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ゆる言語学ラジオ · 2026年5月13日

(笑)とw、どっち使えばいいの?#444

AI generated article / ja / study
この記事でわかること
  • 概要 「(笑)」と「w」、どちらの笑い記号を使うべきか——この一見些末なテーマから、テキストコミュニケーションにおける加害性の自覚、モテテクニックの暴力性、そして「よく生...
  • [0:02] (笑)かwか——笑い記号の流派と世代 堀元はLINEやX(旧Twitter)でのテキストコミュニケーションにおいて、相手が「(笑)」派か「w」派かを見極めて...
  • ここで興味深いのは、堀元が「相手が背の内を見せないとこっちもオープンできない」と語るように、笑い記号の選択には「嘲笑われるんじゃないかという恐怖」が常に伴うという点だ。水...
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出典Podcast

ゆる言語学ラジオ / Yuru Gengogaku Radio

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概要

「(笑)」と「w」、どちらの笑い記号を使うべきか——この一見些末なテーマから、テキストコミュニケーションにおける加害性の自覚、モテテクニックの暴力性、そして「よく生きる」ことへの深い考察へと至る、ゆる言語学ラジオらしい知的冒険の回。堀元見(ホリモト)と水野太貴(ミズノ)の二人は、笑い記号の使い分けを出発点に、相手に合わせてスタイルを変える「笑いカメレオン」的戦略と、自分のスタイルを貫く姿勢の違いを語り、やがて「男は生きているだけで加害」というフレーズに象徴される、存在そのものの加害性とどう向き合うかという人生観にまで話を広げていく。軽妙な雑談の奥に、現代を生きる知性の倫理が透けて見える、密度の高い一時間だった。

0:02(笑)かwか——笑い記号の流派と世代

堀元はLINEやX(旧Twitter)でのテキストコミュニケーションにおいて、相手が「(笑)」派か「w」派かを見極めてから自分のスタイルを合わせるという、徹底したカメレオン戦略を取っていると告白する。その背景には、「(笑)」を使うと「おじさんみたい」と言われた中学時代のトラウマがある。一方、水野は「生の笑い」(カッコなしの「笑い」)しか使わないという明確なスタイルを持っており、Xでは笑い記号自体を使わず、「何々で笑う」「何々マジ面白え」といった表現に置き換えている。

ここで興味深いのは、堀元が「相手が背の内を見せないとこっちもオープンできない」と語るように、笑い記号の選択には「嘲笑われるんじゃないかという恐怖」が常に伴うという点だ。水野は「生の笑い」が最も嘲笑われにくいデファクトスタンダードだと確信しており、その選択は「社会において俺たちの世代はこれだっていうデファクトスタンダードを発見したから」という合理的な判断に基づいている。しかし堀元は、相手が笑い記号を使ってきたらそれに合わせて自分も同じスタイルで返すと明言し、水野から「笑いカメレオン」と評される。

さらに、2ちゃんねる由来の「草」文化についても言及される。「短芝」(一文字の「w」)は嘲笑の対象として使われていたため、二文字以上で使うのがマナーだったという歴史がある。水野は「草」という表現自体に「ちょっとオタクな感じ」がして使わなかったと振り返るが、堀元は水野の影響で最近「草」を普通に使うようになったと明かす。このように、笑い記号の選択は単なる好みではなく、世代、コミュニティ、そして「加害性」への感度にまで影響される複雑な問題であることが浮かび上がる。

7:31目上の人に(笑)を使うか——世代間ギャップと認知リソース

水野は本業が雑誌編集者であり、職場の表記ルールでは「(笑)」が標準であるため、仕事のメールでは「(笑)」を使うと説明する。さらに、目上の世代とのやり取りでは「(笑)」を使い、カッコなしの「笑い」は使わないという。この使い分けには「認知リソース」が消費されるため、堀元から「ただ一度笑うために頭を使ってて楽しいか?」と問われる場面もある。

