motpod
Podz-Glidz. Der Lu-Glidz ポッドキャスト · 2026年5月21日

Podz-Glidz 136 - X-Pyr - Judith Mole

AI generated article / ja / study
この記事でわかること
  • 概要 このエピソードでは、ハイク&フライ・レース「X-Pyr」の公式レポーター、ジュディス・モールが、そのユニークな経歴とレースの舞台裏を語る。スコットランド生まれ、ドイ...
  • [0:02] X-Pyrのユニークな精神と運営 X-Pyrは、レッドブルが主催するX-Alpsに次ぐ国際的なハイク&フライレースだが、その性格は大きく異なる。ジュディスは...
  • ルールもX-Alpsとは異なり、より参加者に優しい。例えば、強制休息時間は夜9時から朝7時までと長めに設定されている(以前は午後10時から朝6時だった)。ジュディス自身は...
こんな人向け

自分では見つけにくい海外Podcastの話題に、日本語で気軽に触れたい人。

出典Podcast

Podz-Glidz. Der Lu-Glidz ポッドキャスト / Lu-Glidz

Read
Open episodeFind more episodes

概要

このエピソードでは、ハイク&フライ・レース「X-Pyr」の公式レポーター、ジュディス・モールが、そのユニークな経歴とレースの舞台裏を語る。スコットランド生まれ、ドイツ育ち、現在はスペイン・カタルーニャの断崖絶壁に建つ家に住む彼女は、5ヶ国語を操り、元は競技パラグライダーパイロットとして活躍していた。しかし、2013年の大事故で背骨を骨折し、脊髄を損傷。一時は歩行すら危ぶまれた彼女が、どのようにして空に戻り、現在は世界有数の過酷なヒューマンパワーレースの現場を追いかける「疾走するレポーター」となったのか。ホストのルシアン・ハースとの対話は、事故後のリハビリ、レース運営の課題、そして「生きていることへの義務感」という深いテーマにまで及ぶ。

0:02X-Pyrのユニークな精神と運営

X-Pyrは、レッドブルが主催するX-Alpsに次ぐ国際的なハイク&フライレースだが、その性格は大きく異なる。ジュディスは「私たちは全員ボランティアで、誰も報酬をもらっていない」と断言する。運営スタッフは全員がパイロットであり、「楽しむためにやっている」。その結果、放送は「いつも少し混沌としている」が、同時に「よりフレンドリー」でもあるという。レッドブルやアウディのような巨大スポンサーがいれば状況は一変するが、X-Pyrにはそれがない。2024年大会ではさらにスポンサーを失い、予算はさらに逼迫している。

ルールもX-Alpsとは異なり、より参加者に優しい。例えば、強制休息時間は夜9時から朝7時までと長めに設定されている(以前は午後10時から朝6時だった)。ジュディス自身は深夜0時や1時まで働き、朝6時には再び動き出すため、この変更は運営側の負担軽減にもなった。また、敗者復活戦(エリミネーション)はなく、全員がゴールに到達するチャンスを与えられる。レース期間は1週間で、開始からちょうど7日後の土曜日午後9時に終了する。それまでにゴールに到達していなくても、その時点での順位が最終結果となる。

9:05レポーターへの道のりと役割

ジュディスがX-Pyrの「ロービング・レポーター」になったのは2018年。きっかけは、ミートディレクターのイニゴからの突然の電話だった。6週間前に「やりたくないか?」と聞かれ、即決した。彼女はそれ以前からパラグライダーのブログ「The Paraglider」を運営し、80本ものポッドキャストを制作していた。2014年のX-Pyrでは、自宅から45分のゴール地点に選手のインタビューに行き、ドイツ語、スペイン語を駆使して取材。その時の印象がイニゴの記憶に残っていたのだ。

しかし、初めてのレポーター業務は想像を絶するものだった。第一のウェイポイントに到着すると、イニゴから「今からライブだ」と言われ、何の準備もないまま2時間半もカメラの前で話し続けた。最終日には、表彰式の司会を任され、履いていたのはピンクのクロックスだけだった。「前日に言ってくれれば、ちゃんとした服と靴を持ってきたのに」と苦笑いする。それでも、この経験を経て、彼女はX-Pyrに欠かせない存在となった。

レポーターとしての戦略は独特だ。彼女はトップ選手を追いかけることを好まない。「クリーゲルやマキシム・ピノー、スタンダーマイヤーといった選手は、すでに多くの注目を集めている。後方の選手たちも同じだけトレーニングし、同じだけファンがいる。彼らにもスポットライトを浴びる時間が必要だ」と語る。そのため、彼女はレースコースを縦横に移動し、できるだけ多くの選手にインタビューしようとする。

13:42X-Pyrの歴史と2024年大会の見どころ

X-Pyrは2012年に第1回が開催された。イニゴ・ガビリナがX-Alpsの大ファンであり、「自分たちの国にも山脈がある」と考え、ピレネー山脈を舞台にしたレースを立ち上げた。初回はスペイン人選手のみで、距離は直線距離で400km、大西洋岸のオンダリビアから地中海沿いのエル・ポルト・デ・ラ・セルバまでを結んだ。優勝者はイニゴ・ガビリナ本人だった。

