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Acquired · 2026年5月15日

TSMC創業者 モリス・チャン

AI generated article / ja / study
この記事でわかること
  • TSMC創業者モリス・チャンとの独占インタビュー:半導体産業の創造と進化の物語 本エピソードは、ポッドキャスト「Acquired」のホストであるベン・ギルバートとデビッド...
  • [3:17] NVIDIAとの出会い:ジェンセン・フアンからの手紙 チャン博士とNVIDIAのジェンセン・フアンCEOとの関係は、1997年にフアンから送られた一通の手紙...
  • チャン博士はこの手紙に「好奇心と同時に少し苛立ちを覚えた」と振り返る。なぜなら、たとえ小さな顧客であっても決して軽視してはならないと常に営業担当者に言い聞かせていたからだ...
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英語Podcastの要点を、聴く前に日本語で把握したい人。

出典Podcast

Acquired / Ben Gilbert and David Rosenthal

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TSMC創業者モリス・チャンとの独占インタビュー:半導体産業の創造と進化の物語

本エピソードは、ポッドキャスト「Acquired」のホストであるベン・ギルバートとデビッド・ローゼンタールが、台湾・台北のTSMC本社で93歳の創業者モリス・チャン博士に行った貴重なロングインタビューである。チャン博士の英語での長時間インタビューは17年ぶりであり、前回はなんとジェンセン・フアン(NVIDIA CEO)がインタビュアーを務めたという歴史的経緯がある。本エピソードでは、TSMCとNVIDIAの初期の関係構築、2009年の40ナノメートルノードにおける品質問題とその解決、Appleのビジネス獲得に至る舞台裏、そして「ラーニングカーブ」理論が半導体産業に与えた影響など、チャン博士の自叙伝(現在中国語のみ刊行)にのみ記された重要エピソードが語られる。半導体産業の再編成とTSMCの圧倒的な成功は偶然ではなく、チャン博士の先見性と戦略的決断の賜物であったことが浮き彫りになる。

3:17NVIDIAとの出会い:ジェンセン・フアンからの手紙

チャン博士とNVIDIAのジェンセン・フアンCEOとの関係は、1997年にフアンから送られた一通の手紙から始まった。当時、NVIDIAは設立4年目で従業員50〜60人、倒産の危機に瀕していた。一方TSMCは1995年にすでに10億ドルの売上を突破し、数千人の従業員を抱える大企業に成長していた。フアンはTSMCのサンノゼ事務所に連絡したが返答が得られず、直接チャン博士に手紙を書いたという。

チャン博士はこの手紙に「好奇心と同時に少し苛立ちを覚えた」と振り返る。なぜなら、たとえ小さな顧客であっても決して軽視してはならないと常に営業担当者に言い聞かせていたからだ。翌週、カリフォルニアに出張する予定だったチャン博士は、事前連絡なしにフアンに電話をかけた。電話の向こうでは激しい議論の声が聞こえていたが、フアンが「モリス・チャンから電話だ、静かにしろ!」と叫ぶと、すぐに静かになったという。

翌日、NVIDIAを訪問したチャン博士は、フアンの明晰さと楽観主義に感銘を受けた。フアンは自社の財務状況が厳しいことを率直に認めた上で、「今度開発するチップは会社を救うだけでなく、TSMCの主要顧客になる」と大胆に予言した。当時TSMCの売上は10億ドル超であり、「主要顧客」になるには年間少なくとも5000万ドルの収益をもたらす必要があった。このチップ(おそらくRIVA 128)は大成功を収め、2〜3年以内にNVIDIAはTSMCのトップ5顧客の一角を占めるに至った。

9:332009年の危機:40ナノメートルノードとNVIDIAとの軋轢

TSMCとNVIDIAの強固なパートナーシップにも試練の時が訪れた。2009年、40ナノメートルノードの開発が遅延し、製造上の歩留まり問題と品質問題が発生した。当時、チャン博士はCEOの座を後継者候補に譲り、自らは会長職に就いていた。問題の本質は、製造プロセスにおける歩留まりの低さ(多数の高品質チップを製造しようとしても、実際に機能するチップの割合が上がらない問題)にあった。

さらに深刻だったのは、品質問題をめぐる認識の相違だった。当時のCEOは品質管理責任者の主張を鵜呑みにし、「TSMCに落ち度はない」としてNVIDIAに何の補償も提案しなかった。チャン博士は「CEOとしての立場に戻ることを決意した」と語る。復帰後、最初の数日間で主要顧客全員に電話をかけ、フアンとも連絡を取った。フアンは友好的な態度を保ちつつも、40ナノメートル問題の深刻さを厳しい口調で伝えてきた。