水野はこの問いに対し、ザ・マスミサイルというバンドの「教科書」という曲の歌詞——「泣き方一つ取っても/笑い方一つ取っても/誰かに教わったわけじゃないんでしょ/オリジナルでしょ」——を引用しつつ、自分の笑い方は「オリジナルじゃない」と認める。その理由は単純で、「目上の人が使う笑いが結構(笑)だから」合わせているにすぎない。相手が(笑)さえも使わない場合は、笑いを表現する代わりに「びっくりマーク」でテンションを示すという。

ここで重要なのは、水野が「相手の顔を思い浮かべながらメールを打つ」と語る点だ。「その人にメール打ってる時って、その人の顔浮かんで喋ってる感覚になる」ため、自然とその人に合った笑い記号が頭に浮かぶという。これは単なるルール適用ではなく、相手への共感に基づいたコミュニケーション戦略であることがわかる。

24:13加害性を減らす新記号を考える——びっくりマークの二重機能

堀元は「びっくりマーク」を多用する理由を「加害性を減らすため」だと明確に語る。彼にとって、テキストメッセージで不機嫌そうに見えることは「機嫌で人をコントロールする」ことであり、それは「二流」の行為だと考えている。だからこそ、本当は怒っていても「波線+びっくりびっくり」で楽しそうに見せるようにしている。

しかし水野は、この戦略に異議を唱える。「不機嫌さが伝わらないと動かない人がいる」ことに気づいてから、あえて不機嫌そうなメールを打つことも覚えたという。ただしこれは「身内にはやらない」「何回言っても聞かない人」に限定した戦術であり、基本的には「機嫌が良さそうに見せることが美徳」という堀元のスタンスに共感を示す。

ここから、加害性を減らすための新たな記号の可能性について議論が展開される。堀元は「#加害ではない」というハッシュタグを提案するが、水野は「それって罪の告白をしたからお前の方でボール持ってくれって見える」と指摘し、明示的な免罪符は逆効果だと論じる。この議論は、皮肉を表す記号の歴史——1575年のイギリス印刷職人による「修辞疑問文用の反転疑問符」や、1668年のジョン・ウィルキンスによる「皮肉用の反転びっくりマーク」の提案——へとつながる。

これらの記号が流行らなかった理由について、堀元は「ジョークの意味を説明してるのと同じでダサい」と喝破する。つまり、加害性を減らそうとする明示的な努力は、かえってその意図を台無しにしてしまうというジレンマがあるのだ。これは「モテテク」の構造とも共通する、言語化できない領域の難しさを示している。

50:30「男は生きているだけで加害」——存在そのものの加害性

堀元は、室越さんという知人から「男って生きてるだけで加害じゃないですか」と言われたエピソードを紹介する。最初は「そんなことあるか」と思ったが、その視点で世界を見ると確かにそうだと気づいたという。具体的には、夜道で女性の後ろを歩くとき、エレベーターに女性と二人きりで乗るときなど、自分が「でかくて怖い」存在であることを自覚せざるを得ない場面の連続だ。

堀元は「追い抜いたら怖い」と思って道を変えたり、エレベーターでは先に入って奥に立つことで「後ろに人が立ってる」という恐怖を与えないように気をつけている。水野も同様の経験を共有し、「エレベーターのぼり棒」というユーモラスな解決策を提案するが、堀元は「それに捕まってる男の方が怖い」と即座に却下する。

この議論の核心は、加害性が「意図」ではなく「存在」に起因するという認識にある。堀元は「自分はキモいのかもしれない」「嫌われているのかもしれない」という可能性を常に脳に置いてリスクヘッジしていると語り、その結果として「気遣い」が生まれたと説明する。一方、水野はこの感覚に「遅れて」気づいたタイプであり、堀元から「アルジャーノンに花束を」の主人公になぞらえられる——急激に賢くなることで幸福度が下がっていくという物語だ。

53:09水野は不幸になっていく——加害性の自覚と幸福のトレードオフ

水野は、自分が「加害性に無自覚なまま生きてきた」ことを認める。大学時代の友人「鶴見」からは、「お前みたいに嫌われてる人間はめっちゃ世の中にいると思う」と言われ、さらに「1時間遅刻しても、その分を取り返すぐらい面白いから待つ」と言われたという。つまり水野は「パフォーマンスの良さ」で加害性を帳消しにしてきたのだ。

