は「明日は大丈夫」と思えた。しかし本戦初日、最初のハイクで心拍数が145以下(通常のゾーン2)なのに、身体はゾーン5の感覚。何かがおかしかった。
彼は「リモコンで飛ばされているような感覚」と表現する。自分の判断で飛ぶのではなく、チームに「次のサーマルはどこ?」と常に尋ね、他人のラインを追うだけだった。クリスチャン・シューグのラインを200メートル下から追いかけて失敗し、谷に降りて30kmを2000mの標高差で走る羽目に。その日は次の選手から40km遅れて終了した。
「エゴがガラスのように脆くなっていた。一つ何かがうまくいかないと、すぐに『もう駄目だ』という思考に陥った」。この状態は3日目まで続く。彼は山の上で恋人ケイティに電話し、30分間泣き続けた。「多くの期待をその山に置いてきた」と彼は言う。この「諦め」が、実は回復への第一歩だった。
夜通しのランとチームの結束 — 流れを取り戻す
3日目の夜、セブランドはナイトパス(夜間移動の許可)を使い、一晩中走り続けた。それまで最下位から2番目だった位置から、一気に6番目まで浮上。この夜通しのランが、彼の精神状態を根本から変えた。「もう12日間レースを続けることはできない。完走も無理だ。スポンサーシップのことも、自分が十分じゃないことも、どうでもよくなった。ただ飛ぼうと思った」。
チームも「24時間後に脱落しても、ここまで来たんだ。楽しもう」と背中を押した。この「何も期待しない」状態こそが、セブランドにとって最適なメンタルだった。彼は「すべてがおまけのように感じられた。一日一日が、本来なら悪夢になるはずだった状況へのチェリー(おまけのご褒美)だった」と語る。
特筆すべきは、チーム全員がX-アルプス未経験者だったことだ。セブランドの前年の予選(XP)では、経験豊富なサポートが「次のサーマルは左10メートル」と指示できた。しかし今回のチームは、誰も彼に「飛び方」を教えられなかった。序盤、セブランドはそのことに苛立ち、チームメイトに対して「クソ野郎のように振る舞っていた」と認める。
しかし4日目の朝、彼はチームに明確な指示を出すリーダーシップを発揮し始める。「デビッドはアンドレアとウーゴの位置を2分ごとに報告。トムはモレノ渓谷の最短ルートをステップバイステップで指示。ザックとカイルは20分おきにジェル、15分おきに水を補給。ルスタムは車で全員のサポートを統括」。この役割分担が確立されてから、チームは「よく油の行き届いた機械のように」機能し始めた。
奇跡の最終日 — 「楽しもう」という一言が変えた運命
レース10日目、セブランドはロカルノへのフライトで遅れを取り、さらにウィングに穴を開けて修理に時間を費やした。午後2時か3時になっても思うように進まず、焦りが募る。ベリンツォーナへのグライド中、エアスペース(空域制限)の狭窄部を通過できない高さにいた。チームに「どこに降りるべきか」と無線で尋ねる彼の声を、恋人のケイティが聞いていた。
彼女は普段、彼のフライト中には口を出さない。しかしこの時、「C(セブランドの愛称)、ちょっと楽しんでみたら?」と割って入った。セブランドは「大笑いした。まさにその瞬間に必要な言葉だった」と振り返る。その直後、秒速2メートルのサーマルを捉え、狭窄部を越えてベリンツォーナに到達した。「楽しんでいるときの方が、はるかにうまく飛べる。サーマルを探そうと焦ると、5つも見逃して地面に降りてしまう。心配しないでいると、降りられなくなるほど上がる」。
この「楽しむ」というマインドセットが、最終日の奇跡的なフライトを可能にした。天気予報は最悪で、ギャビンも「あの二人(セブランドとアンドレア)がゴールできる可能性はゼロだ」と公言していた。しかしセブランドは、予想の2時間をはるかに超える5時間半のフライトを達成。キッツビュールでは「100年に一度の豪雨」による10インチ(約25cm)の冠水した道路を、笑顔で走り抜ける姿が撮影された。「あの日は神様が味方していた」と彼は言う。
