
[尾原オススメ他番組]【ChatGPT作った男】サム・アルトマンの半生と伝説エピソード | OpenAI創業者
- 概要 このエピソードは、OpenAI創業者サム・アルトマンの半生を、幼少期から最初の起業、そしてOpenAI設立前夜まで掘り下げた前編である。司会の尾原和啓とけんすうが、...
- [0:00] 幼少期の天才エピソードと生来の資質 サム・アルトマンは1985年生まれ、現在40歳。マーク・ザッカーバーグと1歳違いのミレニアル世代である。両親が語るには「...
- まず、2歳の時点で自分でビデオテープをデッキに挿入し、再生して楽しんでいた。アンパンマンを見たいと思ったら、自分でテープを選び、テレビに持っていき、入れてボタンを押す——...
英語Podcastの要点を、聴く前に日本語で把握したい人。
ハイパー起業ラジオ / 尾原和啓 / けんすう
概要
このエピソードは、OpenAI創業者サム・アルトマンの半生を、幼少期から最初の起業、そしてOpenAI設立前夜まで掘り下げた前編である。司会の尾原和啓とけんすうが、書籍『オプティミスト』(Sam AltmanとOpenAIの歴史を描いた未邦訳の本)を基に、アルトマンの天才エピソード、勝利への執着、そして彼を支えたポール・グレアムやピーター・ティールといった「パトロン」たちとの関係を、軽妙な掛け合いを交えながら解説する。リスナーは、なぜこの男が「まだ何も成し遂げていない時点で」シリコンバレーの重鎮たちにここまで評価されたのか、その謎と魅力を追体験することになる。
幼少期の天才エピソードと生来の資質
サム・アルトマンは1985年生まれ、現在40歳。マーク・ザッカーバーグと1歳違いのミレニアル世代である。両親が語るには「普通の子供ではなかった」という。その天才エピソードは枚挙にいとまがない。
まず、2歳の時点で自分でビデオテープをデッキに挿入し、再生して楽しんでいた。アンパンマンを見たいと思ったら、自分でテープを選び、テレビに持っていき、入れてボタンを押す——まるで「人生2週目」の人間のような行動である。さらに3歳になると、親が電話をかけようとしているのを見て、「どの番号をダイヤルすればいいのか」と質問した。これは「抽象的な概念」を3歳で理解していたことを意味する。通常、どんなに早い人間でも小学生にならないと理解できない概念である。
3つ目のエピソードとして、あまりに大人びているサムについて、両親は「彼を10歳でニューヨーク市に放り込んでも、都市の仕組みを完全に理解できたはずだ」と語っている。東京で言えば、10歳のサムを新宿駅に置いてきても、構造を完全に理解して迷子にならないというのである。
さらに、サム・アルトマンの代名詞とも言えるのが「競争心の強さ」「勝利への執着」である。ポール・グレアムの有名なセリフとして、「デザインに関してはジョブズならどうするか考える。戦略や野心に関してはサムならどうするか考える」というものがある。子供の頃から兄弟とボードゲームやカードゲームをする際、「僕が勝つんだ」「全て僕が仕切るんだ」と言い続けていたという。生まれながらにして「王の器」であり、支配欲と勝利への執念が尋常ではなかった。
テクノロジーとの出会いと人生のテーマ
テクノロジーに触れるのも早かった。8歳の誕生日にMacを買ってもらい、独学でプログラミング言語「BASIC」を学び、小学生にしてコードを書いていた。しかしBASICの単純さに飽きてしまったサムは、「いつかコンピューターが自分で考えるようになるだろう。コードを1行ずつ書く必要はなくなるだろう」と考えていた。これはまさにAIの概念であり、小学生にしてすでにAIを妄想していたことになる。14歳の時には、より難しいプログラミング言語「C」にも取り組み、学校の先生とAIについてディスカッションしていたという。
大学進学時にはハーバードとスタンフォードの両方に合格。トップ・オブ・トップのアメリカの大学に進学できる頭脳の持ち主だった。結果的にスタンフォード大学に進学したサムは、大学生になると「自分が本当に何をしたいのか決めるべきだ」と気づき、リストを書いた。そこに書かれていたのは、上から順に「AI」「原子力エネルギー」「教育」だった。この本の中では、サムが人生をかけるテーマを決めるシーンが2〜3回出てくるが、毎回少しずつ変わる。ただし毎回1番はAIであり、エネルギーや教育が競っている形になる。ちなみに、ある時は「AGA治療(薄毛治療)」がリストに入っていたこともあり、そのスケール感の違いに驚かされる。
