
辞書のおもしろ説明を厳選しました。#459
- 辞書のおもしろ説明を厳選しました。#459 『新明解国語辞典』は「恋愛」の語釈で「合体したい」と書かれた伝説を持つ、異色の国語辞典として知られる。しかし最新の第8版は「尖...
- [0:02] 新明解国語辞典とは何か——通読者が語るその魅力 水野太貴は、約1700ページある『新明解国語辞典 第8版』を3年かけて通読したという異色の経歴を持つ。彼によ...
- 堀元見はこの導入に対して「100人集めてわざわざ言うことか」と軽くツッコミを入れつつも、次第に引き込まれていく。公開収録という特別な場で、観客を前にした二人の掛け合いが、...
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辞書のおもしろ説明を厳選しました。#459
『新明解国語辞典』は「恋愛」の語釈で「合体したい」と書かれた伝説を持つ、異色の国語辞典として知られる。しかし最新の第8版は「尖りがマイルドになった」と言われる一方で、実際には通読してみると驚くべき語釈の宝庫である。本エピソードは、堀元見と水野太貴の二人が、JAPAN PODCAST FESTIVALの公開収録で約100人の観客を前に、水野が3年かけて通読した『新明解国語辞典 第8版』から厳選した「極上語釈」を次々と紹介していく内容だ。辞書に込められた編纂者の個性、悪意、そして哲学が浮き彫りになる、言語学ファン垂涎の回となっている。
新明解国語辞典とは何か——通読者が語るその魅力
水野太貴は、約1700ページある『新明解国語辞典 第8版』を3年かけて通読したという異色の経歴を持つ。彼によれば、新明解は「語釈がユニークな辞書」として知られているが、その尖り方は版を重ねるごとに変化してきた。特に第4版が最も尖っていた時期とされ、例えば「恋愛」の語釈には「できれば合体したい」というような表現が実際に存在した。しかし第8版は最新版であり、「もう全然尖っていない」と言われることもある。だが水野は「そんなことはない」と断言する。通読して見つけた「極上の語釈」をピックアップしてきたというのが今回の趣旨だ。
堀元見はこの導入に対して「100人集めてわざわざ言うことか」と軽くツッコミを入れつつも、次第に引き込まれていく。公開収録という特別な場で、観客を前にした二人の掛け合いが、このエピソードの軽妙な雰囲気を最初から決定づけている。
恋愛観が重すぎる——新明解の「恋愛」と「焦がれる」
まず紹介されたのは、クリシェとも言える「恋愛」の語釈である。第8版ではどのように書かれているのか。水野が読み上げた語釈は次のようなものだ。
「特定の相手に対して、他の全てを犠牲にしても悔いないと思うような愛情を抱き、常に相手のことを思っては二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それが叶えられたといっては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」
これを聞いた堀元は「僕、恋愛したことないかもしれない」と驚愕する。「そんなに夢中しなきゃダメ?」「それが人生の全てみたいなこと言ってましたよね」と、あまりの重さに戸惑いを隠せない。水野は、この語釈が「特定の相手に対して」としか書いていない点を指摘し、昔の版が異性愛を想定していたのに対し、第8版では時代のアップデートがなされていると解説する。つまり、表現は相変わらず重いが、対象の限定がなくなったという点で進化しているのだ。
さらに「焦がれる」の語釈も紹介される。「他 の全てを犠牲にしてもそういう状態になってみたいと一途に思い詰める」というもので、堀元は「どうしても重たい恋愛をさせようとしてくるね、新明解は」と苦笑する。
哲学的な語釈——「時間」「命」の定義に挑む
ここからは、新明解の「気合が入った語釈」シリーズが始まる。水野はクイズ形式で、ある語の語釈を先に読み、何の語かを当てさせる趣向を仕掛けた。
「人間の行動をはじめとするあらゆる現象が、その流れの中で生起し、経験の世界から未経験の世界へと向かっていく中で絶えず過ぎ去っていくと捉えられる、二度と元に戻すことはできないもの」
