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ゆる言語学ラジオ · 2026年5月13日

「古代人は色が見えなかった」という衝撃の説 #441

AI generated article / ja / study
この記事でわかること
  • 古代人は色が見えなかった?——ホメロスの色彩表現が投げかけた言語学の大論争 「古代ギリシャ人は現代人と違う色覚を持っていた」という衝撃的な仮説は、19世紀のイギリス首相ウ...
  • [0:29] ホメロスの「めちゃくちゃ」な色彩表現 ホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』には、現代人の感覚からすると理解不能な色彩表現が頻出する。最も有名なの...
  • さらに、スミレ色は羊の毛を形容するのに使われ、「美しくて大きくて、熱いスミレ色の毛に覆われた」羊が登場する。実際の羊は白いにもかかわらず、である。また、「クローロス」とい...
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ゆる言語学ラジオ / Yuru Gengogaku Radio

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古代人は色が見えなかった?——ホメロスの色彩表現が投げかけた言語学の大論争

「古代ギリシャ人は現代人と違う色覚を持っていた」という衝撃的な仮説は、19世紀のイギリス首相ウィリアム・グラッドストンがホメロスの叙事詩を分析したことに端を発する。海を「ワイン色」、羊を「スミレ色」と形容するホメロスの奇妙な色彩語彙は、一時期、古代人の色覚そのものが異なっていたのではないかという説を生み出した。しかし、このエピソードでは、ホメロスの色彩表現の謎は、むしろ現代人が失いつつある豊かな感覚のあり方を示しているという、逆転の結論が提示される。堀元見と水野太貴の二人は、俳句の「季語」という概念を鍵に、古代ギリシャ人の色彩感覚の真実に迫っていく。

0:29ホメロスの「めちゃくちゃ」な色彩表現

ホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』には、現代人の感覚からすると理解不能な色彩表現が頻出する。最も有名なのは「海はワイン色」という形容だ。夕焼け時に海が赤く見えることを考慮しても、まだ理解の余地はある。しかし問題は、同じ「ワイン色」が牛にも使われている点である。牛をワイン色と表現する現代人はまずいない。

さらに、スミレ色は羊の毛を形容するのに使われ、「美しくて大きくて、熱いスミレ色の毛に覆われた」羊が登場する。実際の羊は白いにもかかわらず、である。また、「クローロス」という語は現代ギリシャ語で「緑」を意味するが、ホメロスにおいては恐怖で青ざめた顔、織ったばかりの小枝、オリーブの木の棍棒、そして蜂蜜にまで使われている。蜂蜜が緑色であるとは誰も思わない。

さらに「アイトーン」という語は、燃えるようなという意味を持ち、馬や獅子、牛の色を形容するのに使われるが、これが具体的に何色を指すのか、現代日本語で一言で言い表すのは難しい。灰色を指すこともあれば、赤やオレンジを指すこともあるという、極めて曖昧な語なのである。

ホメロスの作品における色彩語の出現頻度を見ると、黒が約170回、白が約100回と圧倒的に多い一方、赤は13回、黄色は10回、スミレ色は6回で、その他の色は6回にも満たない。そして何より、青を意味する語が一切登場しない。後の時代に青を意味する語は登場するが、ホメロスの時代にはその語は「暗い」「黒っぽい」という意味しか持っていなかったとされる。

7:52英国首相グラッドストンの「妄想」と酷評

このホメロスの奇妙な色彩表現に目をつけたのが、19世紀のイギリス首相ウィリアム・グラッドストン(1809-1898)である。彼は野党時代にホメロス研究に没頭し、1700ページを超える大著『ホメロス及びホメロスの時代研究』を1858年に出版した。その第3巻が「ホメロスの色彩感覚と色の使い方」という章である。

グラッドストンの主張を単純化すると、「古代ギリシャ人は全体的に色弱(現在の用語で言えば多数派ではない色覚特性)を持っていた」というものになる。彼は、色への感受性は歴史的に見て比較的最近になって獲得された能力であり、人類は当初は明るいか暗いかという区別しかできなかったと示唆した。そう考えれば、白と黒が圧倒的に多く使われ、赤などの使用が少ないことが説明できるというわけだ。