最初の起業:位置情報SNS「Loopt」の挑戦
スタンフォードでは、後にGoogle Brainを設立するAI研究者アンドリュー・ヤンの下で、技術型ヘリコプターの研究に参加。そのプロジェクトからGPSや位置情報にのめり込むようになる。ちょうど2005年頃、携帯電話にGPS機能が搭載されるタイミングで、サムは「この新しい機能を中心に何らかのサービスを構築するのはクールだろう」と考え、大学の同級生とブレインストーミングを始めた。
「モバイルの位置情報データで最も役立つことは何か」と考えた末、友達と位置情報を共有するSNSというアイデアに発展する。これが後に「Loopt」となるスタートアップであり、サム・アルトマン19歳の時だった。このタイミングで、世界ナンバーワンのアクセラレーターとなったYコンビネーター(YC)の第1回プログラムに応募する。
面接に招待されたサムは、YC創業者たちに一目惚れされる。ポール・グレアムの伝説のエピソードがここで生まれる——彼に会って3分も経たないうちに「ああ、ビル・ゲイツが19歳の頃はこんな感じだったに違いない」という有名な感想を述べたのである。サムと一緒に会社をやっていたメンバーも、「サムは挑戦的な自信があり、現実は一級のフィールドを持っている」と評価している。その自信の大きさが限界突破してカリスマ性になっていたのだろう。
見事合格し、YCから最初の創業資金を獲得。このプログラムの同期には、後にRedditを作って上場するアレクシス・オハニアン、Twitchを作るジャスティン・カンら、そうそうたるメンバーがいた。そのレジェンドたちの中でも、サムは他の誰よりもビジネス思考と成功思考が強く、いき急いでいるように見えたという。他のメンバーはテクノロジー好きのオタクだったのに対し、サムだけはギークな感じではなく、ビジネスっぽい雰囲気を持っていた。実際、死ぬほどハードワークし、一人で12時間ぶっ通しでコーディングに没頭し、ラーメンばかり食べていたという。
伝説のビズデブ:スプリントとの契約劇
サムのビジネス能力がわかるエピソードとして、スプリントとの契約交渉が紹介される。スマホ以前の時代、位置情報ベースのSNSを作るには通信会社と提携し、APIを開放してもらって位置情報を取得する必要があった。業界3位の通信会社スプリントのCTOを紹介してもらい、サムは売り込みに行く。この時19歳で小柄だったため12歳くらいに見え、CTOは思わず「創業者はどこだ?」と聞いてしまったという。創業者の息子が来たのかと思われたのだ。
しかしサムが話し始めると、「これはモバイル版のFacebookだ。ただしひとひねりがある」と売り込んでいく。するとCTOはどんどん釘付けになり、「よし、これを試そう」となった。アイデアの売り込みだけでスプリントを動かした、とんでもない売り込み力である。
そこからスプリントのサブブランド「ブースト」と提携しようと話が進もうとしたが、ブーストの担当者に電話すると、すでに他の事業者と契約する寸前まで来ていると言われてしまう。しかし、まだ小さな突破口が残っていた。ブーストが欲しがっていた「近くに友達がいるときに通知する機能」を、競合他社は提供できていなかったのだ。サムのチームは徹夜でその機能を構築し、そのまま飛行機に乗り込み、ブーストのオフィスにアポなしで訪れ、「とにかく10分だけ時間をくれ」と突撃する。
会議室に通されたサムは、あぐらをかいて座り、説得を始める。ブーストの社員はこの時を振り返り「彼は自信を放っていた」と語る。会議を終えると、担当者は上司に「ブーストは方針を変えなければならない」と説明し、結果的にサムは契約を勝ち取った。この取引からサムは「物事を成し遂げる方法は、ただひたすら粘り強くやること」を学んだという。このエピソードは、NVIDIAのジェンソン・ファンがマイクロソフトとの契約を粘り強く勝ち取った話を想起させる。
この契約により、今後4年間、全てのブーストの携帯電話にLooptのアプリが事前インストールされることになり、さらにブーストがテレビ広告などの大規模マーケティングを行ったおかげで、3ヶ月以内に10万人以上のユーザーを獲得した。スマホ以前、アプリストアのような概念もない時代に、このポジションを取ったのは驚異的である。
