
#45: イネス・パーペルト
- ポッドキャストダイジェスト:WANDERBIRD #45「Ines Papert」 概要 このエピソードは、ホストのパウル・グシュルバウアー(レッドブルX-Alpsベ...
- [0:00] キャリアは「計画」ではなく「発見」—情熱から生まれる道 イネスは冒頭から、彼女のキャリアが計画されたものではなかったと明言する。「私は決してキャリアを始...
- パウルはこの考えに深く共感し、自身のWanderbirdアカデミー運営でも同じジレンマに直面していると打ち明ける。「常に『これを変えるべきかもしれない』というループに...
自分では見つけにくい海外Podcastの話題に、日本語で気軽に触れたい人。
WANDERBIRD | Find your Path ポッドキャスト / Paul Guschlbauer
- イネス・パーペルトはキャリアを「計画」せず、情熱と心からの行動から自然に発展させた。彼女は「見出しのため」ではなく「内なる確信」のために行動することの重要性を強調する。
- 彼女は26歳で母になり、それをハンディキャップではなく「組織化とリスク評価を強化する要因」として捉えた。理学療法士の資格は「プランB」としての安心感を与え、競技へのプレッシャーを軽減した。
- 女性限定のクライミング・エクスペリエンスは、彼女の現在の活動の中心であり、「恐怖を手放す」ことを通じて女性たちが自己の力で登ることを学ぶ場である。教えることは彼女自身の成長も促進する。
- アイガー北壁とパラグライダーを組み合わせたプロジェクトは、飛行の可能性が登山計画を変革し得ることを示したが、天候予報の不確実性が限界を生んだ。
- マルモラーダ南壁での大転落事故は、彼女に「常にプランBを持つ」という教訓を与えた。幼い息子の警告を無視したことへの後悔と、トラウマを克服するための片足クライミングの決意が語られた。
- パートナーとの別れとイストリアの山小屋プロジェクトの喪失は、彼女に予期せぬ自由をもたらし、ノルウェーでの初登攀やインドの「女性の山」東壁への新たな遠征計画へと繋がった。
- イネスは「人生は適切な瞬間に適切なプロジェクトを送ってくれる」と信じ、受動的な待機ではなく能動的な行動の重要性を強調する。
ポッドキャストダイジェスト:WANDERBIRD #45「Ines Papert」
概要
このエピソードは、ホストのパウル・グシュルバウアー(レッドブルX-Alpsベテラン)が、ドイツ屈指のアルピニスト、イネス・パーペルトを迎えた約10年ぶりの再会対談である。4度のアイスクライミング世界チャンピオン、20以上のワールドカップ優勝を誇る彼女だが、この対談の核心は競技成績ではなく、「情熱を生きる」ことの意味にある。パウルはかつてイネスの下宿人であり、二人はハイク&フライ(山に登ってパラグライダーで飛び降りる活動)を共にしていた。この個人的な繋がりが、単なるインタビューではなく、互いの人生の軌跡を照合する親密な対話を生み出している。イネスは50歳を目前にした現在の心境、女性アスリートとしての葛藤、マルモラーダ南壁での大転落事故、そして人生の転機について、驚くほど率直に語る。
キャリアは「計画」ではなく「発見」—情熱から生まれる道
イネスは冒頭から、彼女のキャリアが計画されたものではなかったと明言する。「私は決してキャリアを始めたわけではない。ただ、ある時から飛ぶことを始め、それが遠征のための登りにおいて素晴らしいトレーニングだと気づいた」。彼女の哲学は明確だ。「人生の課題は、自分で選ぶものではなく、見つかるもの」。彼女は「見出しのため」ではなく「心の奥底から」行動することの重要性を強調し、この姿勢が結果的に人々を魅了し、スポンサーや講演の機会をもたらしたと語る。