チャン博士がCEOに復帰した直接の引き金は、前CEOによる大規模な人員削減だった。前CEOは「業績評価の悪い社員」という名目で約600〜700人を解雇した。チャン博士は「TSMCではこれまで、最悪の場合でも6ヶ月の試用期間を設けるだけで、実際に解雇することはほとんどなかった」と説明する。2008年の金融危機で売上が急落したとはいえ、半導体産業ではムーアの法則が常に新たな需要を生み出すため、人員削減は短絡的な対応だとチャン博士は考えていた。

解雇された社員たちはチャン博士の自宅前に集まり抗議デモを行った。警察が出動する事態となり、近隣住民にも影響が及んだ。2度目の抗議では約25人が自宅近くの公園に泊まり込み、チャン博士の妻ソフィーは一睡もできなかったという。翌朝早く、ソフィー夫人は警護員とともに近所の市場で中華風の朝食(揚げパンや豆乳など)を25〜30人分購入し、抗議者たちに配った。抗議者たちは感謝し、その日は大統領官邸への抗議行進を中止したというエピソードも語られた。

14:09NVIDIA問題の解決:ピザとサラダの夕食

CEO復帰後、チャン博士はNVIDIA問題の解決に約半分の時間を費やした。問題は単なる技術的な歩留まり改善ではなく、金銭的な補償問題だった。チャン博士は「あらゆる情報を収集し、両社にとって公平な金額を算出した」という。その金額は1億ドルを超えるものだった。

チャン博士はフアンにメールを送り、「来週シリコンバレーに行く。午後6時に君の家に行く。ピザとサラダだけにしよう」と提案した。フアンからは「いつ仕事の話をするんだ?」と即座に返信があった。チャン博士は「6時半にピザとサラダ、8時に君の書斎で仕事の話をしよう」と提案し、合意した。

約束の日、チャン博士はフアン宅を訪れ、フアンの妻ローリが作ったサラダと宅配のピザで楽しい夕食を過ごした。8時になり、チャン博士が「書斎に行こう」と促し、1億ドル超の補償案を提示した。同時に「このオファーは48時間有効だ。交渉はしない。もし受け入れなければ、君が前CEOに提案していた仲裁人に委ねる」と伝えた。フアンは2日以内にこの提案を受け入れた。

チャン博士は「長年の強固なパートナーシップと個人的な信頼関係があったからこそ、1時間半もの家族的な夕食をビジネス抜きで過ごし、その後で巨額の和解ができた」と振り返る。この和解以降、両社の間では何十億ドルものビジネスが生まれている。

38:0428ナノメートルへの大勝負:研究開発費8%と設備投資3倍

40ナノメートル問題を乗り越えた後、TSMCは28ナノメートルノードで業界のリーダーシップを確立する。この決断の背景には、チャン博士のテキサス・インスツルメンツ(TI)時代の経験があった。TIでワールドワイド半導体事業の責任者だった頃、研究開発費を売上の4.8%から5.5%に引き上げようとしたが、毎回拒否されたという苦い経験がある。

TSMCに戻ったチャン博士は、毎年の予算交渉を避けるため、研究開発費を売上の8%に固定することを決断した。当時すでに6〜7%だったが、「頭の中で適当に数字を選んだ」とチャン博士は笑う。この決定は研究開発部門にとって「最高のニュース」であり、担当者は「過去10〜15年で最高の決断だった」と何度も語っているという。

さらに重要な決断は設備投資だった。それまで年間20〜25億ドルだった設備投資を、2010年に約60億ドルへと3倍に増やしたのだ。研究開発部門は28ナノメートルを「スイートスポット」(テニスラケットの芯で打つような絶妙な領域)と表現し、チャン博士はシェイクスピアの言葉を引用して「人間の事業には潮時というものがある。その満ち潮に乗れば運命が開ける」と決断を固めた。

しかし、この巨額投資には取締役会から強い反対があった。独立取締役たちは取締役会の1週間前から一般顧問に電話を入れ、「このアイデアには賛成できない」と訴えた。チャン博士は電話で自身の判断根拠を説明したが、彼らを完全に納得させることはできなかった。最終的にチャン博士は「あなた方の意見は聞いた。しかし、会社の運営責任者は私だ。私にやらせてほしい」と述べ、押し通した。

この決断が功を奏したのは、28ナノメートルノードがスマートフォン時代と完全に一致したからだ。しかしチャン博士は「スマートフォンがこれほど巨大な市場になるとは予見していなかった」と率直に認める。ビジネス開発部門の予測がより詳細な見通しを持っていたことを期待していたという。

