
村を作っていた黒歴史に、決着がつきました #440
- 概要 堀元見がかつて千葉県で運営していた「月額会員制村作りサービス」——彼自身が「最大の黒歴史」と呼ぶこのプロジェクトについて、7年半ぶりに当時のパートナー(副村長)を招...
- --- [0:09] 村作りサービスの全貌——千葉の山中で何が起きていたのか 堀元はかつて、千葉県鴨川市の山中で「月額会員制の村作りサービス」を運営していた。会員は月額料...
- 当時の副村長である七代さんは、現在は「七四六家(ななしろや)」というホラー系YouTubeチャンネルを運営している。堀元と七代は村作りで出会い、一緒に事業を立ち上げたが、...
英語Podcastの要点を、聴く前に日本語で把握したい人。
ゆる言語学ラジオ / Yuru Gengogaku Radio
概要
堀元見がかつて千葉県で運営していた「月額会員制村作りサービス」——彼自身が「最大の黒歴史」と呼ぶこのプロジェクトについて、7年半ぶりに当時のパートナー(副村長)を招き、喧嘩別れの真相を徹底的に掘り下げた特別回。前半は水野太貴の司会進行のもと、堀元と副村長・七代(ななしろ)が当時の思い出と決別の理由を語り合い、後半は水野と堀元だけで、この村作り体験がどのようにして「ゆる言語学ラジオ」の誕生につながったのかを明かす。笑いと緊張が交錯する、感情的な再会の記録である。
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村作りサービスの全貌——千葉の山中で何が起きていたのか
堀元はかつて、千葉県鴨川市の山中で「月額会員制の村作りサービス」を運営していた。会員は月額料金を払い、共同で生活空間を開拓し、自給自足的な暮らしを体験するというものだ。この話はこれまでの「ゆる言語学ラジオ」でも断片的に語られてきたが、体系的にまとめて話したことは一度もなかった。今回、初めてその全貌が明らかにされる。
当時の副村長である七代さんは、現在は「七四六家(ななしろや)」というホラー系YouTubeチャンネルを運営している。堀元と七代は村作りで出会い、一緒に事業を立ち上げたが、最終的には喧嘩別れに近い形で関係が途絶えた。それ以来、今日まで一度も会っていない。水野だけが事前に七代と打ち合わせを行い、台本を構成。堀元は「何を話すのか全く知らされていない」状態で臨んだ。
村の活動の象徴的なエピソードとして、2泊3日で家を建てるワークショップが紹介された。しかし七代は家作りそっちのけで穴を掘ることに夢中になり、結局家は完成しなかった。その後、竹で家を作ろうと試みるが、竹の床は「クッション製」で実用に耐えず、最終的にホームセンターで買った木材で作り直した。地面を水平にするだけで1週間かかり、他のメンバーは「気づけば俺、水平のことばかり考えてる」と嘆いたという。
完成した家は外壁も屋根も不完全で、雨漏りが常態化していた。それでも「雨漏りでちょっとなら暮らせる」と割り切り、住み始めた。その翌日からは「村にあるものだけを食べて生き残る」サバイバル生活が始まった。
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サバイバル生活と栄養失調——「大箱」と「サワガニ」の日々
サバイバル生活のルールは「調味料はOK、食材は現地で調達したもののみ」。主食は「大箱(おおばこ)」という道端に生える草で、炒めたタケノコやフキも食べた。タンパク源はサワガニとカタツムリの素揚げ。しかし消費カロリーが摂取カロリーを大幅に上回り、堀元は栄養失調を起こした。
Facebookライブ配信をしていたが、堀元は冒頭から声が出ず、顔色は真っ白。一方、七代は元気に「本日もライブ配信始めまーす」と進行していた。堀元は「ルールの範囲内だと思って砂糖を食べ続けた」が体調は改善せず、ついに東京の自宅に撤退。山を下りるのにも30分かかり、しかも村の入り口の道は崩落しており、大型のトヨタ・エスティマで無理やり通っていた。地方自治体が「崩落しております。行くな」と看板を出しているような道だったという。
さらに、軽トラックが脱輪する事件も発生。自力で引き上げようと、近くの木にフックをかけて手動ウィンチを使ったところ、支えていた木が折れ、飛んできたウィンチが七代の足に直撃し大怪我を負った。結局、重機2台とオペレーター2人、監督1人をチャーターし、15万円かけて引き上げた。ちなみに軽トラ自体は友人から15万円で買ったものだった。
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ヤギの死と副村長の離脱——決定的なすれ違い
村で飼っていたヤギ「シロミ」はアイドル的存在で、皆で可愛がっていた。しかし何らかの事情でヤギが死亡。この出来事が、七代の離脱の引き金になったと堀元は長年信じていた。「ヤギと七代を同時に失った」と堀元は語る。
しかし、ここで水野が堀元に問いかける。「七代さんが村を離脱した理由は何だと思いますか?」堀元は「ヤギの死が決定打だ」と答えるが、七代の反応は「うーん、そういう面もあるけど…」と曖昧。堀元が「え?俺そう思ってたんだけどな」と驚くと、七代は「そういう風に思ってたんだね」と冷ややかに返す。ここから、両者の認識に大きな乖離があったことが明らかになる。
七代が語った真の理由は、堀元の「物語化」に対する違和感だった。堀元は村での出来事をブログなどで「大変だったんですよー」と演出して発信していた。七代は「当時から結構見られていたので、ノートが回ってくるんですよ。『村を崩壊させた人』みたいな扱いだった」と振り返る。自分も大変だったのに、堀元は自分の視点だけで「主力メンバーが抜けてめっちゃ大変でしたわ」と書き、七代に何のアクセスもなく垂れ流しているように見えたという。
