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Acquired · 2026年5月15日

バークシャー・ハサウェイ パートIII

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この記事でわかること
  • バークシャー・ハサウェイ三部作完結編:伝説の投資家、インターネット時代に挑む Acquiredのホスト、ベン・ギルバートとデイビッド・ローゼンタールが9時間以上にわたるバ...
  • [6:29] ビル・ゲイツとの運命的な出会い 1991年7月4日の週末、キャサリン・グラハム(ワシントン・ポスト元発行人)の計らいで、バフェットはシアトル近郊のフッド運河...
  • ところが、バフェットがIBMの将来について質問した瞬間、会話は止まらなくなった。ゲイツは「買うべき株は2つだけ。マイクロソフトとインテルだ」と断言。バフェットは新聞ビジネ...
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出典Podcast

Acquired / Ben Gilbert and David Rosenthal

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バークシャー・ハサウェイ三部作完結編:伝説の投資家、インターネット時代に挑む

Acquiredのホスト、ベン・ギルバートとデイビッド・ローゼンタールが9時間以上にわたるバークシャー・ハサウェイ三部作を締めくくる最終章。1992年以降のウォーレン・バフェットとチャーリー・マンガーの軌跡を追いながら、インターネットという未曾有の変化に直面した伝説的投資家の苦闘と、それでもなお輝く業績の本質に迫る。前半の驚異的な27%超の年間リターンから一転、巨大化したバークシャーが直面した「成長の壁」と、テクノロジー株への懐疑がもたらした機会損失、そして晩年のアップル投資による劇的な逆転劇まで、投資哲学と現実の摩擦を克明に描く。

6:29ビル・ゲイツとの運命的な出会い

1991年7月4日の週末、キャサリン・グラハム(ワシントン・ポスト元発行人)の計らいで、バフェットはシアトル近郊のフッド運河でゲイツ家と過ごすことになる。当時31歳のビル・ゲイツは、この集まりに乗り気ではなかった。ゲイツは後にこう語っている。「母に言ったんだ。『株を選んでるだけの男に会っても、質問したいことがあまりない』ってね」。彼はヘリコプターで現れ、夕食後にすぐ帰るつもりだった。

ところが、バフェットがIBMの将来について質問した瞬間、会話は止まらなくなった。ゲイツは「買うべき株は2つだけ。マイクロソフトとインテルだ」と断言。バフェットは新聞ビジネスの将来について懸念を表明し、テレビやケーブルテレビの台頭による影響を心配していると語った。夕食時、ゲイツ・シニアが「人生で成功するために最も重要な要素は何か」と問いかけると、バフェットとゲイツは即座に「集中(focus)」と答えた。ヘリコプターは去り、ゲイツはその夜、その場に泊まった。

この出会いの後、バフェットはマイクロソフト株を100株だけ個人名義で購入した。しかし、この「お土産程度」の株式保有が、後にバフェットの投資判断に複雑な影響を与えることになる。ゲイツをバフェットグループ(旧グラハムグループ)に招いた最初の会合で、ビル・ルアン(セコイア・ファンド)がコダックを推すと、ゲイツは即座に「コダックは終わりだ」と切り捨てた。さらに、テレビネットワークの将来について問われたゲイツは、1992年という早い時期に、メディアとインターネットの未来を驚くべき精度で予言している。

21:13コカ・コーラ投資:ブランド・モートの極致

バフェットのコカ・コーラ投資は、彼の投資哲学の真髄を示す好例だ。物語は1950年代後半、オマハの隣人ドン・キーオ(後のコカ・コーラCOO)との出会いに遡る。キーオは当時バターナッツ・コーヒーのセールスマンで、バフェットが投資話を持ちかけたが、「この男は昼間から家にいる。ろくに働いていない」と断った。その後、バターナッツはダンカン・コーヒーに買収され、さらにコカ・コーラに統合。キーオはコカ・コーラのトップに上り詰めた。

