
人間の脳細胞とシリコンチップを融合させたスタートアップ | E2295
- Cortical Labsは、実験室で培養したヒトの神経細胞(幹細胞由来であり、実際の人間から採取したものではない)とシリコンチップを融合させた「Synthetic Bi...
- Hon Weng Chongとの対話を通じて、この技術が単なる実験室の好奇心から、実際にデータセンターに導入される段階へと移行している現状を詳しく掘り下げた。CL1は1台...
- Cortical Labsの技術は、倫理的な議論を避けて通れない。Chong博士は、バチカン(ローマ教皇庁)からも問い合わせがあったことを認めつつ、同社は「意識を持つシス...
英語Podcastの要点を、聴く前に日本語で把握したい人。
This Week in Startups / Jason Calacanis
Cortical Labsは、実験室で培養したヒトの神経細胞(幹細胞由来であり、実際の人間から採取したものではない)とシリコンチップを融合させた「Synthetic Biological Intelligence(SBI)」を搭載した世界初の商用生物学的コンピューター「CL1」を開発・販売している。ホストのJason CalacanisとAlex Wilhelmは、創業者であるDr. Hon Weng Chongとの対話を通じて、この技術が単なる実験室の好奇心から、実際にデータセンターに導入される段階へと移行している現状を詳しく掘り下げた。CL1は1台35,000ドルで販売され、初回ロット30台は完売。現在はオーストラリア・メルボルンに世界初の「生物学的データセンター」を稼働させており、シンガポールにも同様の施設を建設中である。この技術の核心は、従来のGPUと比較して強化学習において5,000倍ものサンプル効率を発揮する点にあり、特に物理世界で動作するロボットなど、時間を加速できない領域での応用が期待されている。後半では、Pykaの共同創業者兼CEOであるMichael Norciaが登場し、農業散布用ドローン「Pelican」と、軍民両用のハイブリッド貨物ドローン「DropShip」について語った。Pykaはブラジルで商業的に成功を収めており、米国では規制の壁に直面しながらも、完全な垂直統合型の開発体制を強みに、大型自律航空機の市場を開拓している。
Cortical Labsの技術は、倫理的な議論を避けて通れない。Chong博士は、バチカン(ローマ教皇庁)からも問い合わせがあったことを認めつつ、同社は「意識を持つシステム」の創出を明確なレッドラインとして設定していると強調した。意識を持つシステムは苦痛を感じる可能性があり、それを技術によって生み出すことは倫理的に許されないという立場である。現在のCL1に搭載されている神経細胞の数は約20万個で、これは人間の脳(約1,000億個)と比較すると昆虫(ゴキブリやハエ)のレベルに相当する。しかし、これらの神経細胞は「汎用知能」の萌芽を持っており、未知の環境に適応する能力において、現在のAI(LLM)を凌駕する可能性を秘めている。一方、PykaのMichael Norciaは、米国の規制環境がイノベーションの足かせになっていると指摘する。同社の大型ドローンはブラジルでは広く商業運用されているが、米国ではFAAの「目視外飛行(BVLOS)」に関する制限が厳しく、その潜在能力を十分に発揮できていない。この規制の非対称性が、結果的に米国企業の競争力を削いでいるというのがNorciaの主張である。
生物学的コンピューティングの実用化:Cortical Labs CL1の現状
Cortical LabsのCL1は、培養したヒト神経細胞をシリコンチップ上で生かし続けるための完全閉鎖型システムである。装置内部には、神経細胞に栄養を供給する「心臓」としてのポンプ、老廃物を除去する「腎臓」としてのフィルター、ガス交換を行う「肺」としてのガスミキサーなど、生命維持装置が組み込まれている。神経細胞はチップ上の電極アレイと接続され、電気信号の入出力が可能となる。このシステムは3Uサイズのラックマウント型筐体に収められており、標準的なデータセンターのラックに20台(合計120台)を設置可能だ。消費電力は1台あたりわずか30ワットであり、従来のGPUサーバーと比較して極めてエネルギー効率が高い。