パウルはこの考えに深く共感し、自身のWanderbirdアカデミー運営でも同じジレンマに直面していると打ち明ける。「常に『これを変えるべきかもしれない』というループに陥る。でも実際には、同じことを繰り返し、きちんとやるだけなんだ」。イネスはこれに応え、「変化は常にチャンスだが、全く別のことを新しく始めるのではなく、自分の核となる情熱を保ちながら調整することが重要だ」と助言する。
このセクションの核心は、成功が「計画」ではなく「一貫性」から生まれるという逆説にある。イネスは「私は今も第一にアスリートであり、プロジェクトや計画を持っている。でも50歳になって、『何かを成し遂げなければ』という強迫観念から解放された」と語り、年齢とともに「ねばならない」から「できる」へのシフトが起きたことを示唆する。
女性とクライミング—自己疑念を乗り越えて
イネスは、アイスクライミングが男性支配の分野だった当時、女性として参入した稀有な存在だったと振り返る。「女性は自己肯定感が低く、自己疑念が強い。だから挑戦することを躊躇してしまう」。彼女はこの観察を、自身の人生の使命に昇華させた。「女性を励まし、『私たちにもできる』という確信を伝えたい。私たちには異なる能力や前提条件があるが、山が提供するすべてに対して、男性と同様に適性がある」。
彼女は26歳で早くに母となり、その後キャリアを本格化させた。「多くの女性はキャリアや強い時期が終わってから子育てを始めるのを待ちすぎる。でも私は母であることをハンディキャップと見なさなかった。組織化が重要であり、リスクの評価もより慎重になる。それは以前からやっていたことだ」。彼女の息子は現在25歳で、母よりも強いクライマーに成長したという。「明らかに、その情熱は伝染したようだ」。
パウルは、現代のソーシャルメディア時代において、外部の評価に流されず自分の道を貫く難しさを指摘する。イネスは「Instagramがなかった時代で本当に良かった」と述懐し、「振り返って自分を褒められるのは、本当に内なる確信から行動してきたからだ。スポンサー契約がなくても、私は同じことをしていただろう」と断言する。ただし、規模や質は異なっていたかもしれないと認め、理学療法士としての資格が「プランB」としての安心感を与えていたことを明かす。「若いアスリートには必ず教育を終えることを勧めている。プランAが失敗した時の安全網があると、競技に臨むプレッシャーが根本的に変わる」。
女性限定エクスペリエンス—「与える」ことから生まれる成長
イネスの現在の活動の中心は、女性限定のクライミング・エクスペリエンスだ。クロアチア、南チロル、東チロルなどで開催され、クライミングとヨガを組み合わせている。「ヨガは自分の弱点と向き合い、柔軟性を高め、怪我の予防にもなる」。また「ファイアメディテーション」という焚き火を使った瞑想も取り入れている。「すごくスピリチュアルに聞こえるかもしれないが、実際はとてもシンプルで素晴らしい。人生で不要なものを手放すことを可能にしてくれる。それを手放せると、突然新しい扉が開く」。
この活動の本質は、女性が「強い男性の助けなしに」自分の力で登ることを学ぶことにある。「男性と女性の組み合わせでは、男性は本能的に保護者役を演じてしまう。それは遺伝的に仕方のないことで、美しいことでもある。しかし、自分の力で何かを成し遂げたい時、それは妨げになる」。イネスは、このエクスペリエンスを通じて女性たちが「恐怖を手放す」ことを学ぶと説明する。「恐怖は体を硬直させ、力を浪費する。恐怖に支配されると、半分も登らないうちに疲れ切ってしまう」。
パウルは、自身のアカデミーでも同じ現象を観察していると共感を示す。「私も同じことをやっている。人に教えることで、自分自身も学んでいる」。イネスはこれに深く同意し、驚くべきエピソードを披露する。「昨年、クロアチアで女性グループと一週間過ごした後、自分の最高難度のルートを登れた。その週はほとんどトレーニングしていなかったのに。女性たちとの時間が私を極めて触発した」。この経験は、「教えること」と「学ぶこと」が相互作用的であることを示している。