観客から「時間」という正解が出ると、水野は「鋭かったですね」と褒める。この語釈は、鴨長明の『方丈記』の「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」を思わせる哲学的で難しいものだ。堀元は「時間ってそんな難しいんですか、定義」と驚くが、水野は「時間って抽象的ですからね」と答える。対照的に、同じ「時間」を『三省堂国語辞典』(通称「三国」)で引くと、「過去、現在から未来へと少しも留まらずに進んでいくもの」と、はるかにわかりやすい説明になる。三国は「とにかく説明を優しくしよう」という方針の辞書であり、この対比が新明解の特徴を浮き彫りにする。
続いて「命」の語釈も紹介される。「生物が生きている限り持続している、肉体や精神の活動を支える根源の包括的な活動」とあり、さらに「一瞬一瞬生きることの繰り返しとして捉えられる緊張の持続であり、客観的には有限であるが、主体的には無限の連続として受け取られることにその特徴がある」と続く。堀元は「なんで?リラックスしてる時あるぜ俺。緊張の持続なの命って。そいつ悲観的に捉えすぎじゃない?」とツッコミを入れる。水野も「そうですね」と同意するが、この「新明解イズム」こそが代表例だと説明する。
読書と小説——新明解の厳しすぎる文学観
新明解は「読書」に対しても非常に厳しい基準を持っている。水野が読み上げた語釈は次の通りだ。
「研究、調査や受験勉強の時などと違って、一時現実の世界を離れ、精神を未知の世界へ遊ばせたり、人生観を不動のものたらしめたりするために、時間の束縛を受けることなく本を読む方」
さらに続けて、「寝転がって漫画本を見たり、電車の中で週刊誌を読んだりすることは本来の読書には含まれない」と明記されている。堀元は「それ言う必要あった?漢字悪すぎません?こいつ」と怒りをあらわにする。「漫画なんて読書じゃないんですよね」と水野が追撃すると、堀元は「嫌いかも俺、新明解」と完全に敵対心を燃やす。
「小説」の語釈も同様に厳しい。「作者の構想力によって登場人物の言動や彼らを取り巻く環境、風土などを意の赴くままに描写することを通じて、虚構の世界をあたかも現実の世界であるかのように読者を誘い込むことを目的とする文学」とあり、堀元は「虚構の世界をあるかのように錯覚させないといけないんですか」と疑問を呈する。筒井康隆の作品のように明らかに虚構だとわかるものもあるのに、と。
複合語の妙——「異次元空間」「生活態度」に見る編纂者の執念
水野は、新明解を読む際のコツとして「複合語」に注目するようアドバイスする。複合語とは、例えば「緊張」と「感」で「緊張感」のように、二つの要素を連ねてできた語のことだ。通常、複合語の意味は構成要素の足し算でなんとなくわかるが、新明解はそこに異常なほど気合を入れた語釈を書いているという。
その代表例が「異次元空間」だ。語釈は「SFで、我々の住んでいる現実の空間とは別のところにあり、異なった構造、次元を持つとされる空間」と始まり、「多くは4次元以上のものを想像するが、SFでは我々の住む3次元空間と並行して存在するもの(イコール並行世界)としたり、ある出来事の境目として創作された歴史が史実とは異なる方向に進展したものなども含む」と続く。堀元は「オタクが書いた」「クリストファー・ノーランとかを早口で語るオタクが書いてますよね、その語釈」と断言する。水野も「やっぱここ書かないと、いろんな人から攻撃を受けるっていう」と、編纂者が「オタクからの批判を恐れて予防線を張った」結果だと分析する。
「生活態度」の語釈も同様だ。「生きる目標をどこに置くか、毎日の生活のリズムをどのように設定するか、他人・社会との関わりはどうあるべきか、自分をどうやって磨き高め豊かにしていくかなどの基本問題について考えた上で、何も考えないまま漫然と過ごす毎日の生活の仕方」とあり、堀元は「安倍博史で脳内再生されましたよね。何も考えずに過ごす、漫然と過ごす、お前らだからダメだみたいな感じで」と、説教臭さを指摘する。
悪意がにじむ語釈——「器量」「上から目線」「ないものねだり」
ここからは、新明解の「悪意が滲み出ている」と水野が感じる語釈シリーズが始まる。
まず「器量」の語釈。「当該の高いポストを汚さず仕事をやってのけるかという観点から見た、その人の対処能力」とある。堀元は「前半部分いらねえだろって思った」と指摘する。「その人の対処能力」だけで良いのに、わざわざ「ポストを汚さず」というネガティブな条件を付ける必要はない。これは「器量がない奴はポストを汚している」と言いたいがために書かれていると読める。
