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ゆる言語学ラジオ · 2026年5月13日

言語学者が炎上した。なぜ? #451

AI generated article / ja / study
この記事でわかること
  • 言語学者ウォーフが炎上した理由——その功罪と現代的な意義を徹底検証 「be going to」は未来を表すが、文字通り「どこかに行く」わけではない。この当たり前の事実を出...
  • [0:02] ウォーフの主張と「文法化」という視点 ウォーフは、ホピ語の時間表現が英語と根本的に異なると主張した。具体的には、ホピ族は世界を「現れたもの」と「現れつつある...
  • 文法化とは、具体的な意味を持つ語が、抽象的な文法的役割を担うようになる現象を指す。「be going to」が未来を表す時制に変化したのが典型例だ。もともと「go」は具体...
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英語Podcastの要点を、聴く前に日本語で把握したい人。

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ゆる言語学ラジオ / Yuru Gengogaku Radio

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言語学者ウォーフが炎上した理由——その功罪と現代的な意義を徹底検証

「be going to」は未来を表すが、文字通り「どこかに行く」わけではない。この当たり前の事実を出発点に、言語学者ベンジャミン・リー・ウォーフがなぜ学界で激しく批判されたのか、そして彼の主張にはどのような価値が残されているのかを、ホストの堀元見と水野太貴が軽妙な掛け合いを交えながら深掘りしていく。前回に続くウォーフ論の第二回目であり、彼の「サピア=ウォーフ仮説」をめぐる批判の本質と、現代における再評価の可能性を、具体例を豊富に用いて論じている。

0:02ウォーフの主張と「文法化」という視点

ウォーフは、ホピ語の時間表現が英語と根本的に異なると主張した。具体的には、ホピ族は世界を「現れたもの」と「現れつつあるもの」、つまり客観的世界と主観的世界に二分して認識していると述べた。この主張は一見すると説得力があるが、水野はこれに対して「文法化」の観点から批判を展開する。

文法化とは、具体的な意味を持つ語が、抽象的な文法的役割を担うようになる現象を指す。「be going to」が未来を表す時制に変化したのが典型例だ。もともと「go」は具体的な移動を表す動詞だったが、それが未来を表す抽象的な文法範疇に変わったのである。同様に、英語の完了形「have + 過去分詞」も、元々は「I have my work finished」(私は終えられた状態の宿題を持っている)というSVOCの語順だったものが、文法化を経て「I have finished my work」という現在の形になった。

ウォーフはホピ語について、過去を表す際に「原因を表す設備字」を用いると述べている。例えば「食べた」を表すには「それは食べられることがやむ」という直訳になる表現を使うという。これは「現れたもの」を表現する際の形式だとウォーフは説明した。しかし水野は、このような直訳が奇妙に聞こえるのは、どの言語でも時制やアスペクトを直訳すれば奇妙になるのが当然だと指摘する。

06:22日本語の「た」から見えるウォーフの誤謬

日本語の過去を表す「た」は、もともと「てあり」から変化したものである。「てあり」は「〜して存在する」という意味だった。もしウォーフが日本語の「てあり」が「たり」に変化し始めた時代に日本に来ていたら、「日本人は過去を表すのに『存在』の言葉を使っている。我々とは時間感覚が全く異なる」と主張したかもしれない。

しかし現代の日本語話者は、「食べた」と言うときに「てあり」を意識していない。これは、時制やアスペクトといった文法範疇が、もともと別の意味だった言葉を転用して生まれるという「文法化」の普遍的なプロセスを示している。つまり、ある言語の時制やアスペクトを直訳すると奇妙に聞こえるのは当然であり、それを以て「この言語の話者は時間を異なる方法で認識している」と結論づけるのは飛躍だというのが、水野の批判の核心である。

さらに、日本語の「た」は時制(テンス)だけを表すわけではない。「あ、今日は彼女の誕生日だった」の「た」は過去ではなく発見を表し、「宿題がやっと終わった」の「た」は完了(アスペクト)を表す。つまり日本語の「た」はテンス、アスペクト、モダリティ(話し手の判断や認識)の三つを兼ねている。言語によって、テンスで多くをカバーする言語、アスペクトでカバーする言語、モダリティでカバーする言語があり、ホピ語はテンスが発達しない代わりにアスペクトでやりくりしているにすぎない。これを「時間の捉え方が違う」と解釈するのは誤りだと、水野は論じる。

11:48ウォーフの論法——「ほぼコウメ太夫」説

ウォーフに対するより厳しい批判として、ドイッチャーの著書『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』で紹介されている論点が取り上げられる。ウォーフの得意とした論法は、「風変わりな文法的特徴を一つ提示し、『したがって』という一語を挟んで、極めて風変わりな思考の仕方を導く」というものだ。堀元はこれを「ほぼコウメ太夫」と揶揄する。コウメ太夫のネタが「○○だと思ったら××でした。ちくしょう」という定型フォーマットを持つのと同様に、ウォーフも「Aである。したがってBである」という定型で、文法的事実から驚くべき認識論的結論を導き出していたというわけだ。