リスクと向き合う — パートナーとの関係、ADHD、そして未来
セブランドの恋人ケイティは、彼がパラグライダーを始めた後に交際を始めた。「彼女は自分が何にサインアップしたのか全く分かっていなかった」と彼は認める。ケイティ自身も飛ぶが、彼ほどの情熱はない。彼女は彼のリスクテイクを「資産」として捉え、危険な決断の際には意見を共有する関係を築いている。「彼女の視点が、何度も私の命を救ったかもしれない」とセブランドは語る。
子供を持った後のパラグライダーとの向き合い方について、彼は「マージンを大きく取り、自分自身に正直になる」と答える。ギャビンは自身の経験を共有する。娘が生まれてからも、2017年、2019年、2021年とレースに出場し続けた。「当時は影響を感じなかった。しかし娘が8歳になった今、よりリスクを意識するようになった。年齢のせいかもしれないが、『もし自分が死んだら』という考えが頭をよぎる」。
セブランドは自身のADHD(注意欠如・多動症)についても率直に語る。「ADHDの人にとって、高度に刺激的な状況こそが『フロー状態』に入る唯一の方法だ。私は危険なコンディションでこそ最高の集中力を発揮する。しかしそれは同時に、より危険な状況を求めてしまう傾向にもつながる」。彼はX-アルプスのような競技環境が、安全に高い刺激を得られる場だと指摘する。
まとめ
このエピソードが聴き手に残すものは、単なる「ルーキーの成功物語」ではない。それは、人間の脆さと強さ、期待がもたらす呪いと解放、そして「楽しむこと」の力を、これ以上ないほど正直に描いた物語である。セブランド・ウォーレンは、最下位からのスタート、精神的な崩壊、チーム全員が未経験者という逆境、そしてレース直後の重傷という、ほとんど全ての「失敗」を経験しながらも、最後には笑顔でゴールにたどり着いた。彼の「ちょっと楽しんでみたら?」という恋人の一言が、全てを変えた瞬間は、このスポーツの本質を象徴している。パラグライダーは究極的には「楽しむ」ためのものであり、その喜びを取り戻した時、人間は想像を超える力を発揮するのだ。
要点
- セブランド・ウォーレンはパラグライダー歴わずか数年でレッドブルX-アルプスに挑戦し、プロローグで最下位、本戦序盤も苦戦しながらも、最終日に奇跡的なフライトでゴールを達成した
- レース終了直後のトップランディングで踵骨を粉砕骨折し、「ほとんどのアスリートは復帰できない」と医師に宣告されたが、アーロン・デュラガッティの例などに勇気づけられ、4年後の再挑戦を目標に掲げている
- 彼はアップル社のデザイナーという安定したキャリアを捨て、恋人と共にフランスに移住し、X-アルプスに人生を捧げる決断をした
- 精神的な脆さが最大の敵であり、「楽しむ」ことを忘れた時、パフォーマンスは著しく低下する。恋人の「ちょっと楽しんでみたら?」という一言が、彼のレースを根本から変えた
- チーム全員がX-アルプス未経験者だったが、セブランドが明確なリーダーシップを発揮するようになってから、チームは「よく油の行き届いた機械」のように機能し始めた
- ADHD(注意欠如・多動症)は、危険な状況でこそ最高の集中力を発揮するという点で、競技パラグライダーにおいては「武器」になりうるが、同時にリスクを求める傾向にも注意が必要
- パートナーとのリスクコミュニケーションが重要であり、彼女の視点を「資産」として捉えることで、より安全な判断が可能になる
- スポンサーシップに依存せず、デザインの仕事を続けることで経済的・精神的な自由を維持するという選択が、長期的な競技生活の鍵となる