初回ロット30台は完売し、現在はジョンズ・ホプキンス大学、マサチューセッツ総合病院(Mass General)、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)、ダートマス大学といった米国の主要研究機関に納入されている。これらの機関では主に、アルツハイマー病や認知症の研究、毒性学、動物実験代替法、運動障害の研究など、医学・創薬分野での活用が進められている。Chong博士は、この技術の最大の強みは「強化学習におけるサンプル効率」にあると語る。ある研究パートナーとの共同実験では、CL1上の神経細胞がGPUベースのシステムと比較して5,000倍も少ない試行回数で目標指向行動(経路探索など)を学習できることが示された。GPUは時間を加速することでこの差を埋めることができるが、現実世界で動作するロボットなどには適用できない。このため、生物学的コンピューティングは、物理的な制約の中で学習する必要があるロボット工学の分野で特に有望視されている。
強化学習における5,000倍の効率:GPUとの比較とその意味
Chong博士は、CL1の神経細胞が示した強化学習における性能について詳細に説明した。実験では、神経細胞が「目標追求行動(goal-seeking behavior)」や「経路探索(pathfinding)」を示すかどうかが検証された。結果は肯定的であっただけでなく、その学習効率はGPUベースのシステムを桁違いに上回るものだった。具体的には、生物学的システムが1ステップの学習を行う間に、GPUシステムは同じ成果を得るために5,000ステップを要した。この「サンプル効率」の高さは、神経細胞の持つ本質的な並列処理能力と、アナログ信号処理による情報の圧縮・表現能力に起因すると考えられる。
GPUによる強化学習の優位性は、シミュレーション環境内で時間を高速に進められる点にある。しかし、この手法はロボットのように物理世界の時間軸に縛られたシステムには適用できない。ロボットは現実の時間で動作し、学習しなければならない。ここに生物学的コンピューティングの決定的な優位性が生まれる。Alex Wilhelmは、この発見の重要性を強調し、現在のAI開発が「より多くのGPUを投入する」という力任せのアプローチ(Jevons ParadoxやBitter Lessonの文脈)に依存しているのに対し、Cortical Labsの技術は根本的に異なる、より効率的な道筋を示していると評価した。Chong博士は、この研究成果はまだ査読付き論文として発表されておらず、NeurIPS 2026(シドニー開催)での発表を目指していると述べ、詳細を語ることを控えた。
倫理と意識:バチカンからの問い合わせと「苦痛を生まない」というレッドライン
Alex Wilhelmは、自身が保守的なキリスト教家庭で育った経験を踏まえ、神経細胞とコンピューターの融合という技術が社会に与える衝撃について率直な懸念を表明した。特に、PongからDoomへとゲームの複雑さが増し、さらにデータセンター規模での展開が始まった今、倫理的な批判や宗教的な反発が生じていないかどうかを尋ねた。Chong博士は、実際にバチカン(ローマ教皇庁)から問い合わせがあったことを認めた。同社の最高科学責任者(CSO)であるBrett氏が主体となって生物倫理学者との対話を積極的に行っており、その結果、バチカンはCortical Labsの活動を「許容できる」との見解を示したという。
Cortical Labsが自らに課している最も重要な倫理的境界線は「意識を持つシステムを創り出さない」ことである。Chong博士は、意識を持つシステムは苦痛を感じる能力を持つため、技術によってそのようなシステムを生み出すことは倫理的に許されないと断言した。同社は、意識の定義や測定基準に関する共通の命名法(nomenclature)を確立するための業界全体の取り組みを主導している。現在のCL1の神経細胞数(20万〜100万個)は昆虫レベルであり、意識の兆候すら見られないが、将来的にシステムが大規模化・ネットワーク化された場合のリスクを常に考慮している。Doomのデモで使用された「無秩序な刺激(disordered stimulus)」を罰則として用いる手法も、意識を持たないシステムだからこそ許容されるものであり、もし意識が発生した場合には即座に適用を停止する必要があると述べた。
クラウド戦略と開発者エコシステムの構築