しかし、堀元との交流や様々な学びを通じて、水野は「加害性を自覚する」ようになる。その結果、人との距離感が「ものすごく遠くなった」と語る。上辺の話はできるが、踏み込んだ話は相手が開示しない限り自分からはしないようになった。堀元はこれを「不幸に目覚めている」と評し、水野の幸福度が下がっていることを指摘する。

これに対し水野は、気配りを「ゼロサムゲーム」として捉え直す。自分が何も考えずに生きて幸せだった分、周囲に「まんべんなくマイナスを与えていた」はずだ。今は自分が多少負担を抱える代わりに、周囲のマイナスをプラスにできる——これは公平性の観点から望ましい変化であり、「フリーライダーが納税できるようになった」ようなものだと主張する。堀元は「客観的には発展だけど、主観的には不幸だ」と譲らないが、水野は「成長だと思っている」と譲らない。

1:08:26(笑)から人生観へ——言語の奥にあるもの

エピソードの終盤、堀元は「チャットアプリのびっくりマーク一つに人生観が全て出てる」と総括する。確かに、この回は「(笑)かwか」という些末な話題から始まり、気づけば加害性の自覚、モテテクの暴力性、存在そのものの倫理、そして「よく生きる」ことへの考察にまで至っている。

水野は「こういう言語の話って、最終的にはよく生きることについて考えるきっかけになる」と語り、堀元も「人間の人生観とか全部白日のものにさらされてる」と応じる。二人は互いに影響を与え合い、自己変容を遂げつつあることを認め合い、照れながらも「ソウルメイト」という言葉でその関係性を表現する。

最後に、ジェーン・スーさんの人生相談の話が紹介される。30代の女性が「キャリアを極めるか子供を産むか」で悩んだとき、スーさんは「選択を後で成功にするということが大事」と答えたという。つまり、過去の選択を責めるのではなく、その選択をどう活かすかが問題だという視点だ。この考え方は、水野が「加害性の自覚」を「不幸」ではなく「成長」と捉える姿勢とも響き合う。

まとめ

このエピソードの核心は、テキストコミュニケーションにおける「笑い記号」という極めて微細な選択が、実は「他者への加害性をどう捉えるか」という深い倫理的問題と直結しているという発見にある。堀元の「びっくりマークで加害性を減らす」という戦略、水野の「相手に合わせる笑いカメレオン」戦略、そして「男は生きているだけで加害」という認識——これらはすべて、現代社会を生きる知性が避けて通れない「他者との距離の取り方」をめぐる葛藤の現れだ。

特に印象的なのは、水野が「加害性の自覚」によって人との距離が遠くなったことを認めつつ、それを「不幸」ではなく「成長」と捉える姿勢だ。そして堀元が「客観的には発展だけど主観的には不幸だ」と応じる、その認識のズレ自体が、二人の関係性の深さを物語っている。笑い記号の話から人生観へ——この飛躍を自然に感じさせるのが、ゆる言語学ラジオの真骨頂だろう。

要点

  • 堀元は「生の笑い」しか使わない明確なスタイルを持ち、水野は相手に合わせて(笑)とwを使い分ける「笑いカメレオン」戦略を取る
  • 目上の人には(笑)を使うのが安全だが、その使い分けには認知リソースが消費される
  • びっくりマークの多用は「加害性を減らす」ための戦略であり、堀元は「機嫌で人をコントロールするのは二流」と考える
  • 皮肉や加害性を明示する記号は歴史的に何度も提案されたが、「説明するとダサくなる」ジレンマで流行らなかった
  • 「男は生きているだけで加害」という認識から、夜道やエレベーターでの細かな気遣いが生まれる
  • 水野は加害性に無自覚なままパフォーマンスで生きてきたが、堀元との交流で「加害性の自覚」に目覚め、人との距離が遠くなった
  • 水野はこの変化を「フリーライダーが納税できるようになった」と肯定的に捉えるが、堀元は「アルジャーノンに花束を」の主人公になぞらえて「不幸になっていく」と評する
  • 笑い記号の選択は、人生観や他者との関係性のあり方と深く結びついている