51:41Appleとの邂逅:ジェフ・ウィリアムズの夕食訪問

Appleとの関係構築は、偶然の夕食訪問から始まった。2010年11月のある晩、取締役会から帰宅したチャン博士を妻のソフィーが玄関で待っていた。「テリー・ガオが夕食に来るって電話があったわ」と告げた。テリー・ガオとは、ソフィーの又従兄弟であり、フォックスコン(鴻海精密工業)の創業者兼CEOである。

午後8時、テリー・ガオがAppleの「ある副社長」を連れて訪れた。チャン博士は「ただの副社長ではないはずだ」と直感した。その人物こそ、AppleのCOO(最高執行責任者)ジェフ・ウィリアムズだった。ウィリアムズは夕食に着くなり、ほとんど即座に本題に入った。彼は「40%の粗利益率を保証する」と提案したが、当時のTSMCの粗利益率はすでに45%であり、チャン博士は50%を目指していたため、この提案には応じなかった。

さらに驚くべきことに、ウィリアムズが求めたのは28ナノメートルではなく、20ナノメートル(28から16への移行過程における「ハーフステップ」)だった。チャン博士は「これは寄り道だ」と感じた。当時の研究開発部門には2つのノードを同時に開発する余力がなかったからだ。しかし、Appleという潜在的な最大顧客を逃すわけにはいかない。

チャン博士はゴールドマン・サックスとの長年の関係を活用し、資金調達の助言を求めた。TSMCはAppleの要求量の半分だけを受注することを決断し、残りは社債発行で賄うことにした。チャン博士は「慎重な財務計画の結果、半分だけ受けることにした」とウィリアムズに伝えた。ウィリアムズは「配当を廃止すればいい」と提案したが、チャン博士は株主の約3分の1が配当を重視していることを理由に断った。

1:36:39Intelとの競合とAppleの決断

2011年2月、ウィリアムズから突然の電話があった。「Intelのトップがティム・クックに接触し、Intelを検討するよう要請してきた。議論を2ヶ月間中断してほしい」。当時、AppleのMac製品ラインはすべてIntel製チップを使用しており、両社には緊密な関係があった。

しかしチャン博士は「それほど心配していなかった」という。なぜなら、技術力ではIntelと互角、製造能力では勝っていると確信していたからだ。そして何より「顧客からの信頼」という点で、Intelの顧客(台湾のPCメーカーなど)はIntelを信頼しておらず、むしろ嫌っていたと指摘する。「Intelは常に『自分たちだけが唯一の存在だ』という態度だった」とチャン博士は語る。

1ヶ月後、チャン博士は自らAppleを訪問し、進捗を確認しようとした。ウィリアムズは「私は不在だが、ティム・クックが会ってくれる」と返答した。クックはチャン博士をカフェテリアに連れて行き、それぞれがトレイに食事を載せてオフィスに戻り、昼食を共にした。クックの答えは簡潔だった。「Intelはファウンドリのやり方を知らない」。チャン博士はこの言葉を「顧客からの信頼」の欠如を意味すると解釈した。

しかし、Appleとの取引には大きなトレードオフがあった。20ナノメートルにリソースを集中した結果、16ナノメートルの開発が遅れ、サムスンが先に16ナノメートル市場に参入したのだ。チャン博士は「Appleが16ナノメートルの最初の注文をサムスンに発注したと聞いた時は、本当にショックだった」と振り返る。数十億ドルを投資した設備が無駄になる可能性があったからだ。ウィリアムズはすぐに台湾に飛び、「TSMCの16ナノメートルが準備でき次第、すべての需要をそちらに移す」と約束した。実際、TSMCが16ナノメートルを立ち上げた半年後には、Appleの需要の大部分はTSMCに戻ってきた。

1:55:06ファウンドリの視点:IBMとQualcommの教訓

チャン博士は「ファウンドリとしてここ(新竹)に座っていると、多くのことが実際に起こる前に見える」と語る。その好例がIBMとQualcommの関係だ。

1990年代、TSMCはQualcommを顧客として獲得したいと考えていたが、Qualcommの調達責任者はIBMを主なファウンドリとして使っていた。ところが1997〜98年頃、突然QualcommがTSMCにビジネスを振り向け始めた。チャン博士は「IBMセミコンダクターが苦境に立たされている」と直感した。

その後、IBMはTSMCに対して次世代技術(0.13マイクロメートル=130ナノメートル)の共同開発を提案してきた。しかしチャン博士は「IBMは依然として自分たちがシニアパートナーだと考えている。共同開発ではTSMCのエンジニアをIBMに送り込むことになり、自社のプロセス開発能力を失う」と判断し、申し出を断った。IBMは怒り、競合のUMCに提案を持ちかけ、UMCはこれを受け入れたが、後に深刻な後悔をすることになる。