スティーブ・ジョブズとの邂逅と教訓
ユーザー数が増えたものの、プライバシーの懸念からユーザーは位置情報をオフにしがちで、離脱率は高かった。また、リリースから1年経ってもスプリント系列としか提携が進んでおらず、PMF(プロダクト・マーケット・フィット)からほど遠い状況だった。さらにスマホ以前は100種類ものデバイスと7種類の異なる通信事業者に対応する必要があり、非常に難しい事業だった。
ちょうど2007年頃、iPhoneが発表される。あるメンバーが「iPhoneアプリを作るのはどうか」と提案し、サムも賛成して開発を始める。同時に、サムはアップルと提携する方法を模索し始める。投資を受けていたセコイア・キャピタルに相談すると、セコイアはかつてアップルに投資していた繋がりを活かし、ジョブズに紹介する。ただしジョブズはSNSを嫌っていたため、「サムの魅力で売り込もう」という戦略だった。セコイアが投資した中で最年少の創業者であり、スタンフォードの中継者でもあるサムにジョブズは共感できるだろうと考えたのだ。
ジョブズは「わかった、Looptを見てみるよ」と返事をくれたが、数週間経っても返事が来ず、催促すると「It was weak(出来が悪い)」と一言だけ言われて無視されてしまう。しかし、Appleの若いチームメンバーはLooptを気に入っており、iPhoneのSDKで何ができるか相談に来てほしいという誘いのメールが届く。そこからAppleのアプリフィードバックを受け、さらに世界が注目するWWDCのイベントに登壇する機会を得る。ただしそのためにはジョブズの許可が必要で、今度は直接売り込むことになる。
さすがのサムも緊張で口が渇くほどだったが、徹底的に練習したプレゼンを披露すると、ジョブズは一呼吸おいて「Cool!」と一言。見事「Weak」から「Cool」へ格上げされた。WWDCで登壇することになったサムは、憧れのジョブズと同じ舞台に立つ不安から、メンバーに電話で相談。結果、「人々に覚えてもらうことが重要だ」と考え、伝説の「ポロシャツ2枚重ね着」というファッションスタイルで登壇した。ピンク色と黄緑色の2枚重ねである。この奇抜なスタイルで「なんだあいつは」と話題になり、22歳のサムはスターになった。
さらに、iPhoneの位置情報機能をアピールするのにLooptはドンピシャだったため、Appleは全国へのテレビCM費用も負担し、Looptのダウンロード数は急増。一時期はFacebookや当時トップだったMySpaceを上回る勢いだった。しかしジョブズは非常に厳しく、Looptが全ての言語と国で機能するよう要求。当時の技術的状況ではかなり難しい要求だったが、満たしていないと激しく詰め寄り、ペンを投げつけられたとも言われている。サムは「ジョブズとの会議が今まで一番大変だった」と語り、震えていたという。しかしこの数ヶ月間の経験がサムに大きな影響を与え、ジョブズの覇気を吸収し、支配する力を手に入れたとされる。
買収の決断とCEO解任騒動
リーマンショックが起き、資金調達環境が冷え込む中、Facebookから150億円で買収したいという提案がLooptに届く。投資家のセコイアのマイケル・モリッツが「どうするんだ」と聞くと、サムは一言「パスする」と答えた。投資家から見れば「創業者は時に会社を売りたがるものだが、サムは違う」と感心される決断だった。サムは買収されてサラリーマンになるのではなく、独立した形で大きな企業を作りたかったのだ。ハーバードのマーク・ザッカーバーグがFacebookで成功したことに対し、スタンフォードのサム・アルトマンはLooptで行く——負けん気の強い男の執着がここにある。
しかし野望とは裏腹に、Looptの状況は厳しくなっていく。競合のフォースクエアが台頭し、Looptの勢いは衰え始めた。さらにサムはゲーム系の出会い系アプリの開発に手を出し、気が散っていた。社内ではサムを「キラキラ症候群」と呼んでいたという。人気者になって何でも手を出してしまう状態だった。また、ヒットを打つよりホームラン狙いのサムは、短期的な収益への意欲も低く、社員たちは「これ大丈夫か」と心配していた。