さらに七代は「堀元は本心を出さない。面白ければ何でもいい。青春だったなーって言うのに、こっちが『これもさー』と言うと『七代さんの意見分かりました、はい』で終わる」と指摘。堀元は「心を許すのが苦手」と認め、水野も「僕もそうです」と同調した。七代は「あいつ、本心出さなすぎて本心なくなったんですよ」と切り捨てた。
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演出至上主義と感情のすれ違い——なぜ二人はわかり合えなかったのか
七代は堀元の性格を「演出至上主義」と評する。「電話の1本くらいすらなくて、ここで再会したらエモいかなって思うんでしょ。面白さとか夢とか、そればっかり」。堀元は「それはクリティカルな指摘だった」と認めつつも、自分のスタンスを変えるつもりはない様子だった。
水野はこの対立を「サッカー部のやつとバカのやつ」の違いに例える。サッカー部出身の七代は「激論を交わして胸ぐら掴むこと」がコミュニケーションの形だと考えているのに対し、堀元は「手を使わずに足でやる」タイプだと指摘。堀元は「バカですよね、二足歩行になって指が…」と反論するが、七代は「言ってないわ!」と一蹴。しかし堀元は「自分に全部ブーメランで返ってきてる」と自覚し、七代も「辛いところを僕に見せてない」と認め合う場面もあった。
結局、両者は「お互いに本心を見せ合えていなかった」という点で一致。堀元は「悪かったよ、俺が」と謝罪し、七代は「気持ちいいでーす」と冗談めかして応じた。7年半の時を経て、ようやくすれ違いの正体が明らかになった瞬間だった。
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村のその後——売却、放置、そして森へ
七代が離脱した後も、村のサービスはさらに9ヶ月続けられた。写真には、外壁や屋根が追加され、物置小屋も建ち、土地が奥へ開拓されていく様子が写っている。「本当に人間が定住を始めた」と堀元は振り返る。
しかし事業は継続できず、堀元は「事業売却します。誰か買ってください」と呼びかけた。すると、キャンプファイヤーやクラウドファンディングサービスを立ち上げたことで有名な家入一間(いえいり・かずま)が「ノリで買った」。しかしその後は完全に放置され、7年半が経過。現在は「森に着々と戻りつつある」状態だ。
ゆる民俗学ラジオの黒川くんがフィールドワークに行ったところ、「かつて村を作ろうとした人たちの息吹がある」と感動していたという。堀元は「人間が生きた証が残ってる。僕と七代さんの血と汗が染み付いている」と語った。
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村作りがゆる言語学ラジオにつながった理由——相方交代劇の真相
後半は七代が退場し、堀元と水野の二人だけに。ここで、村作りとゆる言語学ラジオが「密接に繋がっていた」という事実が明かされる。堀元自身も台本を構成しながら初めて気づいたという。
村作りを始めた当初、堀元は「自分で全部やる」というスタンスだった。しかし次第に「一人では限界がある」と痛感し、七代というパートナーを得た。ところが、その関係も破綻。その後、堀元は「自分に足りないものは何か」を徹底的に考え直すことになる。
その答えの一つが「言語化能力」だった。村作りでは、思いを共有し、仲間を巻き込み、理念を伝えることが不可欠だった。しかし堀元はそれが苦手で、結果として七代との関係も壊れた。そこで彼は「言語」そのものを学び直そうと決意。その延長線上に「ゆる言語学ラジオ」が生まれた。
水野は「堀元を誰より理解している」と自負する現相方として、この繋がりを「村作りがなければ、このラジオは存在しなかった」と断言する。堀元も「全ての伏線は今日のためにあった」と認めた。たった24時間で起きた相方交代劇の裏には、村作りで得た痛切な教訓があったのだ。
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まとめ
このエピソードは、単なる「黒歴史の振り返り」に留まらない。人間関係のすれ違い、自己認識のズレ、そして失敗から学ぶことの本質を描き出している。堀元と七代の7年半ぶりの対話は、笑いと緊張、そしてわずかな和解が交錯する、生々しい人間ドラマだった。そして、村作りという一見無謀な挑戦が、現在の「ゆる言語学ラジオ」という成功へと繋がった因果関係が明かされたことで、このエピソードは単なる過去の清算ではなく、堀元という人間の成長物語としても機能している。
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要点
- 堀元は千葉県鴨川市で月額会員制の村作りサービスを運営していたが、栄養失調や事故、人間関係の破綻により頓挫した。
- 副村長・七代との喧嘩別れの原因は、堀元が「ヤギの死」と思っていたが、実際は堀元の「演出至上主義」と「本心を見せない性格」に対する七代の不満だった。
- 七代は堀元が村での出来事を一方的に「物語化」して発信することに強い違和感を抱いていた。
- 村の土地は最終的に家入一間に売却されたが、放置され現在は森に戻りつつある。
- 村作りでの失敗が、堀元に「言語化能力の重要性」を痛感させ、その後のゆる言語学ラジオの誕生に直接繋がった。
- 水野は堀元の現相方として、この因果関係を「村作りがなければこのラジオは存在しなかった」と断言した。
- 7年半ぶりの再会は、互いの本心を初めてぶつけ合う貴重な機会となり、わずかながら和解の兆しも見えた。