次に「上から目線」。「(時に勘違いに基づき)相手よりも優位な立場にあることを見せつける態度」とある。水野は「カッコ内でわざわざ言わなくてもいいことを言って誰かを傷つけるのが新明解」と解説する。堀元はここで、自身の失敗談を披露する。かつてPodcast業界のイベントで、年上の女性に「君も頑張りたまえ」的な態度で接してしまい、後でその方が漫画家で論客の瀧波ユカリ先生だったと知り、「偉そうで申し訳ありません」と謝ったというエピソードだ。水野は「これ、上から目線じゃん。時に勘違いによって相手より上から喋っちゃうっていうね」と笑う。
「ないものねだり」の語釈も秀逸だ。「そこにないものを求めて欲しがること。子供のわがまま。本来期待すべきではない点にまで及んだ批評など」とある。堀元は「わざわざ『本来期待すべきではない点にまで及んだ批評など』って、漢字悪いな」と評する。
「論争」の語釈も同様だ。「意見の違う者が互いに自分の説を譲ることなく主張する(し、ついには第三者から見ればどうでもいいことまで議論し合うこと)」とある。堀元は「SNSの論争ってほぼ全部そうですね」と同意するが、水野はここで「価値のある論争」の例として「大四つホールド起源論争」を挙げる。これは2020年に行われた、エロ漫画の特定の体位(女性が男性に足を絡めて膣内射精を促す行為)を最初に「大四つホールド」と命名したのは誰かという論争で、文献学の知見を用いて過去の2chの書き込みと主張者のツイートを照合し、信憑性を検証したという。堀元は「非常に価値のある論争ですよね」と真顔で語るが、水野は「TBSですよ。厳しいってお前」と、公開収録の場にそぐわない話題に冷や汗をかく。
厳しい世界を生きる新明解——「実社会」「人生経験」と公務員嫌い
「実社会」の語釈は、新明解のネガティブさが最も顕著に表れたものだ。「(美化・様式されたものとは違って)複雑で虚偽と欺瞞に満ち、毎日が試練の連続と言える厳しい社会を指す」とある。堀元は「命の時も緊張の連続って言ってみたり、実社会って言ってだいぶ厳しい世界を生きてますよね」と呆れる。
水野はここで、辞書編纂の実情について重要な補足をする。辞書は決められたページ数の中にできるだけ多くの語を収録したい。新語(例えば「制覇」の新しい用法など)を載せるために、使われなくなった語(MD、企業戦士、コギャルなど)を削る必要がある。そんな中で、わざわざ「命」や「異次元空間」にこれだけのスペースを割いているのは、相当な意思がなければできないことだ。つまり、新明解の編纂者は「どうしても書きたい」と思ってこれらの語釈を書いているのだ。
「人生経験」の語釈も同様だ。「順調に人生を送ってきた人にはわからない、実社会で多くの困難を克服してきた経験」とある。堀元は「やっぱり詐欺に引っ掛けた直後に書いてますよね」と冗談めかして言うが、水野は否定する。
さらに、新明解の「毒系」を手軽に知りたい人向けのコツとして、水野は「俗」という漢字が含まれる熟語を引くことを勧める。「俗物」「俗称」「俗筆」「俗吏」などがそれだ。
「俗物」の語釈は「社会的に高い地位を得たい、金持ちになりたい、人からよく思われたいといった欲求のみが念頭にあって、ややもすれば利己的な、虚栄心に駆られた言動に陥りやすい傾向のある人」とある。堀元は「『のみ』ってことはねえだろ。俗物ってグラデーションですよね」と反論するが、水野は「ぴったり俗物です」と切り返す。
「俗吏」は「何事につけても役所の規則だからというだけで、少しも人民の事情を考えてやろうとしない役人」と定義される。堀元は「公務員の皆さんって結構頑張ってくれるよな。そんな悪く言わなくてもいいですよね」と擁護するが、水野は「新明解は公務員が嫌いなんですよ」と断言する。さらに「公僕」の語釈も紹介される。「権力を行使するのではなく国民に奉仕する者としての公務員」とあり、一見良い言葉だが、続けて「ただし実情は理想とはほど遠い」と書かれている。堀元は「嫌いだね、公務員」と笑うが、自身の最近の区役所での体験(転入届や免許の住所変更)では、職員が皆とても親切だったと語る。水野は「発売後に急激に行政が良くなった」と冗談めかして言うが、実際には新明解が編纂された時代(昭和中期)は公務員の汚職が横行していた時期であり、その時代背景が反映されている可能性が示唆される。
「低俗」の語釈も強烈だ。「好みや言説、傾向などが品性の卑しさ、粋の足りなさを見せつけるだけであって、精神を高めたり充実感を与えたりするものではありえない様子」とある。堀元は「漢字悪いなぁ。やっぱ悪口をすごく言いたい」と評する。水野は、これらの「俗」を含む熟語の語釈が、同じ「俗」という字を使っているにもかかわらず、全く被っていない点を指摘する。「俗筆」では「風格」にフォーカスし、「俗吏」では「威張る」と言い、「低俗」では「品性の卑しさ」を強調し、「俗物」では「欲求のみが念頭」と、豊富な語彙でバカにしている。堀元は「さすがは辞書編纂者、語彙があるんですね。同じようなことを言う時にも違う語彙でバカにするという強い意思です」と感心する。