こうした状況が重なり、2012年、社員がサムをCEOから降ろそうとする介入騒動が発生する。OpenAIでも同様のクーデターが起きたことは有名だが、実は1社目でも起きていたのだ。この時、サムは「時々真実ではないことを言ったり、従業員に厳しかったりする」と言われており、この頃から「二枚舌」を発揮していた。サムが関わったあらゆる会社で、彼は常に二枚舌だったと書かれている。Looptの本業に集中せず他のことを勝手に始めること、そして真実ではないことを言うこと——これがサムの癖であり、若い頃から出ていた。
解任させるかどうかの決定権の一部を握っていたのは投資家のセコイアだったが、別の事情でサムを辞めさせづらかった。当時セコイアはYC出身の有望企業に投資しようと密に連携しており、サムはYCのトップであるポール・グレアムにめちゃくちゃ気に入られていたため、無理に扱うとYCとの関係が悪くなる恐れがあった。さらにサムはセコイアの新規投資を手伝うスカウトプログラムに選ばれており、常にスタートアップと会議しているほど貢献していた。将来のリターンの大きさを考えると、セコイアがLooptのCEOを解任するのはどうしてもやりづらかったのである。
ストライプへの投資:150万円が1000億円に
Looptを経営していた頃、ポール・グレアムから後にStripeを作るパトリック・コリソンを紹介される。サムがコリソンのお気に入りのプログラミング言語「Lisp」の知識を披露すると、コリソンは「彼は驚くほど物知りだ」と意気投合した。サムはビジネスマンがメインでLispに特別詳しいわけではないはずだが、コリソンが「この人は物知りだ」と思う程度には知識が豊富だった。
また別の日、ポール・グレアムの家でStripeを作るアイデアをコリソンとポールが話しているところに、偶然サムも合流。ポールから「サム、一緒に投資しようよ」と言われ、約150万円をStripeに投資した。この150万円が、後に1000億円以上になったのである。サム・アルトマンが財を成したのは、基本的にこの1点だと言っても過言ではない。Loopt自体は大きな額のエグジットを得たわけではなく、その後YCのプレジデントをやってもそんなに大きな財を築くポイントはなかった。しかしこのStripeへの投資が全てを変えた。
サムはStripeの資金調達も手伝っており、コリソンは「私はアイルランドから来て、ピーター・ティールやマイケル・モリッツを神様のように扱っていたが、サムはいつも通り彼らに全く怯むことなく役立つ助言をしてくれた」と語っている。パトリック・コリソンでさえピーター・ティールやマイケル・モリッツを相手に緊張するが、サム・アルトマンは絶対に緊張しない。この本を通して、サムがビビった相手は唯一スティーブ・ジョブズだけだと言えそうだ。
1社目の幕切れと新たなパトロン
Looptは絶望的な状況に陥り、セコイアは同じく投資先だった上場企業グリーンドットに紹介。アクハイアリング(人材採用目的の買収)という形で約40億円で買収されることになり、サムの1度目の起業は大成功とは言えない形で終わった。27歳の時点で約5億円を手にすることはできたが、シリコンバレーの基準で言えば、他のレジェンドたちと比べて桁が1つか2つ違う。
Loopt売却後、セコイアから「うちでベンチャーキャピタリストにならないか」と誘われるが、サムは当然のように断る。そして、核融合トークで仲良くなっていたピーター・ティールの支援を受けて個人ファンドを作る。19歳でポール・グレアムに気に入られ、Stripeにエンジェル投資させてもらい、今度は第2の大物ピーター・ティールに取り入った。ティールはFacebookの初期投資家であり、サムと同世代のザッカーバーグを褒めたたえるはずだが、「ミレニアル世代のテック系を代表する人物を一人挙げるなら、それはサム・アルトマンだ」「サムをシリコンバレーの時代精神の中心だ」と超評価している。
この評価は不思議でならない。マーク・ザッカーバーグはFacebookで20代の企業家として世界で一番成功したと言っても過言ではない。一方サムは40億円でアクハイアでエグジットし、キャッシュリターンは約5億円。実績で見ればザッカーバーグの方が圧倒的にすごい。それなのにピーター・ティールはサムの方が上だと言う。ポール・グレアムも「5人の優れた創業者」というエッセイで、スティーブ・ジョブズ、ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンといったそうそうたるメンツの中に、まだ何も成功していないサムを加えている。成功する前から、ポール・グレアムやピーター・ティールから「こいつはヤバい」と評価されていたのが、サム・アルトマンの最大の不思議ポイントである。
