
計算速度でのLab-in-the-Loop — Ian Quigley、Leash Bio
- Leash Bioは、DNA Encoded Library(DEL、DNAバーコード付き化合物ライブラリ)を用いてタンパク質と低分子化合物の結合データを大規模に収集...
- Quigleyの主張の核心は「スケールする測定法を持て」という一点に集約される。生物学でスケールする技術は「写真を撮る」か「DNAを読む」かの二つしかなく、DELは後...
- [0:00] DELの基本構造と「トラウマ」の正体 DELとは、各低分子化合物に物理的にDNAバーコードを結合させ、何百万もの化合物を一つのチューブにプールする技術で...
自分では見つけにくい海外Podcastの話題に、日本語で気軽に触れたい人。
Latent Space: The AI Engineer Podcast / Latent.Space
- Leash BioはDNA Encoded Library(DEL)を用いて約2,000のタンパク質コンストラクトに対して約5,000回のスクリーニングを実施し、各回650万分子以上を評価。CROに1回10万ドルで依頼する従来型の約1,000倍の規模を少ない調達額で実現した。
- Kaggleコンペティションでは2,000チームが参加したが、最も難しい評価(全く異なるケミカルライブラリ)では誰一人チャンスレベルを超えられなかった。全データはPolaris上で公開されている。
- ChEMBLのデータを使い、分子構造だけから化学者をトップ5精度60%で特定できることを証明。作成者の確率ベクトル(1,800要素)だけで活性予測が化学式と同等の性能を示し、モデルが「物理学ではなく社会学」を学習していることを暴露した。
- HermesはESM(タンパク質)とChemBERTa(低分子)の埋め込みをクロスアテンションで結合した単純なモデル。自社データのみで訓練しながら、Boltzと公開ベンチマークで同等の性能を達成。BRD4分子ではBoltzがPDBで既に見ていた分子を完璧に予測したのに対し、Hermesは苦戦した。
- タンパク質の結合ポケットに実際に変異を導入して再スクリーニングすることで、モデルがタンパク質の「ニックネーム」を記憶するのを防ぎ、アテンションを結合部位全体に分散させることに成功。競合アッセイと組み合わせて結合部位を確証する手法を確立した。
- 言語モデルを使ったエージェント・サンドボックスでは、650万分子から100分子の予算で最良の結合剤を探索。10,000以上のSARキャンペーンを抽出し、自然言語を正則化として使用することで記憶問題への耐性を高めている。
- 炎症プログラムではケミカルライブラリのヒットからマウスでの良好なPKPDまで6ヶ月で到達。サイトカインレベルが標的に基づく期待通りの挙動を示した。
- Quigleyが「by fiat」で除去したいボトルネックは、低分子の大規模並列精製技術。HPLCなど既存手法は並列化が難しく、これが実現すれば直交的な検証アッセイが可能になる。
Leash Bioは、DNA Encoded Library(DEL、DNAバーコード付き化合物ライブラリ)を用いてタンパク質と低分子化合物の結合データを大規模に収集し、それを機械学習の訓練データとして活用する企業である。共同創業者兼CEOのIan Quigley(イアン・クイグリー)は、以前在籍していたRecursionで高次元生物学データのノイズやモデルの「カンニング」に苦しんだ経験を持ち、その経験をDELという別の難物に持ち込んだ。DELはこれまで「触った者はみなトラウマを負う」と評されてきた技術だが、Leashは実験プロトコルの再設計、多数のバーコードによる偽陽性除去、ネガティブコントロールの徹底によって、再現性の高い大規模データを生み出すことに成功した。本エピソードは、Kaggleコンペティションでの敗北、ChEMBLに潜む「化学者の社会学」の暴露、自社モデルHermesの開発、そしてエージェントによる科学的推論のサンドボックス化まで、AI創薬の現場で何が本当に難しいのかを克明に語る。