具体例として、ウォーフの著書『言語・思考・現実』154ページにある表が紹介される。そこではホピ語と英語の表現が並べられており、例えば英語の「He is running」(彼は走っている)と「He ran」(彼は走った)が、ホピ語ではどちらも同じ「ワーリー」のような形になる。これはホピ語が確定した事実に対して同じ形式を用いるからだとウォーフは説明する。しかし問題はその後の飛躍だ。ウォーフは「ホピ語には時間という名詞すらない。彼らの物理学の方程式の中にt(時間)は含まれないだろう」とまで書いている。文法的な特徴から、ホピ族の世界観や科学の可能性にまで飛躍した結論を導くこの論法こそが、批判の的となった。

堀元はこの論法を、ひろゆきの著書『1%の努力』における議論と比較する。ひろゆきは「努力はあまり意味がない」と主張し、その論拠としてジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を挙げた。同書では、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を征服した理由として、ユーラシア大陸が東西に長かったことが挙げられている。ひろゆきはこれを「大陸の長さによって誰が勝つかが決まるのだから、個人の努力は無意味」と解釈した。これは明らかに議論のスケールを誤った飛躍であり、ウォーフの論法と構造的に同じだと堀元は指摘する。

15:47ホピ語調査への疑惑——サンプルバイアスと後続研究

ウォーフ批判のさらに深刻な点として、彼の調査方法そのものへの疑義が提起される。ウォーフはホピ語を長期にわたって慎重に観察したと主張するが、実際にはニューヨークに住んでいたたった一人のホピ族インフォーマントとの対話が調査のベースになっていた。ドイッチャーの本では「ウォーフはアリゾナに一度も行ったことがない」と書かれているが、一方で『言語・思考・現実』の編者解説には「アリゾナ州のホピ族保護地域でしばらく滞在する機会を得た」とも書かれており、情報が割れている。いずれにせよ、インフォーマントは基本的にニューヨーク在住の一人に頼っていたようだ。

さらに問題なのは、ウォーフの主張と後続の研究結果との矛盾である。ウォーフはホピ語には「時間」に相当する単語や文法形式、表現がないと述べた。しかし、後にホピ語の野外調査を行ったマロトキという言語学者が書いた『Hopi Time』では、数多くの時間表現および時制とアスペクトが記述されている。ウォーフの調査とマロトキの調査の間には約40年の開きがあるため、「40年の間にホピ語が劇的に変化した」という仮説を立てれば両方の主張が正しかったことになるが、文法化は非常に時間のかかるプロセスであり、40年で時制やアスペクトが急激に発達するとは考えにくい。

また別の研究者によれば、ホピ語には「1日」のような時間単位を表す語に複数形があり、空間についての表現が時間についての表現に転用されることもあるという。これもウォーフの調査から約20年後の研究だが、この間に言語が変化したのか、それともウォーフが意図的にこの点を省いたのかは不明である。

さらに、ウォーフに関連して有名な「イヌイットは雪を表す語が400以上ある」という説も、実はウォーフの誇張が拡大解釈された結果であることが紹介される。元々はサピアの師匠であるボアズが「イヌイットは互いに関連のない語根を使って雪を表す」と述べただけだった。それをウォーフが「語根を7つに増やし、もっとあるかもしれない」とほのめかし、さらにその論文があちこちで引用されるうちに「400以上ある」という数字にインフレしたという経緯がある。

20:18ウォーフの仮説は今こそ必要——西洋中心主義への警鐘

ここまでウォーフへの批判を列挙してきたが、水野は「だからといってウォーフの主張がデタラメで無価値だったわけではない」と強調する。ウォーフが注目を集めた理由は、当時広がっていた西洋中心の言語観や世界観に猛烈に反発したからだ。ウォーフは著書の中で「平均的ヨーロッパ標準語」という言い方をわざわざ用いて、西洋中心主義に警鐘を鳴らしていた。彼は自らの説を「言語相対論」と呼び、言語は西洋語が一番で先住民の言葉は劣っているのではなく、それぞれにそれぞれの良さがあるという相対主義的立場を取った。

ウォーフの著書『言語・思考・現実』に収められた論文のタイトルには「科学」という言葉が頻繁に使われている。例えば「科学と言語学」という論文の中で、ウォーフは「言語学的な視点が科学に対してなす一つの重要な貢献は、物を見る我々の視点がより広く拡大されることだ」と述べている。これは、先住民の言語を知ることで「英語が一番優れた言語」という思い込みを相対化し、それぞれの言語に魅力があることを発見していくプロセスそのものだった。