1980年代半ば、ホワイトハウスの晩餐会で再会した二人。バフェットはまだペプシ党だったが、キーオはチェリーコークを勧めて転向させた。バフェットがコカ・コーラに興味を持ち始めた矢先、1985年に起きたのが「ニューコーク」事件だ。ブラインド・テイストテストでペプシに負けていたコカ・コーラは、古典的なレシピを変更するという歴史的な過ちを犯す。結果は大失敗。株価は急落し、ロン・パールマン(ソロモン・ブラザーズ事件の悪役でもある)が買収の噂を流す。

バフェットはここで「白馬の騎士」として登場。1987年、12億ドル(当時としては巨額)でコカ・コーラ株6%を取得する。これこそ「ディップを買え」の原点だ。1995年の株主総会でバフェットは、投資判断の核心をこう語っている。「私たちが探しているのは、何らかの理由で堀(モート)を持つビジネスだ。低コスト生産者であること、自然なフランチャイズを持つこと、消費者の心の中でのポジション、技術的優位性——どんな理由でもいい」。コカ・コーラは国際展開という追い風もあり、最初の10年で10倍のリターンを達成。しかし、その後の25年間ではわずか3.5倍にとどまり、巨大化した資本の重みを如実に示すことになる。

34:12転換点:1997年サンバレー・カンファレンス

1997年夏のアレン・アンド・カンパニー・サンバレー会議は、ビジネス史の分水嶺となった。ドン・キーオをモデレーターに、バフェット、ロベルト・ゴイズエタ(コカ・コーラCEO)、ビル・ゲイツがパネルに登壇。誰もが穏やかな「世代交代の儀式」を期待したが、ゲイツは異なる展開を見せる。

ゲイツは「褒め言葉のつもり」と言いながら、バフェットの「ハムサンドイッチでも経営できる」というフレーズをゴイズエタとキーオに浴びせた。そして、マイクロソフトの経営は「綱渡り」であり、60歳になる前に引退する必要があるだろうと語った。当時ゴイズエタは65歳(同年中に肺癌で急逝)、キーオは71歳、バフェットは67歳。ゴイズエタは激怒し、その後二度とゲイツと口をきかなかった。

この出来事は、バフェットの投資哲学の限界を象徴している。アリス・シュローダー(バフェットの伝記『スノーボール』著者)はこう書いている。「バフェットはテクノロジー株を避けた。その理由の一つは、これらの急速に変化するビジネスは決してハムサンドイッチには経営できないからだ」。バフェット自身、バークシャーを「ハムサンドイッチでも経営できる」状態にしたいと考えていた。

ここで浮き彫りになるのが、バフェットの「現状維持投資家」としての本質だ。アンドリュー・マークス(TQベンチャーズ)の指摘によれば、「バフェットは、未来がおおむね現在と同じであり続ける限り、史上最高の現状維持投資家だった」。コカ・コーラの未来はコカ・コーラの現在と似ている——その前提が正しい時代には、彼の手法は完璧に機能した。しかし、インターネットの登場は、その前提そのものを覆したのだ。

50:19ジェン・リー買収:バフェット最大の失敗

1998年、バフェットは衝撃的な発表を行う。バークシャーは世界最大級の再保険会社ジェン・リー(General Reinsurance)を220億ドルで買収する。これまでの最大案件を桁違いに上回る規模で、しかも全額を株式で支払った——バークシャーの株式20%をジェン・リーと交換したのだ。

この決断の背景には、バフェットの巧妙な(しかし過剰に考えすぎた)戦略があった。彼はテクノロジー・バブルの崩壊を予見し、バークシャーの株式が割高と判断。株式を「通貨」として使う絶好の機会と見た。同時に、バークシャーのポートフォリオの構成を、株式から債券にシフトしたいと考えた。ジェン・リーの保有する200億ドル相当の債券を取得すれば、市場にシグナルを送ることなく、自然にリスク分散できる——そう読んだのだ。

しかし、結果は惨憺たるものだった。チャーリー・マンガーはこの取引について「ウォーレンが非常に遅い段階でしか相談してこなかった」と述べている。買収後、最初の週にジェン・リーはユニカバーという保険詐欺スキームで3億ドルの引受損失を計上。さらにハリウッドの興行収入保険で約10億ドルの損失。9.11テロでは約20億ドルの損失。そしてAIGとの会計スキャンダル——ソロモン・ブラザーズの悪夢を思い起こさせる事態に発展した。