Quigleyの主張の核心は「スケールする測定法を持て」という一点に集約される。生物学でスケールする技術は「写真を撮る」か「DNAを読む」かの二つしかなく、DELは後者を極限まで活用する。Leashは約2,000種類のタンパク質コンストラクトに対して約5,000回のスクリーニングを実施し、各スクリーニングで650万分子以上を評価してきた。この規模は、CROに1回あたり約10万ドルで依頼する従来型のスクリーニングとは桁違いであり、しかもLeashは「調達額が少ない」状態でこれを実現している。データを集めること自体が目的化しうるという「Kosuri paradox(コスリのパラドックス)」――優れたモデルには大量データが必要だが、そのデータを集められるならモデルは不要ではないか――に対して、Quigleyは「特定のターゲットを狙うだけならその通りだが、化学的推論を汎化させれば農業や獣医学、材料科学にも展開でき、最終的にはスクリーニング自体が不要になる」と反論する。
DELの基本構造と「トラウマ」の正体
DELとは、各低分子化合物に物理的にDNAバーコードを結合させ、何百万もの化合物を一つのチューブにプールする技術である。タンパク質を磁気ビーズに固定してこのプールに浸し、結合した化合物を釣り上げてDNAをシーケンスすることで、どの化合物が結合したかを同定する。従来の「一化合物一ウェル」方式では最大でも数百万化合物が限界だったが、DELでは最大40兆分子のライブラリが作製された例がある。ただし、この規模になると制御が難しくなる。
DELが「トラウマ」を生む理由は複数ある。第一に、DNAバーコード自体がタンパク質に結合してしまう問題がある。DNA結合タンパク質(転写因子など)は当然DNAに結合するため、偽陽性が大量に発生する。Leashの対策は、一つの化合物に対して32〜48種類の異なるバーコードを付与することである。同じ化合物に複数のバーコードがあれば、特定のバーコードだけが異常に濃縮される場合はDNA結合によるアーティファクトだと判別できる。逆に、濃縮されたDNA配列から転写因子の既知の結合モチーフ(6〜8塩基程度)を回収できれば、タンパク質が正しく折り畳まれている証拠にもなる。
第二の問題は、DNAバーコードが「かさ高い」ため、化合物の結合特性に影響を与えうることだ。Quigleyはこれを二つの観点から整理する。創薬目的であれば、DNAを外した状態での活性を確認する必要があり、易しい化合物で約90%、難しいもので約50%がDNA除去後も機能するという。しかし機械学習目的であれば、バーコードが付いた状態こそが「物理的に測定された現実の信号」であり、モデルにはバーコードの存在をプレースホルダーとして条件付けすればよい。Leashが何ヶ月にもわたって実験を再実行しても同じヒットが同じ順序で再現されるという事実が、このデータの信頼性を支えている。
第三に、DELのライブラリは組み合わせ化学で構築されるため、ビルディングブロックの数は最終的な化合物数よりはるかに少ない。数千〜数万のビルディングブロックから数百万の化合物が生成される。この構造は機械学習にとってむしろ有利に働く。類似した構造を持つ化合物が大量に存在するため、「この部分が結合を駆動している」という因果的な比較が可能になるからだ。
なぜDELは難しいのか、そしてLeashはいかにして克服したか
従来のDEL利用者がトラウマを負う構造的な理由は、その使われ方にある。DELが発明された当時、シーケンスコストは今よりはるかに高く、実験自体が大きな賭けだった。利用者は「他に手段がないほど難しいターゲット」に対してDELを試みる。そのため、タンパク質の発現と精製に2〜6ヶ月を費やし、多様性を最大化しようとして巨大なライブラリを選択する。結果として、実験の制御が効かなくなり、再現性のないデータに悩まされる。
Leashのアプローチは根本的に異なる。特定のターゲットに対する結合剤を見つけることよりも、多数のタンパク質に対して大量の活性データを取得することを優先する。各ケミカルライブラリは数百のターゲットに対してスクリーニングされるため、ライブラリ自体の特性が極めてよく理解される。同じライブラリを複数回製造しても挙動が異なることを、数百のタンパク質に対するスクリーニングによって初めて発見した例もある。この「ライブラリのキャラクタリゼーション」は、タンパク質製造プロセスの評価やトラブルシューティングにも役立つ。