Yコンビネーターの後継者へ
ティールの支援を受けた個人ファンドから、サムはYCの繋がりを活かしてYC出身者に投資をしまくる。これは「YCのインデックスファンド」と呼ばれるほどで、結果的にかなりのリターンを上げ、財を手にすることもできた。2014年、サムの才能を買いまくっていたポール・グレアムは、自分がYCの代表を退くにあたり、次の代表にサム・アルトマンを指名する。当時YCに参加していた企業家たちは「誰だこいつ?」という反応だった。サンフランシスコやシリコンバレーの中でも、Looptの実績はそんなにすごくはないため、無名の若者が突然代表になると言われて驚いたのである。
サム自身は起業したかった。特に核エネルギーのスタートアップをやりたかったし、自分を投資家だとは思っていなかったため、結構迷った。しかし結果的にポール・グレアムから受け継いでYCを拡大することを決める。特に、もう一人の師匠であるピーター・ティールの「技術的停滞が起きている(テック・スローダウン)」という主張に影響され、それまでソフトウェア中心だったYCの投資方針を、ディープテックやハードテックに拡大する。投資したいリストの一番上に核エネルギー、2番目にAIを置いた。
このAIに注力しようと決めたのは、DeepMindに影響されたからである。Googleが買収したタイミングで、DeepMindに投資していたピーター・ティールと議論し、サムは「AIってすごいんだ」と気づく。この頃にエッセイを書き、「潜在的な影響に比べて、十分な数の賢い人々がAIという分野に取り組んでいるようには見えない」と述べている。早い段階からAIに対するチャンスの匂いを嗅ぎ取っていたのである。
まとめ
このエピソードがリスナーに残すのは、サム・アルトマンという人物の「不思議な魅力」と「成功の本質」である。彼はLooptという1社目で大きな成功を収めたわけではない。にもかかわらず、ポール・グレアムやピーター・ティールといったシリコンバレーの巨人たちは、彼が無名の若者だった頃から「こいつは違う」と見抜き、次々とパトロンになった。その理由は、幼少期から発揮された圧倒的な知性、勝利への執着、そして誰にも怯まない自信にある。スティーブ・ジョブズにだけはビビったというエピソードが、逆に彼の人間らしさを感じさせる。また、Stripeへの150万円の投資が1000億円になった「運の良さ」も、単なる偶然ではなく、常にチャンスの匂いを嗅ぎ分け、適切な場所に身を置く能力の証左と言える。OpenAI設立前夜までの物語は、後に世界を変える男の「準備期間」として、非常に示唆に富んでいる。
要点
- サム・アルトマンは2歳でビデオテープを自分で再生し、3歳で抽象的概念を理解するなど、幼少期から天才的な資質を示していた。
- 8歳でMacを与えられBASICを学び、小学生にして「いつかコンピューターが自分で考えるようになる」とAIを妄想していた。
- 19歳で位置情報SNS「Loopt」を創業し、Yコンビネーター第1期に合格。ポール・グレアムは「ビル・ゲイツが19歳の頃はこんな感じだった」と絶賛した。
- スプリントとの契約では、アポなしでオフィスに乗り込み、あぐらをかいて説得するなど、圧倒的な粘り強さと交渉力を発揮した。
- スティーブ・ジョブズからは「Weak」と酷評された後、「Cool」と評価され、WWDC登壇を果たす。ジョブズだけがサムをビビらせた唯一の人物だった。
- LooptはFacebookからの150億円の買収提案を断ったが、最終的に40億円でアクハイアされ、CEO解任騒動も経験した。
- ポール・グレアムの家で偶然Stripeに150万円を投資し、後に1000億円以上に膨らんだ。これがサムの財産形成の最大の源泉となった。
- ポール・グレアムとピーター・ティールという2人の「パトロン」に、成功する前から異常なほど評価されていたことが、サム・アルトマンの最大の謎であり強みである。