真骨頂は基本語にあり——「大きい」「重い」「わかる」の定義
ここが、水野が最も強調したかったポイントだ。新明解は「変な辞書」というイメージで語られがちだが、その真骨頂は「基本語」の定義にある。基本語とは、我々が意味をわかっていると思っている言葉、例えば「見ればわかる」ような言葉のことだ。しかし、それを言葉で説明しようとすると、非常に難しい。新明解はそこに全力を注いでいる。
まず「大きい」の語釈。「目に見える形を備えていて互いに比較することができるものについて、問題となるものが比較される他方を包み込んだと見なされる状態になり、なおかつ余りがあると想定できる様子」とある。堀元は「体積に注目すれば、包み込んだ時により余裕がある方が大きい方」と理解を示す。水野は「手掛けば大きい」と、サイズや大きさという言葉を使わずに「大きい」を説明できる点を評価する。
「重い」の語釈。「比較の対象とする一般に予測される状態と比べて、そのものを支え持ったり動かしたりするのに、大きさから受けた感じ以上の大きな力を必要とする状態」とある。さらに、抽象的な用法として「強い力で抑えつけられているような感じで消極的な気分を抱かざるを得ない様子」も説明されている。
「わかる」の語釈は特に秀逸だ。「未解決とか未確認の事柄について、推理・推論を巡らしたり、適切な情報を拠り所にしたり、実際に経験したりして、確信の持てる、あるいは客観性のある判断が下せる状態になる」とある。堀元は「こんな長くなるんですね。だから『わかる』って言おうと思うと」と驚く。水野は、この語釈が「この問題わかる?」と聞かれて「わかるよ」と解いてみせるような場面で使われる「わかる」の説明になっていると解説する。
対照的に、『三省堂国語辞典』の「わかる」の語釈は「頭の中で、はっきりしていなかったものがはっきりする。知れる」と、非常にシンプルだ。堀元は「すごい三国っぽいわ」と、三国のわかりやすさを称賛する。三国の「大きい」も「大きい物や場所がかなりの空間を占める状態」と簡潔だ。水野は「新明解を読んで基本語が長くなっているなと当たりをつけた後、三国を通読すると、その箇所でいちいち注意をして読むことができる」と、二つの辞書を併用する楽しみ方を提案する。
まとめ
このエピソードは、単なる「変な辞書の紹介」に留まらない。新明解国語辞典という一冊の辞書に、編纂者の個性、時代背景、そして言葉への真摯な向き合い方が凝縮されていることを、具体的な語釈の数々を通じて浮き彫りにした。特に「基本語」の定義に注がれた執念は、辞書というメディアの本質を考えさせる。我々が当たり前のように使っている言葉を、改めて定義しようとする営みの難しさと面白さ。そして、三省堂国語辞典との対比によって、辞書ごとに異なる「哲学」があることが明確になった。言語学ファンはもちろん、言葉に関心があるすべての人にとって、辞書を読むことの楽しさを再発見させる、価値の高い回だった。
要点
- 新明解国語辞典第8版は「尖りがマイルドになった」と言われるが、通読すると依然として個性的な語釈が多数存在する。
- 「恋愛」の語釈は「他の全てを犠牲にしても悔いない」という重い内容だが、第8版では「特定の相手に対して」と対象を限定しない形にアップデートされている。
- 「時間」「命」などの抽象的な基本語に対して、哲学的で長大な語釈を書くのが新明解の特徴であり、三省堂国語辞典の簡潔さとの対比が際立つ。
- 「読書」「小説」の語釈は非常に厳しく、漫画や週刊誌を読むことは「本来の読書には含まれない」と明記されている。
- 「器量」「上から目線」「ないものねだり」など、悪意や毒がにじむ語釈が多数存在し、編纂者の個性が強く反映されている。
- 「俗物」「俗吏」「低俗」など「俗」を含む熟語の語釈は、豊富な語彙で同じ対象を多角的にバカにしており、辞書編纂者の語彙力の高さが伺える。
- 新明解の真骨頂は「大きい」「重い」「わかる」などの基本語の定義にあり、循環語釈を避けながら言葉を説明しようとする執念が感じられる。
- 三省堂国語辞典と比較することで、辞書ごとに異なる「哲学」(新明解は抽象的で深く、三国は優しく簡潔)があることが理解できる。