さらにグラッドストンは、絵の具や染料の発明によって人間は人工的に色を操作できるようになり、それによって色の知覚能力が向上したと論じた。ホメロスの時代は染色技術が登場したばかりで、青い人工物を目にしないまま死ぬ人も多かった。実際、青の染料を人工的に作るのは困難であり、青い花も稀だった。だから青を区別できなくても困らなかったのだという。

しかし、この説に対する同時代の評価は極めて厳しかった。タイムズ紙に掲載されたレビューは、「グラッドストン氏は極端なまでに賢い。しかし不運なことに、極端なまでの賢さは『両極は相通ず』ということわざの最適な実例を提示している」と皮肉った。さらに「これほどの力が効果を発揮せず、これほどの肥沃さが雑草ばかりを茂らせ、これほどの雄弁がシンバルと管楽器の響きにしか聞こえない」と酷評された。この「シンバルと管楽器の響き」という表現は、エピソード内で繰り返し引用される名(悪名?)フレーズとなった。

その後も同様の主張をする学者は存在したが、20世紀半ばまでには西洋古典学会でこの説は完全に否定されるに至った。現代の研究者でグラッドストン説を信じている者はほとんどいない。

15:10季語の意外な役割——俳句に学ぶ「コスパ」の良い表現

ホメロスの謎を解く鍵として、堀元が持ち出したのが俳句の「季語」である。季語とは単に季節を示すための言葉ではない。その本質は「コスパの良さ」にあるという。

AI研究者と俳人の対談本『AI研究者と俳人』の中で、俳人の大塚凱さんは季語の「効率性」について語っている。例えば「鰯雲」という秋の季語は、単に気象現象を指すのではない。秋の爽やかさがある一方で、アンビバレントに物思いを誘うような風情をも同時に表現する。つまり、たった5文字の季語に、複雑な感情や情景を圧縮して込めることができるのだ。

このエピソードでは、実際に現役の俳人である岡田一実さんに監修を依頼したという。岡田さんによれば、例えば「丸善でノートを買って出る」という行為には、梶井基次郎の『檸檬』を想起させる効果がある。新しいノートを買う未来への期待感と、空に広がる鰯雲が見せる開放感と切なさが、読者の共通体験として呼び起こされる。季語は作者の感覚だけに頼ると解釈が拡散してしまうため、共通認識を固めるために「歳時記」が使われる。歳時記は季語のインデックスであり、解釈の幅が揺れすぎないように一定のラインを定める役割を果たす。

この対談本では、俳句の仕組みを「エンコードとデコード」という情報科学的な比喩で説明している。体験をエンコードして俳句にし、鑑賞者はそれをデコードして追体験する。つまり俳句は「ジップファイル」のようなものだというのだ。この比喩は、AI研究者であり自らも俳句生成AIを開発している河村秀典先生ならではの視点である。

23:23ホメロスは色彩語を「季語」として使った

ここで本題に戻る。堀元の結論はこうだ——ホメロスたちも色彩語を季語のように使っていたのではないか。つまり、様々な意味を色彩語に込め、それを手がかりに詩を彩ったのであって、色の語彙を視覚情報だけに使っていたわけではない。

『ホメロスと色彩』という専門書によれば、地中海を目の前にすれば、海は確かに様々なワインの色のように濃淡があり鮮やかで、さんさんと輝くこともあれば嵐や雷とともにくすむこともある。だから「何色」とラベルを貼るのではなく、素直にワインの色のようだと感じ取ったままを表現したのだ。ワインと言っても色は千差万別で、赤ワインと言っても実際の色は単なる「赤」ではない。現代人は「赤」というラベルを貼ることで、かえって赤色の多様性を見失っているという指摘だ。

さらに、このエピソードでは偶然にもホメロスの色彩を研究する現役の研究者から連絡があったことが明かされる。コーネル大学のハナさんという研究者は、ワイン色という表現について、ワインに関する五感——匂い、味、食感、さらには酔って不安定になる感覚——を呼び起こす効果があると指摘した。ワインを飲んで酔い、体が揺れてコントロールできなくなる感覚は、人間が操れないものの代表格である海のイメージと合致する。色が仮にずれていたとしても、代わりに呼び起こされるイメージの総合点で勝負しているというわけだ。

つまり、現代人は色の語彙を視覚情報にしか使ってはならないと思い込んでいるだけであり、ホメロスの時代の人々は別の戦略を取っていた。それを現代人の感覚で古代ギリシャ人を捉えようとしたから、グラッドストンは失敗したのだ。