このエピソードは、自社の技術とプロセスを自社で掌握し、自らの運命をコントロールすることの重要性を示している。チャン博士は「ファウンドリとしてここに座っているからこそ、IBMの衰退のような変化を先読みできる」と強調する。

2:01:36ラーニングカーブ理論:BCG、ベイン、そしてTI

チャン博士が半導体産業の戦略的思考の基盤として重視するのが「ラーニングカーブ(経験曲線)」理論だ。この理論は、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の創業者ブルース・ヘンダーソンが提唱し、チャン博士はTI時代にその実践的応用に深く関わった。

1970年頃、ヘンダーソンはTIのCEOマーク・シェパードに連絡し、経験曲線理論が半導体産業に利益をもたらすと説いた。シェパードはプレゼンテーションを受け入れ、BCGとTIの協業が始まった。ヘンダーソンはビル・ベイン(後にベイン・アンド・カンパニーを創業)をTIに派遣し、チャン博士がTI側の担当者となった。

ベインとチャン博士は2年間にわたり密接に協力した。ベインは毎週月曜日にダラスに飛び、コストや価格データを分析し、興味深い結論に達するたびにチャン博士と議論した。チャン博士は「この2年間でラーニングカーブの本質を吸収した。それは今でも非常に実りある思考ツールとして使っている」と語る。

ラーニングカーブの本質は「同じものを作れば作るほど、単位あたりのコストが下がる」という単純なものではない。チャン博士は「単純な説明を真に受けるだけでは、何も学んだことにならない」と警告する。真の洞察は、低ボリュームの期間をいかに速く通過するか、そして最大のボリュームを持つプレイヤーが最終的に勝者になるという点にある。この理論に基づき、TSMCは価格を積極的に引き下げ、顧客を集め、規模の経済を実現してきた。

まとめ

本エピソードは、半導体産業の歴史における最重要人物の一人であるモリス・チャン博士の生の声を記録した貴重な資料である。単なる成功物語ではなく、NVIDIAとの初期の関係構築、2009年の経営危機、Appleとの巨額取引の舞台裏など、TSMCの歴史における重要な分岐点でチャン博士がどのような判断を下し、なぜそれが正しかったのかが詳細に語られる。特に印象的なのは、チャン博士の「ファブレス(設計専業)企業の台頭を見越していた」という先見性、ラーニングカーブ理論に基づく戦略的思考、そして「顧客と競合しない」という純粋ファウンドリモデルの重要性である。また、ジェンセン・フアンやティム・クックといった業界の巨人たちとの個人的な関係構築が、ビジネスの危機を乗り越える上でいかに重要だったかも浮き彫りになった。TSMCの成功は偶然ではなく、チャン博士の半世紀にわたる経験と戦略的決断の積み重ねの結果であることが明確に理解できるエピソードである。

要点

  • チャン博士とNVIDIAのジェンセン・フアンの関係は、1997年にフアンから送られた一通の手紙から始まり、倒産寸前のNVIDIAを救うチップの製造を通じて強固なパートナーシップが構築された
  • 2009年の40ナノメートル問題では、前CEOが品質問題を認めずNVIDIAに補償を拒否したことが事態を悪化させ、チャン博士がCEOに復帰して1億ドル超の和解金を提示し解決した
  • チャン博士は人員削減に強く反対し、解雇された社員が自宅前に抗議デモに来た際、妻ソフィーが朝食を振る舞ったエピソードは、TSMCの「人を大切にする」企業文化を象徴している
  • 28ナノメートルノードへの巨額投資(研究開発費8%固定、設備投資3倍)は、スマートフォン時代の波に乗りTSMCを業界リーダーに押し上げた決断だった
  • Appleのジェフ・ウィリアムズとの夕食会は偶然の訪問から始まり、20ナノメートルへの「寄り道」を強いられたが、Intelとの競合を経て最終的にAppleの全チップ製造を獲得した
  • チャン博士はTI時代にBCGのビル・ベインと協業してラーニングカーブ理論を実践的に習得し、これをTSMCの戦略の基盤として活用した
  • IBMとの共同開発の申し出を断り、自社の技術開発力を維持した判断は、後にTSMCが競合に差をつける決定的要因となった
  • TSMCの成功は、ファブレス企業の台頭を予見した先見性、顧客と競合しないビジネスモデル、そしてラーニングカーブに基づく積極的な投資戦略の3つが揃った結果である