Quigleyと共同創業者のAndrew Blevins、そしてチームの多くはRecursion出身である。Recursionでは高次元イメージングデータにおいてモデルが「カンニング」する失敗モードを多数経験した。「このデータはどの装置で取得されたか予測できるか? できるならそれは非常にまずい」という思考法が、DELの実験設計に直接持ち込まれた。Recursion出身の起業家たちは「Recursionマフィア」と呼ばれ、Leashの他にNoetic(Ron Alfa)、Invada(Vishwa Kaluru、August Allen、Hana Gordon、Dave Healy)、Known Medicine(Katie Ruskelley、後にPathosが買収)などが存在する。いずれも「ノイズの多い測定からいかにして信号を抽出するか」という共通の課題に取り組んでいる。
Leashのビジネスモデルは、大規模な結合データを収集して機械学習の理解を深めつつ、有望な低分子化合物をパートナーに提供して患者に届けることである。低分子医薬は経口投与が可能で細胞内に浸透できる一方、毒性や心臓不整脈などの副作用リスクが高く、規制の壁も抗体より厳しい。Leashはオフターゲット毒性の予測にも取り組んでおり、「最終的にはヒト以外の全タンパク質もスクリーニングしたい」とQuigleyは述べる。マウスではなくラットで実験すべきかどうかを、種間でのタンパク質の微妙な違いに基づいて判断できるようになることが目標だ。
Kaggleコンペティション――40億の測定値と「チャンス以下」の衝撃
Leashは2年前、約40億の物理的相互作用を含むデータセットを公開し、Kaggleコンペティションを開催した。これは当時最大の集約データベースだったBindingDBの約300万相互作用の1,000倍以上であり、しかも「自宅の地下室で一人の人間が測定した」ものだった。天井高7フィートの地下室アパートで、文字通りガレージスタートアップならぬ「ベースメント・スタートアップ」として始まったのである。
コンペティションの評価設計は極めて慎重だった。上海のAlpha MaのXiaoji Liuから提供された1億3,000万分子のライブラリを使用し、中心にトリアジン環を持つ「ハブ・アンド・スポーク」構造の化合物を対象とした。評価は三段階に分けられた。最も易しい評価では、化合物が一つの共通ビルディングブロックを共有する。中程度の評価では共通ビルディングブロックはないが、トリアジンハブは共通で、スポークが類似している。最も難しい評価では、Leashが独自設計した全く異なるケミカルライブラリを使用し、共通ハブも共通ビルディングブロックもなく、結合化学も異なる。この三段階の構成は参加者に事前に知らされなかった。
結果は衝撃的だった。2,000チームが参加し、共有ビルディングブロックのある評価では勝者がある程度の性能を示した。共通ハブのみの評価では、ターゲットによっては性能向上が見られた。しかし最も難しい評価では、誰一人としてチャンスレベルを超えられなかった。上位5チームのうち3チームは「ノイズの多いチュートリアルノートブック」を使用していたという。勝者はVictor Shlopovという人物で、やや異なるアプローチを取ったが、やはりチャンスレベルを超えられなかった。
Leashはこの結果を受けて全データをPolaris(Recursionが運営していた非営利グループ)上で公開した。「自分は優れていると思う人はぜひ挑戦してほしい」と呼びかけているが、Quigleyによれば「まだ誰もこの問題で優れた性能を示していない」。この結果はLeashにとって「苦い教訓(bitter lesson)」の裏付けとなった。つまり、スケーラブルな測定法で質の高い信号が得られるなら、まずそれを集めるべきだという確信である。Quigleyは「この問題が思ったよりずっと難しいとわかって、むしろ喜んだ」と述べる。競争が少なく、専門知識を持つ企業にとっての機会が大きいからだ。
コンペティションから得られたもう一つの重要な教訓は、分子の表現方法に関するものだった。SMILES(グラフ走査をテキスト文字列に変換したもの)が、3Dグラフや球面畳み込みネットワークなどよりも優れた性能を示した。SMILESは3D構造を一切エンコードしない極めて単純な表現だが、「派手な方法を打ち負かした」のである。また、モデルが個々のビルディングブロックを記憶することで性能を向上させている可能性も明らかになった。共有ビルディングブロックがある場合は性能が上がるが、全く新しい化学空間では機能しない。この「記憶と汎化」の区別が、その後のHermes開発の中心的な課題となる。
