
結局「推し」って何? 専門家に聞いてみた #445
- 専門家に聞いてみた #445 概要 「推し」という言葉が一般化した現代において、その本質を認知科学の専門家・久保(川合)南海子先生を迎えて徹底的に掘り下げた回。堀元見と水...
- [0:42] 推しの定義——自分から働きかけるもの 久保先生はまず、「推し」と「ファン」を明確に区別する。「推し」とは、単に好きな対象を受動的に消費・鑑賞するだけではなく...
- 堀元はこの定義に照らして、自身が好きな芸人・児竹正義館のイベントに行こうとした経験を語る。チケットを取り損ねたものの、「行こうとした」という行為自体が推しの定義に近づく。...
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ゆる言語学ラジオ / Yuru Gengogaku Radio
結局「推し」って何? 専門家に聞いてみた #445
概要
「推し」という言葉が一般化した現代において、その本質を認知科学の専門家・久保(川合)南海子先生を迎えて徹底的に掘り下げた回。堀元見と水野太貴の両ホストが「推しとは自分から働きかけるもの」という定義を軸に、自身の人生における「推し」の有無や、恋愛規範・ワークライフバランス・人間のコア(核)といったテーマへと議論が自然に拡散していく。久保先生の鋭い分析と、ホスト二人の赤裸々な自己開示が交錯し、結果的に「推し」という概念を通して人間の主体性と幸福の形を問い直す、深くも軽妙な対話となっている。
推しの定義——自分から働きかけるもの
久保先生はまず、「推し」と「ファン」を明確に区別する。「推し」とは、単に好きな対象を受動的に消費・鑑賞するだけではなく、自分から能動的に働きかけるものだと定義する。投げ銭、ライブに行く、インターネット上のコンテンツをわざわざ見に行くといった行動が「働きかけ」にあたる。テレビで流れてきたものを面白いと思って見るのは「ファン」であって「推し」ではない、というのが久保先生の立場だ。
堀元はこの定義に照らして、自身が好きな芸人・児竹正義館のイベントに行こうとした経験を語る。チケットを取り損ねたものの、「行こうとした」という行為自体が推しの定義に近づく。一方で水野は、自分には「推し」と呼べる対象が人生で一度もいなかったと告白する。世間で言われるような「推しの浮気騒動でご飯が食べられなくなる」レベルのめり込みが理解できないという。
ここで久保先生は、堀元と水野にもそれぞれ「推し」が存在すると指摘する。堀元にとっては「コンテンツ作り」、水野にとっては「言語学」がそれにあたる。二人は「自分から働きかけている」という自覚がなかったが、久保先生の定義に照らせば、自ら本を書き、コンテンツを生み出し続けている時点で立派な「推し活」だという。堀元は「言語学が俺に働きかけてきてるだけだ」と反論するが、久保先生は「自分で本を書いてるもん」と一蹴する。
完全メシ推し——日常に潜む推し活
議論は意外な方向へ。堀元と水野が熱狂的に語り出すのは、日清の「完全メシ」シリーズだ。堀元は「完全メシは僕の推しです」と断言し、冷凍タイプの完全メシを定期購入していることを明かす。水野も「完全メシは推しですよ」と同調し、二人は息ぴったりで商品の魅力を語り始める。
冷凍完全メシは日清職員オンラインストアでしか買えず、5食から購入可能。堀元は10食セットが2週間に一度届くように設定しており、ほぼ1日1食のペースで食べているという。「僕の魂を完全メシに売ってる」と自嘲気味に語る堀元に対し、久保先生は「主導権を推しの対象に握られてませんか」と鋭くツッコむ。しかし堀元は「完全に握られてもいいですから」と開き直る。
さらに堀元は「日清食品ホールディングスの株を買いました」と告白。これはまさに「推し」への課金行動そのものだ。久保先生は「オタクの人がハマったコンテンツの制作会社に課金するのと全く一緒ですね」と分析する。二人の完全メシ推しは、久保先生に「久しぶりにめっちゃオタクから布教される体験をした」と言わしめるほど熱量が高かった。
この流れで、推しにハマるきっかけとして「友人知人からの勧め」が非常に多いことが語られる。勧める側は「誰にでも言ってるわけじゃなく、より仲良くなりたい人に勧める」という。つまり、推しの布教は親密さを深めるコミュニケーション手段でもあるのだ。