2014年大会からは国際化が進み、ドイツの強豪クリーゲル・マウラーが参戦。以来、クリーゲルは毎回優勝しているが、2022年大会は接戦だった。マキシム・ピノーがリードしていたが、ゴール目前で着陸を余儀なくされ、その隙にクリーゲルが奇跡的なサーマル(上昇気流)を捉えて逆転した。クリーゲル自身は「X-PyrはX-Alpsより難しい」と語っている。アルプスには長い縦断谷があり、風に乗って長距離を移動できるが、ピレネーは南北に走る横谷が多く、西から東へ進むには常に尾根を越えなければならないからだ。

2024年大会の最大の注目点は、クリーゲルが出場しないことだ。ジュディスは「クリーゲルはマシンだ。彼の存在は常にスリリングだが、他の誰かが勝つのを見るのも悪くない」と語る。実際、クリーゲルの不出場が発表されると、参加希望者が急増した。有力候補としては、マキシム・ピノー、ピエール・レミ、そしてルーキーながら前回完走したシモン・オーバーラマーが挙げられる。また、バスク地方出身のマルティンは、ピレネー山脈で300kmのハイク&フライ記録を樹立しており、地元のアドバンテージを持つ。

29:022024年大会の難所:バル・デ・ヌリア

2022年大会では、10周年を記念してルートが「X」字に交差する特殊なコースが設定された。2024年大会はより直線的なルートに戻るが、イニゴは新たな「悪夢」を用意した。それが、カタルーニャの山岳地帯にあるバル・デ・ヌリアだ。ここは大きな修道院がある美しい場所だが、車でアクセスできず、唯一の交通手段は登山鉄道のみ。鉄道は1日8~9本しか運行しておらず、選手は徒歩か飛行で到着するが、サポーターは鉄道を利用して機材を運ばなければならない。

ジュディスにとって、これはロジスティック上の悪夢だ。彼女は最初に到着する選手を取材するため、鉄道の時刻表に合わせて移動し、場合によっては現地に宿泊しなければならない。さらに、ゴール地点が遠いため、取材後にゴールに間に合わない可能性もある。「なぜこんなことをするんだ、とイニゴに言ったよ」と彼女は笑う。しかし、この場所はスキーリゾートとしても機能しており、気候変動でスノーシーズンが短くなる中、夏場の観光客誘致のためにX-Pyrと提携したのだ。ジュディスは「問題解決が好きだから、なんとかする」と語る。

34:40レポーターの一日:混沌の中のルーティン

レース中のジュディスの一日は、朝6時に始まる。前日は深夜0時か1時まで働いているため、睡眠時間はわずか5時間だ。彼女は小型のキャンピングカー(カングー)にベッドを積んで移動し、山の峠や谷間、運が良ければキャンプ場やホテルで寝る。朝一番に、レースの進行状況と天気予報を確認し、どこで誰にインタビューするか計画を立てる。

その後、車で移動しながら、1日に3~4回のライブ配信を行う。内容は、レースのハイライト、天気予報、そして「ゴシップ」だ。例えば、昨年はヨハネス・ヘレランドが熊に遭遇した話や、ルール違反でペナルティを受けた選手の情報などが含まれる。最後の配信は夜9時か10時頃に行い、その後、次の宿泊場所を探して移動する。

レース終盤になると、イニゴから「すぐにゴールへ向かえ」という電話が入る。2022年大会では、クリーゲルが予想外の速さでゴールに迫り、彼女は1時間前に到着して急いでパンをかじり、ピンクのクロックスを履いて表彰式に臨んだ。ゴール地点は、サンタ・エレナ・デ・ロデスの古い教会で、隣には修道院があり「息をのむほど美しい」という。レース終了後は、希望者がビーチに着陸し、観光客を驚かせる。そして、大規模な表彰式と食事会の後、全員が3日間眠り続ける。

40:38空への情熱と大事故

ジュディスは1990年にハンググライダーを始め、10年間操縦した。当初はパラグライダーを「空から落ちる危険な代物」と軽蔑していたが、2003年に転向。理由は、ハンググライダーでの複数の事故だった。1998年に腕を骨折し、手術で神経を切断されるリスク(1%)に直面。さらに4年後には肘を脱臼した。着陸のたびに「風が強すぎますように」と願うようになり、「飛べないことを願っているなら、なぜここにいるんだ」と自問し、パラグライダーに移行した。

パラグライダーではすぐにクロスカントリー飛行に熱中し、イギリスで123kmのフライトを達成。女性記録まであと2kmに迫ったが、陸地が尽きた。それでも、男性記録保持者の30kmを大きく上回る距離だった。2012年にはイギリス選手権で総合2位(女性参加者は2名のみ)となり、EN-Bクラスのパイロットとしては全参加者中トップの成績を収めた。