Hermes――自社データのみで訓練されたモデルの設計と評価
Kaggleコンペティションから約6ヶ月後、LeashはHermesを発表した。HermesはデータサイエンティストのMax Kleinshauser、Sean Francis Lyon、CTOのAndrew Blevinsによって開発された。目的は最先端モデルの構築ではなく、「高速に実験を回すための死ぬほど単純なモデル」だった。アーキテクチャは二つの埋め込み層からなる。タンパク質側にはMeta出身のグループが開発したESM(Evolutionary Scale Modeling)埋め込みを使用し、低分子側にはChemBERTa(SMILESトークンを次トークン予測する化学埋め込み)を使用する。これらをクロスアテンションで結合し、二値ラベルを予測する。
クロスアテンションを選択した理由は、以前のグラフ畳み込みモデルの経験にある。タンパク質構造のグラフモデルで位置座標をスクランブルしても性能がほとんど変わらなかったという観察から、「アテンションが重要だ」という結論に至った。これは画像生成における「ピカソ問題」に類似する。CNNが画像の局所的特徴だけを拾い、鼻や目の位置を入れ替えても「ピカソだ」と認識してしまう問題である。低分子創薬でも、モデルが個々のビルディングブロックを独立に学習し、単に「三つのビルディングブロックの和」に分解してしまう危険性がある。クロスアテンションは、分子の特定部分とタンパク質の特定残基が相互作用する機会を提供する帰納バイアスとして機能する。
Hermesの評価では、Kaggleコンペティションと同様の慎重な分割戦略が取られた。ビルディングブロックの同一性で分割するだけでなく、類似したビルディングブロックのクラスタリングを行い、テストと訓練の間でクラスタ全体が重複しないようにした。この「ビルディングブロッククラスタ分割」では、XGBoostの性能が急激に低下する一方、Hermesの性能は比較的安定していた。Quigleyは「XGBoostが本当に崩壊するには、かなり分布から外れる必要がある」と指摘する。Leashは「XGBoost is all you need」というブログ記事も書いており、常にXGBoostをベースラインとして使用している。
Hermesの最も野心的な評価は、外部データで一切訓練せずに外部データで予測するというものだった。約500のタンパク質ターゲットに対して約1,300万のテストを実施し、当時の最先端構造モデルであるBoltzと比較した。HermesはBoltzができる多くのことをできないが、公開データセット上での結合予測性能はほぼ同等だった。特に印象的なのはBRD4というタンパク質の例である。Leashのスクリーニングに含まれる分子と同一の分子がPDB(Protein Data Bank)に存在し、Boltzがそれを訓練データとして見ていた可能性が高い。Leashのモデルはその分子に対して「あまり良くなかった」が、Boltzは「完璧だった」。これはBoltzが結晶構造としてその分子を既に見ていたことを強く示唆する。
ChEMBLのClever Hans――化学者の社会学を学習するモデル
Leashの最も有名なブログ記事の一つは「Clever Hans」問題を扱っている。何年も前、QuigleyとBlevinsがRecursionで画面上の低分子を見ていたとき、 medicinal chemistのMike Cucurisiが通りかかり「Stuart Schreiberの分子みたいだね」と言った。構造を見ずに、通りすがりに「誰が作ったか」がわかるという事実は衝撃的だった。もしモデルが分子だけから化学者を特定できるなら、モデルは化学者の意図を推論している可能性があり、つまり物理を何も学んでいないかもしれない。
LeashはChEMBL(最大の化学物質-活性データベース)から、30報以上の論文と600以上の分子を発表した全ての化学者(約15〜18人)のデータをダウンロードし、分子だけから化学者を予測する分類器を訓練した。結果はトップ5精度60%という驚異的な数字だった。モデルが混乱するのは、同じ機関に所属し同じ論文を発表した化学者同士の場合だった。これは、個人が分子を作る際に独特の化学的「署名スタイル」を持ち、学生や研修生がその一部を継承することを示唆する。
