
最もホットなランニングアプリはスピードとは無関係 | E2303
- ランニングアプリ「INTVL」は、ユーザーが走ったルートで囲まれたエリアを「領土」として獲得し、他のユーザーと奪い合うという、まったく新しいコンセプトのゲーム化された...
- INTVLの仕組みはシンプルだが中毒性が高い。ユーザーがランニングを開始し、スタート地点から200メートル以内で終了すると、その走行ルートで囲まれたエリアが自分の領土...
- Verge Labsのアリス・チャンCEOは、同社が10年前に「創薬を推測と確認の問題から予測の問題に変える」というミッションでスタートしたと振り返る。当初は自社で創...
英語Podcastの要点を、聴く前に日本語で把握したい人。
This Week in Startups / Jason Calacanis
- INTVLはランニングの「速度」を競わず、「領土の奪い合い」というゲーム性でユーザーの運動意欲を喚起する。この設計により、老若男女が平等に競争できる。
- INTVLの創業者ルイス・フィリップスは、自らカメラの前に立つ「トーキングヘッド」動画を軸に、広告費ゼロで100万ダウンロードを達成。Meta広告のトライアル獲得単価は12ドル、ユーザーLTVは17ヶ月で約85ドル。
- Verge Labsは、10年かけて6,000人以上の患者から12,000以上のヒト脳組織サンプルを収集。このデータは「神経科学のグラウンドトゥルース」であり、同社の最大の参入障壁(moat)である。
- Verge Labsは自社創薬からAI基盤提供へとピボット。イーライリリーとの提携では、AIが導き出した標的の83%が実験室検証に成功し、業界標準を大きく上回る成果を上げた。
- 脳組織データを「LiDAR」に例え、血液などのプロキシデータだけでは捉えられない病気の本質を捉える重要性を強調。トランスフォーマーモデルにより、血液サンプルから脳の状態を再構築する「バーチャルバイオプシー」が可能になった。
- アリス・チャンCEOは、AI創薬の真の価値は臨床試験の失敗率を下げ、開発コストを50億ドルから数千万ドルに削減することにあると主張。これが薬価の持続的な低下につながる。
- 臨床試験の失敗を「テクノロジーの失敗」と一般化せず、むしろ学習の機会と捉え、データをプラットフォームにフィードバックする姿勢が、長期的な成功には不可欠である。
ランニングアプリ「INTVL」は、ユーザーが走ったルートで囲まれたエリアを「領土」として獲得し、他のユーザーと奪い合うという、まったく新しいコンセプトのゲーム化されたフィットネスアプリである。オーストラリア・メルボルンを拠点とする創業者ルイス・フィリップスは、たった5人のチームでこのアプリを開発し、広告費を一切使わずに100万ダウンロードを達成した。その成長の原動力は、彼自身が自宅のスタジオから発信するソーシャルメディア戦略にある。一方、番組後半では、AI創薬に取り組むVerge LabsのCEO、アリス・チャンが登場する。同社は10年かけて世界最大級のヒト脳組織データセットを構築し、製薬会社向けにAI基盤を提供するビジネスへと大胆にピボットした。脳組織を「神経科学におけるLiDAR」と例える彼女の説明は、AIが創薬の失敗率を劇的に下げ、医薬品価格の高騰を根本から解決する可能性を示唆している。
INTVLの仕組みはシンプルだが中毒性が高い。ユーザーがランニングを開始し、スタート地点から200メートル以内で終了すると、その走行ルートで囲まれたエリアが自分の領土としてマップ上に表示される。他のユーザーがそのエリア内を走ると領土は奪われ、奪われた側には「あなたの領土が盗まれました」という通知が届く。この通知が「非常に個人的な感情」を呼び起こし、ユーザーを再び外に走らせる動機付けとなる。フィリップスは「人々は、競争心とスマートフォンのスロットマシン的な性質を、良い目的のために活用している」と語る。このアプリが革新的なのは、ランニングの「速度」を競わない点だ。Stravaのような既存のアプリでは、圧倒的なスピードを持つアスリートに勝つことは不可能だが、INTVLでは「距離」と「頻度」が重要となる。隣に住むおばあちゃんがゆっくり歩いても領土を奪えるため、老若男女問わず平等に競争できる設計になっている。