具体例として、ウォーフはホピ語で「犬」を表す単語が、愛玩用の動物なら何でも指せることを挙げる。つまり「ワシ犬」と言えば愛玩用のワシを意味する。これに対して「原始的言語の気まぐれだ」と思うかもしれないが、英語の「hand」を見てみよう。「his hand」は人体の一部を指すが、「our hand」は時計の針、「all hands on deck」は乗組員、「a good hand at gardening」は庭仕事の上手な人、「hand」はトランプの手札も指し、「He got the upper hand」は優勢を意味する。英語の方がむしろ「hand」で何でも指している。つまり、ホピ語も英語も構造的には変わらないのだ。

25:18ウォーフの思想と危険性——バズる思想の光と影

ウォーフの思想は、現代で言えば「インフルエンサー」のそれに近いと水野は指摘する。伝えたいことがあって、社会はもっとこうあるべきだという強い思いが、エキセントリックな主張を生み出す。ウォーフ以前にも、同じような主張でバズった言語学者がいた。それがドイツの言語学者ヴァイスゲルバーである。彼は「集団によって規定された言語的中間世界」という概念を提唱し、ある言語を使うとその言語話者が認識する世界があると主張した。これは「母国語」という概念を強調することになり、ナショナリズムと結びつけられ、第二次世界大戦後には大学から追われることになった。

このように、サピア=ウォーフ仮説は「付き合い方を間違えると危険な思想」でもある。「日本語話者にしか知覚できない世界がある」と言われれば、隣に住む日本手話の話者とは分かり合えないという排他的な言説に利用されるリスクがある。しかしウォーフ自身は、当時非常に高い地位にあった英語(引用語)を相対化し、「すべての言語には他言語で代えられない特徴があり、この点を意識すると人は謙虚な態度を持ち、すべての人間に対する兄弟愛が導かれる」と書いている。つまりウォーフは多様性の文脈で言語相対論を強調したのであり、それが悪いバズり方をしなかった理由だと考えられる。

驚くべきことに、ウォーフは1941年、真珠湾攻撃の直前で日米関係が冷え込んでいた時期に、日本語の構造を「ラブリー」と評している。特に「象は鼻が長い」のような二重主語構文を「美しいパターン」と称賛した。当時のアメリカの雰囲気に反して敵国の言語を褒めるこの姿勢には、相当な勇気が必要だったはずだ。このような「兄弟愛・人類愛」のスタンスを徹底していたからこそ、ウォーフはヴァイスゲルバーのように悪い方向でバズることはなかったと水野は結論づける。

30:25まとめ——ウォーフを読むべき理由

ウォーフへの批判を整理すると、第一に「食べられることがやむ」のような直訳の奇妙さはどの言語でも起こりうることであり、それを以て時間認識の違いを主張するのは誤りであること、第二にホピ語の調査自体に疑義があり、後続の研究では時間表現が多数確認されていること、の二点に集約される。しかし、だからといってウォーフの主張がデタラメで読む価値がないわけではない。

ウォーフが本当にやりたかったことは、サピア=ウォーフ仮説を通じて西欧中心的な「西洋語が一番」という思想を相対化することだった。その手段として、風変わりな文法的特徴を提示して読者を驚かせ、その間に説得するというスキルが必要だったのだ。これは、水の結晶の話を使って「悪口を言うと汚い結晶になる」と主張する疑似科学的な手法と構造的には同じだが、ウォーフの場合は目的が「多様性の尊重」という先進的な思想だったため、現代でも評価されている。

次回は、サピア=ウォーフ仮説を題材にしたSF映画『メッセージ』の感想を語る回が予定されている。ウォーフの著書を読んだ上で映画を批評するという試みは、言語学とポップカルチャーの交差点として興味深い内容になりそうだ。

要点

  • ウォーフはホピ語の時間表現が英語と異なることから、ホピ族の時間認識が西洋人と全く異なると主張したが、これは「文法化」という普遍的な言語現象を無視した誤った解釈である
  • 日本語の「た」も「てあり」から文法化したものであり、もしウォーフが日本語を分析すれば同様の誤った結論に至った可能性がある
  • ウォーフの論法は「風変わりな文法的特徴→したがって→驚くべき認識論的結論」という定型パターンで、ひろゆきの『1%の努力』における議論と構造的に類似している
  • ウォーフのホピ語調査はたった一人のインフォーマントに依存しており、後続の研究ではホピ語に豊富な時間表現が確認されている
  • ウォーフの真の意図は西洋中心主義への反発と多様性の尊重であり、1941年の日米関係悪化時に日本語を「ラブリー」と評した姿勢にその思想が表れている
  • サピア=ウォーフ仮説は排他的ナショナリズムに利用される危険性もあるが、ウォーフ自身は「兄弟愛・人類愛」のスタンスを貫いたため悪用を免れた
  • ウォーフの主張は学術的には批判が多いが、言語の多様性を尊重する思想的価値は現代でも有効である