さらに衝撃的なのは、分子を化学構造や式ではなく「作成者の確率ベクトル」(1,800要素)で表現し、その表現から活性を予測するモデルを訓練したところ、化学式を使った場合と同等の性能を示したことである。Quigleyは「モデルは社会学を学んでいるのであって、グラウンドトゥルースを学んでいるのではない」と断言する。化学者は「これをやるのは馬鹿げている」と考えて多くの選択肢を却下するが、その却下の記録は残らない。しかし「何を作らなかったか」という指紋は「何を作ったか」に刻まれる。迷信深い化学者の中には「このビルディングブロックは臨床まで行ったプログラムで機能したから好きだ」という理由で選択する者もおり、モデルはそうした癖まで学習してしまう。
この問題は分子量にも現れる。多くの公開データセットでは、分子量でソートするだけで結合予測のかなりの精度が得られる。CASF-2016ベンチマークでは分子量が1位か2位にランクされた。これは化学の本質的特性ではなく、「機能している分子にはさらに修飾を加える」という創薬の社会学の産物である。ヒットが見つかると化学者は結合部位に官能基を追加し、溶解性のために親水性基を付け加え、分子はどんどん大きくなる。Quigleyは「Clever Hans」の故事を引く。19世紀末のドイツで、賢い馬ハンスが算数を解けると話題になったが、答えを知らない質問者を前にすると全く失敗した。馬は飼い主の姿勢や微表情を読んでいただけだった。同様に、モデルは化学を理解しているのではなく、作成者の社会学を記憶しているのである。
ポケットを壊す――タンパク質変異体による記憶の打破
Hermesのアテンションマップを分析したところ、モデルは結合ポケットでも保存領域でもなく、機能的部位から離れた短いアミノ酸配列に注目していた。これは分子進化で保存された「ドメイン」の外側にある、通常は重要と考えられていない可変領域だった。Quigleyは「Hermesはタンパク質にニックネームを付けている」と表現する。「この10〜12アミノ酸を覚えれば、このタンパク質を識別できる」という戦略である。これは共折り畳みモデルがポケットをデジタル的に壊しても分子を押し込んでしまう現象と本質的に同じで、物理を理解していない証拠だ。
Leashの対策は、タンパク質の結合部位に実際に変異を導入し、再スクリーニングすることである。野生型タンパク質のDNAを微生物学的手法で改変し、結合ポケットのアミノ酸を一つ以上変更する。どのアミノ酸を壊すべきかは、構造生物学の知見、保存性分析、AlphaFoldやBoltzなどの構造予測モデルを活用して判断する。場合によっては「勘」で複数の候補を試すこともある。Leashは週に100種類のタンパク質コンストラクトをスクリーニングすることもあり、この規模での変異導入は現実的である。
変異導入の効果は劇的である。あるポケットの変異では、特定のケミカルシリーズが結合しなくなる一方、他のシリーズは影響を受けない。これにより「この化合物は確かにこのポケットに入っている」という証拠が得られる。さらに競合アッセイも組み合わせる。既知の結合剤を高濃度で添加してスクリーニングすると、ポケットに入る化合物は置換される。変異導入と競合アッセイの両方で同じ化合物群が消失すれば、それらが同じポケットに入っている強い証拠となる。タンパク質化学者からは「変異を入れたらタンパク質全体が壊れたのではないか」という反論があるが、「競合剤で追い出されたシリーズだけが失われ、他の部位に結合するシリーズは無傷で残る」ことで反証できる。
DELの組み合わせ的性質はここで真価を発揮する。一つのケミカルシリーズに数百の分子があり、ビルディングブロックの一箇所だけが異なる別のシリーズが存在する。変異導入によって「この小さな違いが集団の挙動を大きく変える」という例が5つも独立に観察されれば、「この側鎖がこのアミノ酸残基と相互作用している」という結論は極めて確実になる。Quigleyはこれを「美しいほど明確」と表現する。この手法はキナーゼのような、結合部位が一残基だけ異なる100種類以上の類似タンパク質を扱う場合に特に強力である。