Verge Labsのアリス・チャンCEOは、同社が10年前に「創薬を推測と確認の問題から予測の問題に変える」というミッションでスタートしたと振り返る。当初は自社で創薬を行うバイオテク企業だったが、自社開発した薬の臨床試験が期待通りに進まなかった経験から、より価値のある課題に気づいた。それは「どの患者がその薬に反応するかを予測する」ことだ。この課題を解決するために、同社は24以上の組織バンクと提携し、6,000人以上の患者から12,000以上のヒト脳組織サンプルを収集。このデータは、生きている人間からは採取不可能な「神経科学のグラウンドトゥルース(真実)」であり、同社の最大の参入障壁(moat)となっている。そして、トランスフォーマーアーキテクチャの進化により、断片的な患者データを統合し、血液サンプルから脳の状態を再構築する「バーチャルバイオプシー」が可能になった。
ゲーミフィケーションの力と成長戦略
INTVLの成長は、創業者フィリップスのソーシャルメディア戦略に負うところが大きい。彼は「公の場で失敗する覚悟が必要だ」と語り、自らカメラの前に立ち、アプリの仕組みを解説する動画を継続的に発信した。この「トーキングヘッドスタイル」のコンテンツが功を奏し、広告費ゼロで10万人のInstagramフォロワーを獲得した。しかし、オーガニックな成長にはアルゴリズムに依存する不安定性があったため、現在はMeta広告にも積極的に投資している。広告経由のトライアル獲得コストは約12ドルで、ユーザーの平均ライフタイムは17ヶ月、年間サブスクリプションは約60ドルである。つまり、5人に1人が課金すれば広告費を回収できる計算になる。フィリップスは、この広告運用を「Scale」という外部パートナーに委託しており、自社で全てを行うよりも効率的な体制を構築している。
ホストのジェイソン・カラカニスは、このアプリの可能性を高く評価し、ランニング以外のアクティビティへの拡張を提案する。例えば、スキーやサイクリング、カヤックなどに応用し、速度ではなく「コンプリート率(山の何パーセントを滑ったか)」で競う方式だ。これにより、速度競争に伴う死亡事故のリスクを回避できる。また、カラカニスは、このアプリが「Vibe Coding(AIによるコーディング)」の時代に適したプロダクトだと指摘する。かつては12人のチームと300〜500万ドルの資金が必要だったアプリ開発が、現在は5人のチームで収益化まで達成できることを示している。
Verge Labsのピボット:創薬からAI基盤へ
Verge GenomicsからVerge Labsへの社名変更は、同社のビジネスモデルの根本的な転換を象徴している。創業から10年、同社は自社で創薬パイプラインを持つ「宝くじを買う側」から、製薬会社が創薬を成功させるための「宝くじを売る機械」を提供する側へとシフトした。この決断の背景には、自社の臨床試験から得た「痛みを伴う教訓」がある。同社は、AIが特定した候補薬の臨床試験が期待通りに進まなかった際、その結果を隠蔽するのではなく、詳細なデータを公開し、プラットフォームにフィードバックした。この経験が、薬の効果を予測することの重要性と、そのためのデータ基盤の価値を再認識させた。
新たなビジネスモデルは、製薬会社との大型提携が中心となる。同社はすでにイーライリリーおよびアストラゼネカ(アレクシオン)と提携しており、契約条件は前金2,500万〜4,200万ドルに加え、マイルストーン達成ごとに総額7億〜8億ドルを受け取るという、伝統的な創薬契約と同様の構造だ。特にイーライリリーとの提携では、AIが導き出した標的の83%が実際の実験室検証(ウェットラボ)で有効性を確認された。これは、提携開始時にリリー側が「20%でも期待を大きく上回る」と述べていた水準をはるかに超える成果であり、AI創薬の実力を示す画期的な結果となった。
脳組織が「LiDAR」である理由
アリス・チャンCEOは、脳組織データの重要性を説明するために、自動運転技術のアナロジーを用いる。テスラがカメラのみで自動運転を目指すのに対し、WaymoはカメラにLiDAR(レーザーによる3次元距離計測)を組み合わせることで精度を飛躍的に高めた。同様に、血液や脳画像などの「プロキシデータ(代理データ)」は病気の「影」に過ぎないが、脳組織こそが「分子レベルのグラウンドトゥルース」であり、モデルを現実にアンカーする役割を果たす。これが、彼女が脳組織を「神経科学におけるLiDAR」と呼ぶ理由である。