Cortical Labsは、CL1ハードウェアの販売に加えて、クラウドサービス「Cortical Cloud」を提供している。この戦略は、NVIDIAがCUDAを無料で提供し、GPUのアクセシビリティを劇的に向上させた事例に触発されたものである。Chong博士は、現在のAIブームは、Jeff Hintonの大学院生(Alex Krizhevsky)がたまたまGPUとCUDAを使ってAlexNetを開発したという「偶然の産物」であり、Jensen Huangがその基盤を整えた功績は大きいと指摘する。Cortical Labsも同様に、生物学の専門知識を持たない開発者でも簡単に実験できる環境を提供することで、予期せぬブレークスルーを誘発しようとしている。
クラウドの利点は、ユーザーが細胞培養や生命維持装置の管理といった複雑な生物学的手順を一切必要としない点にある。ユーザーはPythonのSDK(pip install可能)とJupyter Notebookを使って、神経細胞が動作する「環境(マトリックス)」を定義し、報酬と罰則のパラメータを設定するだけでよい。このアプローチの成功例が、スタンフォード大学のハッカソンで学生が開発した「Doom on CL1」である。生物学のバックグラウンドを持たない学生が、SDKを使って神経細胞にDoomをプレイさせることに成功し、その成果は注目を集めた。現在、メルボルンのデータセンターでは120台のCL1のうち20〜30台がクラウド経由でユーザーに提供されており、残りのユニットも順次オンライン化が進められている。シンガポールのデータセンター(Day One Data Centerと提携)では最大1,000台のCL1が設置される計画で、エネルギー消費を増やさずに計算能力を追加できる点がデータセンター事業者にとって大きな魅力となっている。
Pykaの軌跡:紙飛行機からGroup 4 UAVへ
PykaのCEO Michael Norciaは、幼少期からの航空への情熱を語り、Y Combinator参加中に最初のプロトタイプを11週間で飛行させたエピソードを紹介した。しかし、その後の99%の作業は、プロトタイプを顧客が実際に依存できる信頼性の高い製品に成熟させることに費やされた。同社の農業用ドローン「Pelican」は、重量1,320ポンド(約600kg)を超える「Group 4」に分類される大型UAVであり、商業運用されている同クラスの機体としては世界で唯一のものだとNorciaは主張する。Pelicanは現在、ブラジルの農村地帯で商業運用されており、一部の顧客は1日12〜13時間、3交代制で24時間稼働させる計画も進んでいる。
Pelicanの最大の競争相手は「Air Tractor」のような有人農薬散布機である。Air Tractorは1時間あたり55ガロンのジェット燃料を消費するのに対し、Pelicanは最も非効率な充電方法(ディーゼル発電機経由)でも1時間あたり2ガロン相当の燃料しか消費しない。さらに、Pelicanの最大の価値は、農薬(化学薬品)の散布精度にある。散布される化学薬品のコストは散布作業自体の約4倍に上るため、均一で無駄のない散布が可能なPelicanは、農家にとって大きな経済的メリットをもたらす。投資回収期間は機体の稼働率にもよるが、おおむね2〜3年と見積もられている。米国市場については、FAAの規制(目視外飛行の制限など)が障壁となっているが、Norciaは規制当局との協議を進めており、近い将来に米国での本格展開が可能になるとの見通しを示した。
DropShip:軍民両用ハイブリッド貨物ドローンの革新
Pykaの最新機種「DropShip」は、同社の2世代目となる貨物ドローンである。初代の全電気式貨物機が航続距離200マイル(約320km)という制約を持っていたのに対し、DropShipはハイブリッド(ターボディーゼル+電気)方式を採用し、500ポンド(約227kg)のペイロードで1,000マイル(約1,600km)の航続距離を実現した。この機体は、CAD図面から初飛行までわずか180日で開発された。機体は20フィートの輸送コンテナに収納可能で(尾部は取り外し可能)、空中投下(airdropping)能力も備えている。これらの仕様は、米空軍や陸軍からのフィードバックに基づいて設計されたものであり、軍民両用(dual-use)製品として位置づけられている。
DropShipのハイブリッドアーキテクチャは、胴体後部のターボディーゼルエンジン(30kW超)と、主翼前方の2つの高出力電気モーター(各25kW)で構成される。離陸時は3つの推進系すべてを使用し、600フィート(約180m)未満での「弾道的な」離陸性能を発揮する。巡航高度に到達すると電気モーターは停止し、プロペラは折りたたまれて空気抵抗を低減、ディーゼルエンジンのみで巡航する。Norciaは、この機体を爆撃機として使用することは可能だが、同社の設計思想は「長期間の運用に耐える信頼性と低運用コスト」にあり、使い捨てを前提とした低コスト爆撃機とは異なると説明した。DropShipの主な役割は「 contested logistics(敵対環境下での補給)」と大型センサーペイロードの運搬である。