推しとの距離感——リアルとファンタジーの境界
堀元は、推しのハードルについて誤解していたことを認める。世間のイメージでは「推しが結婚したらショックで寝られない」ようなレベルのめり込みが必要だと思っていたが、久保先生によれば推しのスタイルは多様化している。恋人感覚の人もいれば、応援したい人、育てたい人もいる。ライトなファン層も含めて「推し」という言葉が使われるようになり、表出しやすくなったという。
ここで興味深いエピソードが紹介される。堀元のフォロワーで、共通の友人が「堀元のことがそんなに好きなら飲み会をセッティングしようか」と提案したところ、そのフォロワーは「それは嫌だ」と断ったという。推しと現実で接点を持ちたくないという感覚だ。堀元自身も、長年コンテンツを見続けている「モノノケ」というYouTuberと実際に会う予定があり、緊張していると打ち明ける。アイコンはピンク髪の少女だが、中身はおじさん。そのギャップに「ショックで死ぬんじゃないか」と本気で心配している。
久保先生は、推しの「リアリティ」は人によって大きく異なると解説する。二次元キャラのイベントに声優を見に行く人もいれば、「声優は違う」と線引きする人もいる。推しと結婚するのは非常に珍しいからこそ話題になるのであって、通常は推しとの間に適切な距離感を保つものだという。
ワークライフバランスの本質——求められることと求めること
堀元が以前書いた「マイクの前で死にたい」という記事が話題になる。堀元は「収録毎日あって、疲れ切ってそのまま寿命を迎えて死んだら最高」と語る。水野が「推しに殺されるってことですね」とまとめると、堀元は「それめっちゃ幸せ」と笑う。
ここで久保先生が、自身が11年前に出版した『女性研究者とワークライフバランス』の話を持ち出す。久保先生は従来のワークライフバランス観を批判する。仕事も子育ても介護も、結局は「人から求められてやること」だ。重要なのは「ワークとライフのバランス」ではなく、「求められることと求めることのバランス」だと主張する。
堀元はこの考え方に強く共鳴する。自分は「全てを仕事にしたい」タイプで、趣味も仕事に結びつけようとする。周りからは「純粋な趣味を持った方がいい」と言われるが、堀元にとっては「やりたいことをやって、ついでにお金になってるだけ」だ。久保先生は「堀本さんは求められることと求めることが一致していて、非常にバランスが取れている」と断言する。堀元は「初めて理解してくれた」と感激する。
水野はこの議論に「怖い面もある」と指摘する。推しに全てを捧げる生き方は、それがダメになった時に何も残らなくなるリスクがある。しかし久保先生は「いっぱいコンテンツがあるから大丈夫」と軽く流す。
コアの有無——人間の深さをめぐる議論
水野が長年抱える悩みが明かされる。「人間としての深みやコア(核)のようなものがなくて、自分は浅いんじゃないか」というものだ。水野は「浅い」を「他人の行動予測の精度が高く、モデルを作るまでの時間が短い」と定義する。堀元はさらに「水野は深さの定義も浅い」と追撃する。
水野の高校時代の友人・鶴見は「水野には誰にも見せたくない本当のエゴの部分、覆い隠してる部分が感じられない」と評したという。久保先生はこの話を聞き、「鶴見さんは水野さんに存在するかわからないコアをプロジェクションしていた」と分析する。つまり、コアがあるはずだという前提で相手を見ているのだ。
久保先生は「コアなんていらない」と断言する。「挫折から学べると思ってるんですか?」と水野に問いかけ、挫折がなくても学べるときはあるし、挫折があっても学べないときもあると指摘する。堀元はこの考え方を、漫画『喧嘩稼業』のあるシーンと重ねる。敗北から学んだと語るキャラに対し、最強のキャラが「敗北から学べるものなど何もない。それはお前が負けたことに意味をつけたいだけだ」と言い放つ場面だ。
久保先生は「挫折は手段の一つに過ぎない」と結論づける。水野の悩みは「辛い体験をした人がマウントを取っているだけ」という見方も示す。
恋愛というファンタジー——社会規範との葛藤
堀元は「恋愛規範にハマれてない」と打ち明ける。「恋人に『君が世界で一番大事だ』という空気を出さなきゃいけない暗黙の了解があるが、それは嘘じゃないか。別れたら明日からも楽しく生きていくのに」という。このファンタジーに全力で乗っかるのがきついという。