このデータを活用するために、Verge Labsは「世界モデル」を構築している。これは、患者一人ひとりの遺伝子、血液、脳画像、脳組織といったマルチモーダルなデータを、トランスフォーマーモデルを用いて512次元のベクトル(患者の指紋)に統合するものだ。特に革新的なのは、最新の「コントラスティブ・マルチモーダル学習」というアーキテクチャを採用している点である。これは、血液と脳のデータがそれぞれ単独で持つ情報に加え、両者の「シナジー(相乗効果)」を保持する。生物学において、このシナジーこそが真のシグナルが隠れる場所だと彼女は主張する。さらに、モデルはマスキング学習により、明示的に訓練されていないタスクを実行できるようになる。例えば、血液データのみから脳の活動を高精度で再構築する能力は、モデルが「創発的(emergent)」に獲得したものである。
製薬業界への影響とビジネスモデル
Verge Labsのビジネスモデルは、製薬会社に対して3つの形で提供される。第一に、特定の課題に対してAIで標的を探索する「ターゲット探索パートナーシップ」、第二に、同社がすでに発見した知見や標的を直接ライセンスする方法、第三に、データとモデルそのものをライセンスする方法である。例えば、第2相試験中の統合失調症治療薬を持つ企業が、患者ごとに薬の反応が異なるという問題に直面した場合、Verge Labsはどの患者がその薬に反応するかを予測し、より小規模で低コストな臨床試験を設計する手助けができる。
アリス・チャンCEOは、AI創薬が医薬品価格に与える影響についても明確なビジョンを持つ。現在、1つの新薬を開発するのにかかる平均コストは50億ドルだが、その大部分は臨床試験の失敗に費やされている。9割の候補薬が最終段階で失敗するからだ。AIによって患者を正確に選別し、失敗率を劇的に下げることができれば、開発コストは数千万ドルにまで削減できる可能性がある。このコスト削減が、最終的に薬価の持続的な低下につながると彼女は主張する。つまり、AI創薬の真の価値は、単に新薬を発見することではなく、創薬プロセス全体の非効率性を根絶することにある。
臨床試験の失敗と継続の重要性
アリス・チャンCEOは、AI創薬に対する過度な楽観論に警鐘を鳴らす。彼女は「テクノロジーに詳しい人々は、物事を還元主義的に捉えがちだ」と指摘する。ある薬の臨床試験が失敗すると、「AIは機能しない」と一般化してしまう危険性を憂慮する。しかし、ロケット開発の初期の失敗を例に挙げ、「変革的なテクノロジーは、挫折から学び、それをプラットフォームにフィードバックすることで構築される」と強調する。同社が自社の臨床試験失敗の詳細を公開し、そのデータをモデル改善に活用した姿勢は、この哲学を体現している。
彼女は、AI創薬の分野で最も大きなリスクは「人間側のリスク」だと語る。つまり、初期の失敗に直面した際に、テクノロジー全体への関心を失ってしまうことだ。現在、Verge Labsのモデルは、血液からの脳活動予測など、既存の臨床ツールをはるかに上回る性能を示し始めている。5年後には、AIが創薬パイプラインの複数のポイントで活用され、個人の健康状態を継続的にモニタリングし、病気の発症を予測し、最適なタイミングで介入する「真の個別化医療」が実現すると彼女は予測する。アルツハイマー病も単一の疾患ではなく、数百のサブタイプに分類され、個人に最適化された治療が可能になる未来像を描く。
結びに
今回のエピソードは、テクノロジーが人間の行動を変え、生命の謎に挑む二つの全く異なるフロンティアを鮮やかに対比させた。INTVLのルイス・フィリップスは、競争心とゲームデザインを「善」のために利用し、たった5人のチームとゼロ広告費で100万ダウンロードを達成した。その成功は、AI時代におけるリーンなプロダクト開発と、創業者自身のソーシャルメディア活用術の教科書とも言える。一方、Verge Labsのアリス・チャンは、10年という気の遠くなるようなデータ収集と、自社の失敗から学ぶ謙虚さによって、製薬業界の根本的な非効率性を打破しようとしている。彼女の「脳組織はLiDARである」という比喩は、AIの性能を左右するのは単なる計算量ではなく、いかに本質的なデータを獲得するかにあることを示唆している。このエピソードが最も印象的に残すのは、イノベーションの本質は「スピード」や「規模」ではなく、「正しい問題を定義し、そのための独自のデータを粘り強く構築する姿勢」にあるという普遍的な教訓である。
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