この失敗の根本原因は、バフェットが「白馬の騎士」としての慣行を盲目的に適用したことにある。彼は既存の経営陣をそのまま残し、「完全に手を出さない」方針を取った。しかし、ジェン・リーの経営陣は明らかに無能だった。最終的に2016年、バフェットはアジット・ジェイン(バークシャーの保険事業の天才)にジェン・リーを委ねることになる。

1:12:36スージーの死とギビング・プレッジ

2004年7月、妻スージーが死去。バフェットにとって壊滅的な打撃だった。二人は25年以上前から別居していたが、法的には結婚したままで、バフェットはスージーが自分より長生きすると信じていた。彼の資産(当時400億ドル以上)は、すべてスージーが管理する財団を通じて寄付される計画だった。

バフェットは長年、慈善活動に苦手意識を持っていた。彼は「投資のリターン」を数値化できない寄付にフラストレーションを感じていた。お金は「スコアボード」であり、その増加が彼の関心の中心だった。しかし、スージーの死は状況を一変させる。

2006年、バフェットは記者会見を開き、自身のバークシャー株の85%(当時370億ドル相当)をビル&メリンダ・ゲイツ財団に寄付すると発表した。残りの6分の1は子供たちの財団とスーザン・バフェット財団に。これは「ウォーレン・バフェット財団」を作らないという選択であり、彼自身が寄付の意思決定をする必要を完全に回避する方法だった。

この決断は、バフェットの巧妙な自己利益と社会貢献の融合を示している。彼は「史上最大の慈善寄付」として称賛され、2010年にはゲイツと共に「ギビング・プレッジ」を立ち上げ、億万長者にとって「お金を手放すこと」をステータスシンボルに変えた。その結果、何百億ドルもの資金が社会貢献に流れることになる。バフェットは望むものをすべて手に入れた——世間の称賛と、慈善活動の煩わしさからの解放を。

1:22:47金融危機:バフェットの真骨頂

2008年の金融危機は、バフェットにとって待望の「買い場」だった。バークシャーは370億ドルの現金を保有しており、これは実質的に政府以外では最大の資金源だった。しかし、ソロモン・ブラザーズの教訓から、彼は今回は異なる戦略を取る——株式ではなく、優先出資と債券による投資だ。

最初の案件は2008年4月、マーズ(M&M'sなどで知られる食品大手)によるリグレー(ガム最大手)買収。バークシャーは65億ドルを融資し、うち44億ドルは年利11.45%の社債、残りは5%の優先出資。この取引だけで14%の内部収益率を達成した。

9月のリーマン破綻後、バフェットはゴールドマン・サックスに50億ドルを優先出資(年10%配当)、さらに50億ドル分のワラント(行使価格115ドル)を取得。GEにも30億ドルを同条件で投資。この他、スイス・リーに27億ドル(12%クーポン)、ハーレーダビッドソンに3億ドル(15%!)、ティファニーに2.5億ドル(10%)など、合計180億ドルを2008年だけで投入した。

しかし、真の大物は2011年に訪れる。欧州債務危機に巻き込まれたバンク・オブ・アメリカに、バフェットは50億ドルを優先出資(5%クーポン)、ワラント行使価格は7.14ドル。今日の株価は42ドル。この取引だけでバークシャーは約260億ドルの利益を上げており、これはバフェットのキャリア全体で最大の絶対額リターンとなっている。

2:01:59アップル投資:晩年の逆転劇

2011年から2016年にかけて、バフェットの投資判断は精彩を欠いた。IBMに107億ドルを投入(最終的に20億ドルの損失)、クラフト・ハインツへの投資も低調、プレシジョン・キャストパーツは370億ドルで買収したものの100億ドルの減損、そして航空会社への投資はパンデミックで最悪のタイミングで売却——「飛行機を発明したライト兄弟を撃ち落とすべきだった」と自ら語った男が、である。

しかし、2016年5月、すべてを帳消しにする投資が行われた。テッド・ウェシュラー(バークシャーの投資マネージャーの一人)がアップル株に約10億ドルを投入したのだ。驚くべきことに、テッド(またはトッド・コームズ)はバフェットを説得し、バークシャーはその後2年間で360億ドルものアップル株を買い増した。