30:20現代人が失った色彩感覚——藤井風はホメロスだった

この議論の面白い応用例として、水野が持ち出したのが藤井風の歌詞「青春はドドメ色」である。「青春」と書いて「青い春」と読むのが一般的なイメージだが、藤井風はそれを「ドドメ色」(桑の実の黒っぽい紫色)と表現した。これはまさにホメロス的な色彩語の使い方であり、固定観念を破壊する鮮やかな表現だと水野は評価する。

堀元はさらに、この感覚を日常に取り入れることを提案する。例えば「今日の海は抹茶色だな」と比喩として使ってみる。抹茶を飲む時の体験や感覚と海を結びつけることで、より豊かな表現の世界にたどり着けるという。ただし、そのためには抹茶の「ドロッとしたイメージ」や「粘度の高さ」といった要素を意識する必要がある。水野が「ローションを見て抹茶色のローションだと言ってもいい」と発言して堀元に「シンバル」と評される場面は、この議論のユーモラスな締めくくりとなった。

『ホメロスと色彩』という本は、古代ギリシャ語の色彩語を現代日本語の色名に一対一対応させないという、読者に負荷をかける構成になっている。これは異文化を理解する際の本質的な難しさを体感させるためのデザインであり、異文化を自文化に当てはめて消費するのではなく、そのまま受け取る努力の重要性を示している。

35:41グラッドストン説の「復活」——次回への布石

エピソードの終盤で、堀元は意外な事実を明かす。文献学者のラザルス・ガイガーという研究者がグラッドストンの発見に興味を持ち、他の言語も調査したところ、『ベーダ』も空を「青い」と表現していなかったし、旧約聖書でも同様の特徴が見られたという。聖書では馬や雌牛が「赤」と表現され、預言者エレミアは人々の顔が恐怖で「緑色」に変わったと描写している。

さらに調査を進めると、ホメロスの色彩描写に見られる特徴は、『ベーダ』、聖書、アイスランドのサガ、コーランなど、全く異なる時代・地域の文献にも共通して見られることが判明した。このことから、人間の色の認知は文化や時代によって異なるのではないかという論争が生まれた。そしてこの論争に決着をつけるため、研究者たちは未開の地に住む人々に注目したのである。

つまり、グラッドストンの主張は完全に否定されたわけではなく、部分的には真理を含んでいたということだ。この「グラッドストン説の復活」とも言える展開は、次回への強力なフックとなっている。

まとめ

このエピソードの核心は、現代人が無意識に持っている「色の語彙は視覚情報のみを表す」という前提そのものが、歴史的・文化的に特殊なものに過ぎないという発見にある。ホメロスが海を「ワイン色」と表現したのは、色覚が異常だったからではなく、ワインという体験全体——その味、匂い、酩酊感、制御不能な感覚——を詩に込めるための戦略だった。俳句の季語が単なる季節表示ではなく、複雑な情感を圧縮する装置であるのと同じである。

この議論は、異文化理解の本質にも触れる。現代人の感覚で古代ギリシャ人を判断するグラッドストンの誤りは、私たちが異文化を理解する際に陥りがちな罠を象徴している。そして、グラッドストン説が完全には否定されず、むしろ部分的に復活するという展開は、学問の面白さ——一度否定された仮説が新たな証拠によって再評価されるプロセス——を鮮やかに示している。

要点

  • ホメロスは海を「ワイン色」、羊を「スミレ色」、蜂蜜を「緑」と表現するなど、現代人の感覚からすると理解不能な色彩語彙を使っている
  • 19世紀のイギリス首相グラッドストンは、この現象を「古代ギリシャ人は色弱だった」と説明し、1700ページの大著を出版したが、タイムズ紙から「シンバルと管楽器の響き」と酷評された
  • 俳句の季語は単なる季節表示ではなく、複雑な情感や情景を圧縮する「コスパの良い」表現装置であり、この概念がホメロス理解の鍵となる
  • ホメロスの色彩語は視覚情報だけでなく、ワインの味や酩酊感など五感全体の体験を呼び起こすための戦略だった
  • 現代人は色の語彙を視覚情報に限定しすぎており、かえって豊かな表現の可能性を失っている
  • グラッドストン説は20世紀半ばまでに完全否定されたが、後の研究で部分的に真理を含んでいたことが判明し、次回へと続く
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