変異導入データを追加してHermesを再訓練すると、アテンションマップが劇的に変化した。モデルはもはや「ニックネーム」戦略を使えなくなり、全てのアミノ酸をより均等に注目するようになった。Quigleyは「モデルに『そんなのダメだ、ずるはやめろ』と教えている」と説明する。このアプローチは、モデルから生物学を学ぶという点で、機械学習の解釈可能性(mechanistic interpretability)の最も実用的な応用の一つと言える。言語モデルには「言語」という足がかりがあるが、化学のモデルにはそれがなく、モデルを検査しなければ何を考えているか全くわからないからだ。
言語モデルによるエージェント・サンドボックス――Minosへの道
Leashの最近の取り組みで最も野心的なのは、言語モデルを使って分子とタンパク質の挙動を「読める英語」で表現し、エージェントに科学的推論を行わせるプロジェクトである。Quigleyはこれを「lab-in-the-loop」のシミュレーションと呼ぶ。オープンソースの言語モデル(Qwen、GLMなど)を微調整し、「この構造を自然な英語で記述せよ」「二つの分子の違いを英語で説明せよ」というタスクを学習させる。次に「これらの分子は結合するが、これらはしない。なぜ結合すると思うか」と問い、仮説を英語で書かせる。
エージェントには650万分子のカタログから5〜10分子を選択して仮説を検証する機会が与えられる。エージェントは既に収集済みのデータベースを参照し、瞬時に結果を得て、仮説を更新する。これはコーディングサンドボックスと同じ構造であり、medicinal chemistが行うSAR(構造活性相関)キャンペーンを極限まで高速化したものだ。目標は「100分子の予算で最良の結合剤を見つけること」であり、エージェントは約102回のAPI呼び出しで多段階推論を行う。Quigleyによれば、先週末だけで10,000以上のSARキャンペーンを抽出したという。通常のmedicinal chemistはキャリアを通じて数十回しかSARキャンペーンを経験しないことを考えると、これは桁違いの規模である。
このアプローチがHermesのような従来型モデルより優れている理由をQuigleyは二つ挙げる。第一に、記憶問題に対する耐性が高い。Hermesでさえ、変異体を追加すればモデルは変異体を記憶し始める。自然言語は「問題に対する優れた正則化」として機能する。第二に、エージェントは「人間が選ばなかった選択肢」も探索できる。Leashのデータは全ての分子を全てのタンパク質に対して測定しているため、化学者が「これは無駄だ」と却下したような組み合わせも含まれている。エージェントは直感に反する選択を行い、その結果から学ぶことができる。これは「反事実(counterfactual)」の学習であり、化学者の社会学の指紋に汚染されていない。
QuigleyはこのプロジェクトがMinosへと発展したことを示唆する。録音時点では「チームが遊んでいた」段階だったが、2ヶ月後に完全なプレプリント、ブログ、オープンデータセットとして公開された。Leashは現在10人の小さなチームであり、Quigleyは「実験コーパスが2倍、10倍、100倍の速度で成長すれば、エージェントが探索できる空間は劇的に拡大する」と期待を述べる。このアプローチは、物理的にグラウンドされた強化学習ループとしては他に類を見ない規模と速度を実現している。
限界と反論――ADMET、化学空間、そして「より資金のあるラボ」
ポッドキャスト後半では、意図的に厳しい質問が投げかけられた。DELの限界として、ADMET(吸収・分布・代謝・排泄・毒性)特性の予測が難しいこと、化学空間のカバレッジが限られること、そして「より資金のあるラボが同じことを大規模にやったらどうするのか」という競争上の懸念が議論された。Quigleyはこれらに対して率直に回答している。
ADMETについては、Leashは実際に炎症プログラムで「ケミカルライブラリのヒットからマウスでの良好なPKPDまで6ヶ月」を達成した。この速度は、ライブラリ設計時にThompson sampling的な最適化関数を用いて薬物らしさを組み込んでいたことが一因である。ただし、これは「少数の成功例」であり、全てのケミカルシリーズが同様にうまくいくわけではない。また、DELの化学は伝統的にアミド結合に依存しており、体内で分解されやすいという批判があるが、過去4年間でDNAに優しい炭素-炭素結合や炭素-窒素結合の化学が急速に発展している。Quigleyがより懸念するのはビルディングブロックの多様性であり、「窒素を環の周りに一つずつ移動させる」ような微細な変化を商業的に入手するのは難しいという。