パラグライダーとアルピニズムの交差点—アイガー北壁の試み
イネスにとって、パラグライダーは「第一にコミュニティ」だと彼女は言う。「私はソロの戦士ではない。だからチームで登る」。地元のライヒェンハル地域では、友人と自発的にプレディヒトシュトゥールやツヴィーゼルアルムに登り、飛ぶことを楽しんでいる。「遠くへ飛びに行くことはほとんどない。家の近くで、クライミングをしない友人たちと山を楽しむ素晴らしい方法だ」。彼女は今でも離陸前に少し緊張すると認め、「それは注意力を高めるために重要だ」と語る。
しかし、彼女の最も野心的な飛行プロジェクトは、アイガー北壁との組み合わせだった。2014年から2015年頃、写真家のトーマス・ゼンフと共に、アイガー、メンヒ、ユングフラウの北壁をパラグライダーで繋ぐ計画を立てた。「アイガー北壁を登り、メンヒの取り付きまで飛び、そこを登って、ユングフラウでも同じことをし、ユングフラウ山頂からグリンデルヴァルトへ飛ぶ」という壮大な構想だ。結果として、アイガー北壁のクラシックルートを2回登り、1回だけ飛行に成功した。「2回目はメンヒまで登ったが、南からの強風(ほぼフェーン)が吹き荒れ、予報にはなかった。もうこの試みはやめようと思った」。
このプロジェクトの意義は、飛行の可能性が登山の計画を変えたことにある。「夜中の12時から朝の6時まで登り、最初の光とともにアイガーヨッホから飛び立った。ビバーク(野営)を避けるため24時間以内に完了する計画だった。ビバーク装備を運ぶのは物流上の大きな課題になるからだ」。パウルは「パラグライダーがイネスをアイガー北壁登攀に導いた」と冗談めかして言い、イネスも「そうでなければ、あの壁を登ることはなかったかもしれない」と認める。
ネパールでの未踏峰—「一人だけ飛ぶ」ことのジレンマ
2013年、ネパール遠征でのエピソードが語られる。当初計画していた大壁の初登攀は悪条件のため断念し、別の山に目標を変更した。そこで彼女たちは未踏峰を登攀することになる。「その山は誰も登ったことがなかった。本当に素朴で自発的なアイデアだった」。しかし、山頂直下でトーマスが凍傷になり、テントで回復することに。イネスは一人で山頂に立ち、人類初の登頂者となった。「山頂に立って、エベレスト地域の全景を見渡した。晩秋で極寒だったが、完璧な離陸条件だった。しかし、私はパラグライダーを持っていなかった。下山に2日かかり、非常に複雑で困難だった」。
この経験から、イネスは「一人だけ飛ぶ」ことへの強いこだわりを語る。「私は決して一人で飛ばない。もし一人が飛び、もう一人が飛べない場合、取り残された人は単独で氷河を横断して下山しなければならない。それは危険すぎる」。パウルはこれに強く共感し、自身のアイガー山頂での逆の経験を語る。「友人が先に飛び立ち、私は一人で山頂に取り残された。アイゼンやアイスアックスを持って、どうすればいいのか全く分からなかった。『パラグライダーは上手く飛べるけど、これが失敗したら、ここでどうやって下山するんだ?』という感覚だった」。
この対話は、異なるスキルセットを持つパートナーシップの本質を浮き彫りにする。パウルは「パラグライダーは魔法の装置だ。難しい状況から一瞬で脱出できる」と語り、イネスは「しかし、難しい離陸場所ではまだ自信がない」と認める。二人はかつてセロ・トーレからの飛行計画を話し合ったことがあるが、双方のスキル不足で実現しなかった。パウルは「今ならファビアン・ブールが両方を最高レベルでこなす」と述べ、彼をポッドキャストに招きたいと語る。
マルモラーダ南壁の転落事故—「プランB」の教訓
イネスのキャリアにおける最大の転機は、マルモラーダ南壁での大転落事故だった。当時30代前半、息子のマヌはまだ小さく、ベビーシッターもいなかった。「天気予報はまずまずで、当時の彼氏であるスイスのクライマーと『魚の道』(ヴィア・デル・ペッシェ)という極めて高度なアルパインクラシックを登る機会があった。私は『これが唯一のチャンスだ』と思った」。しかし、出発前、幼い息子が異例の警告を発した。「マヌは前にも後にも『ママ、行かないで』と言ったことはなかった。でもその時は『ママ、ドロミテに行かないで』と言った。それでも私は行った」。