しかし、2013年3月31日、人生を変える事故が起きる。何百回も飛んだことのある慣れた山から離陸したが、高度を維持できず、公式の着陸場にたどり着けなかった。小さな段々畑に着陸しようとして失敗し、背中を強打。脊髄を損傷し、骨片が脊髄に刺さった。ヘリコプターで病院に運ばれ、両親は医師から「歩けるようになるかどうかわからない」と告げられた。しかし両親は彼女に「すべてうまくいく」とだけ伝え、彼女は笑顔を絶やさなかった。6時間に及ぶ手術は女性医師チームによって行われ、成功。現在も背中には金属が入っており、左足の感覚はほぼなく、右腿と臀部にも感覚がない。しかし、腰痛はないという。

50:46再起:歩くこと、飛ぶこと、そして生きること

リハビリは6ヶ月に及んだ。車椅子から歩行器、松葉杖へと移行し、再び歩くことを学んだ。事故からほぼ11ヶ月後、彼女は再び空に舞い上がった。重要なのは飛ぶこと自体ではなく、「機材を担いで山に登ったこと」だった。初飛行は驚くほど緊張しなかったが、2回目の飛行で初めて恐怖を感じたという。

彼女は「もう一度チャンスを得た」という感覚から、毎年の事故記念日に特別な挑戦をするようになった。9周年には人生初の5kmランニングを達成。50歳の誕生日には、自宅から見える山々を9日間かけて縦走し、16kgのザックを背負ってキャンプをした。また、リハビリ施設「インスティトゥト・グットマン」の勧めでスキューバダイビングを始め、幼少期からのサメ恐怖症を克服。昨年は南アフリカで檻なしでサメと2度もダイビングした。「飛ぶことだけがすべてじゃない。今は生活のバランスが取れている」と語る。

56:53ポッドキャストから新たな挑戦へ

ジュディスは2008年、パラグライダーのポッドキャストを始めた。当時、ポッドキャストを知る人はほとんどおらず、彼女は技術を学ぶために「プロジェクト」として始めた。編集にこだわり、最終的には数百万ダウンロードを達成。妊娠中のフライトなど、誰も語らないニッチなテーマも取り上げた。しかし2019年、競争が激化する中で「他の人に任せよう」と決断し、80エピソードで終了した。

現在の彼女の「ハイ(挑戦)」は、ドイツ語圏でのフライトだ。オーストリア、スイス、ドイツではまだ一度も飛んだことがない。故郷の近く、シュリースハイムのフライトサイトで飛ぶことを夢見ている。また、コロンビアやエクアドルでのフライト経験はあるが、まだ訪れていない場所も多い。「先延ばしにしてはいけない。引退したらやろう、と思っている人は、いざその時になると年を取りすぎていると感じるものだ」と彼女は言う。事故から10年、彼女は「時間を無駄にしなかった」と確信している。

まとめ

このエピソードは、単なるレースレポートを超えて、人間の回復力と情熱の本質に迫る。ジュディス・モールの物語は、大事故による脊髄損傷から立ち直り、再び空を飛び、さらにはレースの現場を追いかけるレポーターとして活躍するまでの軌跡だ。彼女の「もう一度チャンスを得たからには、それを活かさなければならない」という姿勢は、リスナーに深い印象を残す。X-Pyrの「ボランティア精神」と「フレンドリーな混沌」は、巨大スポンサーに支えられたX-Alpsとは対照的で、アマチュアリズムの美しさと限界を同時に示している。2024年大会の最大の見どころは、常勝クリーゲルの不在と、バル・デ・ヌリアというロジスティック上の難所がレースにどのような影響を与えるかだ。

要点

  • X-Pyrは全員がボランティアで運営されるハイク&フライレースで、X-Alpsとは異なり「混沌としているがフレンドリー」な精神を持つ。
  • ジュディス・モールは2018年から公式レポーターを務め、トップ選手だけでなく後方の選手にもスポットライトを当てる独自の取材スタイルを持つ。
  • 2024年大会は6月23日開始。常勝のクリーゲル・マウラーが出場せず、マキシム・ピノー、ピエール・レミ、シモン・オーバーラマーらが優勝候補。
  • 最大の難所はバル・デ・ヌリア。車でアクセスできず、唯一の交通手段は登山鉄道のみで、ロジスティック上の課題が大きい。
  • ジュディスは2013年の事故で脊髄を損傷し、一時は歩行不能の危機に直面したが、11ヶ月後に再び飛行に成功。
  • 事故後、彼女は「もう一度チャンスを得た」という感覚から、毎年の記念日にランニングや山岳縦走など新たな挑戦を続けている。
  • 彼女は2008年からパラグライダーのポッドキャストを運営し、数百万ダウンロードを達成したが、2019年に終了。現在はX-Pyrのレポーター業に専念している。
  • ドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)でのフライトは未経験で、今後の目標の一つ。