化学空間のカバレッジについては、Leashのライブラリは650万分子程度であり、理論上の化学空間(10の60乗)から見れば極めて小さい。しかしQuigleyは「自社データのみで訓練したモデルがChEMBLの全く異なる化学空間に汎化できる」ことを強調する。ロードマップとしては、微細な活性崖(activity cliff)を捉えるライブラリと、新しいタンパク質形状をカバーする粗い多様性のライブラリの両方を拡大する計画である。また、結合の相対的ランキングは再現性があるが、KD(解離定数)への変換はまだ研究段階であり、DNAバーコード自体が予期せぬタンパク質に結合する問題も残っている。
「より資金のあるラボがアウトスケールする可能性」に対してQuigleyは、RecursionとLeashでの経験から「実験的な失敗モードの追跡と文化の構築」が最大の障壁だと主張する。バッチ効果のメタデータ追跡、タンパク質発現プロセスの再構築、選択プロセスの再設計など、膨大な作業が必要である。具体例として「Lumacaftor様ヒット」の話を挙げる。Lumacaftorは嚢胞性線維症の誤折り畳みタンパク質を再折り畳みする薬剤であり、Leashのライブラリには類似化合物が含まれている。タンパク質が誤折り畳みすると、これらの化合物が異常にヒットする。Leashはこれを逆手に取り、「Lumacaftor様ヒットが大量に出たら、そのタンパク質は誤折り畳みしている」というフィルターとして使用している。このような「偶然の発見」を組織的に活用するには、注意深い観察とツールの整備、そして「何かおかしい」と気づく人材が必要である。
「Kosuri paradox」に対してQuigleyは、特定のターゲットを狙うだけならデータ収集で十分かもしれないが、化学的推論を汎化させれば農業、獣医学、材料科学など全く異なる分野に展開でき、最終的にはスクリーニング自体が不要になる可能性を指摘する。これはタンパク質折り畳み企業が、既にモデルが優れているため未スクリーニングのタンパク質に対しても良好な出発物質を得ている事例と類似する。Leashは現在約700のターゲットに対して選択的な出発物質を持っており、その全てを追求するわけではないが、パートナーシップやスピンアウトを通じて価値化する道を模索している。
結びに
このエピソードが残す最も強い印象は、「データを集めること」と「モデルを訓練すること」の間にある深い緊張関係である。Leashは40億の測定値を生成し、Kaggleコンペティションで「誰もチャンスを超えられない」ことを証明し、ChEMBLの「化学者の社会学」を暴露し、タンパク質の「ニックネーム記憶」をアテンションマップで可視化し、変異導入によってモデルを物理の学習へと誘導した。これらの知見は、AI創薬が「モデルアーキテクチャの改善」ではなく「測定の設計と失敗モードの追跡」によって前進することを示している。Quigleyの「苦い教訓」への傾倒は、スケーラブルな測定法を持つ者が最終的に勝つという信念に基づいている。
もう一つの重要なテーマは「エピステミック・リゴール(認識論的厳密性)」である。Leashのブログ記事群は、モデルが何を学習しているかを徹底的に疑い、検証する姿勢に貫かれている。分子量でソートするだけで予測できること、化学者を60%の精度で特定できること、モデルが結合ポケットではなく「ニックネーム」を見ていること――これらは全て「モデルが賢い」のではなく「データが汚染されている」証拠である。この姿勢は、AI for Scienceに取り組む全ての研究者にとって必須の教訓である。
最後に、言語モデルを使ったエージェント・サンドボックスの取り組みは、AI創薬の未来を示唆している。物理的にグラウンドされた強化学習環境を、既に収集済みのデータから構築するという発想は、実験コストの制約を回避しつつ、エージェントに因果的推論を学習させる道を開く。Quigleyが「10,000のSARキャンペーンを週末に抽出した」と述べたとき、それは単なる規模の話ではなく、medicinal chemistの暗黙知を明示的な推論トレースに変換する可能性を意味している。Leashは10人の小さなチームだが、そのデータとアプローチは創薬のあり方を根本から変える可能性を秘めている。
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