久保先生も共感を示す。アニメ『君の名は。』が大ヒットした時、「こんなファンタジーをみんな素敵だと思って受け入れていることにショックを受けた」と語る。堀元はさらに『バクマン。』を例に挙げ、登場人物全員が「運命の人がいて、そのためにずっと頑張り続ける」というストラテジーに従っていることを指摘する。
久保先生は、こうしたファンタジーは恋愛に限らず社会のあらゆる場面に存在すると指摘する。例えば「会社員に経営者意識を持て」という要求も同じだ。従業員が経営者目線を持てと言われても、利益には預かれないのに苦労だけ同じように負うのは不合理だ。久保先生は「本当にできる人が雇われの視点を持ったら、苦しくなって離職する」と警告する。
では、どう向き合えばいいのか。久保先生の答えは「ファンタジーに振り回されないこと」だ。「あなたはいつかいなくなるだろうけど」とぼんやり思いながら、うまく表出して過ごせばいい。ただし、職場で「私はファンタジーに乗らない」と宣言すると仕事がうまくいかないので、そこそこに乗りつつ、少しずつ自分の考えを表現することが大事だという。
コアのない生き方——踊り手としての幸福
水野の「コアがない」という性質は、実は長所でもあると久保先生は指摘する。水野は「舞台を与えられたらビタビタに踊れる人」であり、堀元は「自分で振り付けをしたい人」だ。どちらが優れているわけではなく、それぞれに適した役割がある。
水野は「正月に今年の目標を聞かれるのが嫌。だって別にないし」と語る。堀元は「それは違う。目標を立てたらそれに向かって動くんだから」と反論するが、水野は「自分で立てられるってことでしょ。俺は逆算してるだけ」と返す。久保先生は「水野さんは『こうあってほしいな』から逆算している。『こうしたい』ではない」と分析する。
堀元は「童貞いじり」のような不快な場面に遭遇すると、それに対抗するコンテンツを作りたくなるという。これこそが「コア」の現れだ。一方、水野は「そういう場に行かないようにする」という回避策を取る。久保先生は「不快な場所を減らすことにリソースを使ってきた結果、そういう場に立ち入らなくなった」と解説する。
水野は「コアがあるように見える」という誤解も抱えている。メガネをかけ、編集者という肩書きを持ち、文学部出身で読書が好き——これらの要素が「深い思想を持っている」という印象を与えてしまう。しかし実際は「ただの地方の陽気な家に生まれた陽気なやつ」だという。鶴見からは「最初にマイルドヤンキーですと自己紹介しろ」とアドバイスされたそうだ。
まとめ
このエピソードは、「推し」という一見軽いテーマから出発しながら、人間の主体性、幸福の形、社会規範との付き合い方という深遠な問いにまで到達した。久保先生の「推しとは自分から働きかけるもの」という定義は、仕事も趣味も恋愛も含めた人生全体の捉え方を変える視点を提供する。堀元と水野という対照的な二人のホストが自身の内面を赤裸々に開示したことで、理論と実感が交錯する密度の高い対話が生まれた。特に「コアがなくてもいい」「求められることと求めることのバランスが大事」というメッセージは、現代を生きる多くの人の悩みに響くものだろう。
要点
- 「推し」とは「自分から働きかけるもの」であり、単に好きなだけの「ファン」とは異なる。投げ銭やイベント参加などの能動的行為が推しの本質。
- ワークライフバランスの本質は「ワークとライフのバランス」ではなく、「求められることと求めることのバランス」。自分から能動的に求める活動ができていれば、たとえ仕事に没頭していてもバランスは取れている。
- 人間の「コア(核)」は誰にでもあるとは限らない。コアがない人は「舞台を与えられたら踊れる踊り手」タイプで、それも十分に価値のある生き方。
- 恋愛規範や「経営者意識を持て」といった社会のファンタジーには、完全に乗る必要はない。うまく表出しながら、自分なりの距離感で付き合えばよい。
- 挫折は人間を深くする唯一の手段ではない。成功から学ぶこともでき、挫折がなくても深みは得られる。
- 推しにハマるきっかけは友人からの勧めが多く、布教行為自体が親密さを深めるコミュニケーション手段でもある。
- 久保先生自身、40代半ばで初めて「自分から主体的にやりたい研究テーマ」に出会った。主体性は年齢を問わず後から獲得できる。