彼女たちは天候の悪化が予想されたため急いでいた。「暗闇の中で最初のピッチを登り始めた。朝の最初の光の中、私は速すぎて不注意になっていた。巨大な緩んだ岩の板に取り付いた。安全だと思い、支点を設置し、掴まった瞬間、その部屋ほどの大きさの岩板が私ごと倒れ、墜落した」。彼女は10〜20メートル落下し、右足を骨折。奇跡的にスタンド(支点)が保持され、天候の隙間を縫ってヘリコプターによる救助が行われた。
医師たちは「クライミングはもう無理だ」と宣告したが、イネスは信じなかった。「ギプスと松葉杖で、片足でクライミングジムに通った。トラウマを人生の一部にしたくなかった」。この経験から彼女が学んだ最大の教訓は「常にプランBを持つ」ことだ。「あの時は『魚の道』しか選択肢がなかった。天候が悪化し、プレッシャーが生まれた。今は常に、より簡単で速く登れる代替ルートを用意している。天候が変わっても対応できるように」。また、彼女は「過剰な自信も不健康だ」と認める。「当時の私は『自分は絶対に墜落しない』と思っていた。それは傲慢だった」。
人生の転機—別れ、失われたプロジェクト、そして新たな始まり
イネスは、ここ数年が人生で最も不確実な時期だったと打ち明ける。「50歳は頭の中で何かを変えた。そしてパートナーとの別れ、そして私たちが10年かけて作り上げたイストリア(クロアチア)の山小屋プロジェクトの行方不明」。彼女たちは2軒の石造りの家を購入し、クライマーやパラグライダー飛行士のための宿泊施設として改装していた。「私はそこを将来の生活の場として構想していた。ホステルのママとして、人々と交流し、アドバイスをし、夜を共に過ごす。しかし、別れの後、ビジネスパートナーとしても上手く機能しないことが明らかになった。誰が引き継ぐのか、どうするのか、まだ決着していない」。
この喪失は、彼女に予期せぬ自由をもたらした。「3年間、私は計画を持たずにいた。しかし、そのおかげで時間ができた。今年の1月、私は前触れなくノルウェーに飛んだ。クライミングパートナーもいなかったが、現地で最強のアイスクライマー2人と知り合い、素晴らしい初登攀を4本達成した」。彼女はまた、インドに「女性の山」と訳される山があることを明かす。1970年に初めて女性チームによって登頂されたが、その東壁(1800メートル)は未踏だという。「もちろん、私は女性チームでそこに行きたい。それ以外の選択肢はない」。
パウルは、イネスが「ホステルママ」という引退後の計画を失ったことを「残念だが、新しい遠征が待っている」と表現する。イネスは「人生は常に、適切な瞬間に適切なプロジェクトを送ってくれる。ただ、少しは自分から動かなければならない。じっと待っているだけでは何も変わらない」と語り、この楽観主義が彼女の人生哲学の核心であることを示す。
まとめ
このエピソードの力は、二人の対話が「アスリートの成功物語」ではなく、「人生の移行期における誠実な自己対話」である点にある。イネス・パーペルトは、競技の頂点から「与える」立場への移行、身体的な衰えとの向き合い方、そしてパートナーシップの終焉という個人的な喪失を、驚くべき透明性で語る。彼女の「プランB」の哲学は、単なる登山の戦略ではなく、人生そのものに対するアプローチとして機能している。パウルとの再会は、10年の歳月を経て二人の道が「情熱を生きる」という同じ原則に収束していたことを明らかにする。このエピソードが重要なのは、成功が直線的な軌跡ではなく、挫折、再発見、そして他者への奉仕を通じて紡がれることを示しているからだ。
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