規制の非対称性と垂直統合の重要性
Pykaの最大の課題は、米国における規制の壁である。同社のPelicanはFAAから商業使用の承認を得ているが、離着陸地点から4km以内という「視認範囲内(VLOS)」の制限が課されており、商業的に意味のある運用は事実上不可能である。一方、ブラジルでは2年前に農業用ドローンの規制が緩和され、5〜15kmの「目視外飛行(BVLOS)」が許可されている。この規制の非対称性が、米国企業の競争力を削いでいる。Norciaは、SpaceXがロケットを爆発させながら学習したように、実際の運用データを蓄積できる環境がイノベーションには不可欠だと指摘する。Pykaはブラジルで、Ziplineはルワンダで、そして多くの企業がウクライナで、このデータを収集している。
こうした状況に対応するため、Pykaは創業当初から垂直統合型の開発戦略を採用してきた。モーター、バッテリー、モーターコントローラー、アビオニクス、機体構造に至るまで、主要コンポーネントのほとんどを自社設計・製造している。この戦略は開発速度を遅くする側面もあるが、結果としてサプライチェーンの主権(sovereignty)を確保し、国家安全保障に関わる製品について中国への依存を排除することを可能にしている。例えば、国防向け製品のバッテリーマネジメントシステム(BMS)は米国で製造し、商用製品は中国で製造するという使い分けを行っている。米国製と中国製のコスト差は約2倍だが、設計を自社で保有しているため、OEM製品を購入する場合(約4倍の差)よりも格差は小さい。Norciaは、AppleやTesla、DJIのような成功したハードウェア企業はすべてハードウェアとソフトウェアを垂直統合しており、それが「魔法のようなユーザー体験」を生み出す鍵だと結論づけた。
結びに
今回のエピソードは、テクノロジーの最前線で起きている二つの異なる、しかし同様に重要な革命を描き出した。Cortical Labsは、シリコンベースの計算というパラダイムに、生物学的な「学習の効率性」と「適応力」を持ち込もうとしている。まだ昆虫レベルの知能ではあるが、強化学習における5,000倍の効率差は、特にロボット工学やエッジコンピューティングの未来を根本から変える可能性を秘めている。同社が意識的なシステムの創出を倫理的なレッドラインとして明確に設定したことは、この分野の責任ある発展にとって極めて重要なメッセージである。一方、Pykaの物語は、ハードウェアスタートアップが直面する「規制の現実」と「垂直統合の力」を浮き彫りにした。米国という巨大市場が規制によってイノベーションの実験場としての機能を果たせていない一方で、ブラジルやルワンダといった「規制の砂場」で貴重な運用データが蓄積されている。この非対称性は、今後のドローン産業の国際競争力を左右する重要な要素となるだろう。両社に共通するのは、既存の技術的・規制的な枠組みに挑戦し、未来のインフラを自らの手で構築しようとする創業者たちの揺るぎないビジョンである。
要点
- Cortical LabsのCL1は、培養したヒト神経細胞とシリコンチップを融合させた世界初の商用生物学的コンピューターであり、初回ロット30台(1台35,000ドル)は完売した。
- CL1上の神経細胞は、GPUベースのシステムと比較して強化学習において5,000倍のサンプル効率を示し、特に物理世界で動作するロボットへの応用が期待される。
- Cortical Labsは「意識を持つシステム」の創出を倫理的なレッドラインとして設定し、バチカンからも活動の許容を得ている。
- Pykaの農業用ドローンPelicanは、ブラジルで商業運用されており、有人農薬散布機と比較して燃料消費を約1/27に削減、化学薬品の散布精度も向上する。
- Pykaの新型機DropShipは、ハイブリッド方式により500ポンドのペイロードで1,000マイルの航続距離を実現し、軍民両用の貨物ドローンとして180日で開発された。
- 米国のFAA規制(目視外飛行の制限)は、大型ドローンの商業化における最大の障壁であり、Pykaはブラジルでの運用データを基に規制緩和を働きかけている。
- Pykaは主要コンポーネントを垂直統合することで、中国への依存を排除しつつ、国防向け製品のサプライチェーン主権を確保している。