バフェットのアップル投資の論理は、彼の伝統的なフレームワークに完璧に適合していた。「テクノロジー企業だから買ったのではない。消費者の行動の本質を見たのだ」。アップルを「強力なブランドと顧客ロックインを持つ消費者製品企業」と位置づけ、1995年の自身の言葉——「消費者の心の中でのポジション」こそがモートだ——を体現する投資とした。

結果は驚異的だ。2021年時点で、バークシャーのアップル株の価値は1200億ドル。890億ドルの含み益は、バフェットのキャリア全体(パートナーシップ時代を含む)で得た利益の総額に匹敵するか、それを上回る可能性さえある。皮肉なことに、「テクノロジー株は買わない」と公言してきた男の最大の成功は、テクノロジー株によってもたらされたのだ。

2:32:41総合評価:AからCへ、そして未来への問い

ホストたちはバフェットのキャリア全体を「A」と評価。1959年から2021年までの63年間の複利計算では、パートナーシップ時代の年率29.5%、バークシャー時代の年率20%をブレンドし、22.3%の内部収益率を達成。100ドルの投資が2620万ドルになった計算だ。

しかし、1993年以降の28年半に限定すると、年率13.5%と平凡な成績。同期間のS&P500を上回ってはいるが、バフェット自身の過去の基準からすれば「B」評価だ。さらに直近5年間では、アップルを除けばS&P500を下回っており、評価は「C」。バークシャー全体としては市場とほぼ同率のパフォーマンスで、テッドとトッドが市場を上回っている一方、バフェット自身は下回っているという逆転現象が起きている。

将来については、ベンは「バークシャーは若い投資家向けではない。金持ちが金持ちであり続けるための『未亡人・孤児株』だ」と指摘。デイビッドは自身のポートフォリオにおいて、バークシャーを「現金の代替」として位置づけ、安全資産として保有し続けると語る。

最大の教訓は、アンドリュー・マークスの言葉に集約される。「バフェットは、未来がおおむね現在と同じであり続ける限り、史上最高の現状維持投資家だった」。しかし、インターネットはその前提を根本から変えた。デイビッドの結論は明快だ。「アメリカに賭けるな」というバフェットの言葉を、「インターネットに賭けるな」に置き換えるべき時代なのだ。

まとめ

9時間以上にわたる三部作の締めくくりとして、このエピソードはバフェットという稀有な存在の全貌を描き出す。彼は「ハムサンドイッチでも経営できる」ビジネスを愛し、変化を嫌い、テクノロジーを理解しようとしなかった。しかし、その頑なさが、逆説的に彼の偉大さを際立たせている。変化の激しい世界で、一貫した哲学を貫きながら、それでもなおアップルという「異物」を受け入れる柔軟性を持っていた。バークシャーの未来は、グレッグ・アベル新CEOの下で、この矛盾をどう乗り越えるかにかかっている。

要点

  • バフェットのキャリア全体の内部収益率は22.3%(1959-2021年)、100ドルが2620万ドルに成長したが、1993年以降は13.5%に低下
  • 1997年サンバレー会議でのゲイツの発言は、バフェットの「現状維持投資」とテクノロジー時代の根本的なミスマッチを象徴
  • ジェン・リー買収(1998年、220億ドル)はバフェット最大の失敗で、株式を「通貨」として使う過剰な金融工学が原因
  • 2008年金融危機での180億ドルの債券・優先出資投資は見事で、特にバンク・オブ・アメリカ(2011年)で260億ドルの利益
  • アップル投資(2016年開始、360億ドル)は890億ドルの含み益を生み、バフェットのキャリア全体の利益に匹敵
  • IBM投資(2011年、107億ドル)は20億ドルの損失、プレシジョン・キャストパーツ(2015年、370億ドル)は100億ドル減損
  • 後継者問題:グレッグ・アベル(CEO)、アジット・ジェイン(保険)、トッド・コームズ&テッド・ウェシュラー(株式投資)の4頭体制に移行
  • 最大の教訓:「アメリカに賭けるな」から「インターネットに賭けるな」へ——変化を前提とした投資哲学の必要性