
#283 瞬く間に with Joe Stone
- 2010年8月、当時25歳だったジョー・ストーンは、ミズーラのマウント・ジャンボでスピードフライングの練習中に墜落し、C7の burst fracture(破裂骨折)を含...
- [0:00] エピソードの導入とサッド・スペンサーからの電話 ギャビン・マクラーグは冒頭、前夜にサッド・スペンサーから突然電話を受けたことを明かす。サッドは過去に2度この...
- ジョーは冒頭で、このポッドキャストを長年聴いてきたリスナーであり、特にバンライフで2年間フルタイムで旅をしていた時期に、フライトサイトと天気の合間によく聴いていたと述べる...
Cloudbase Mayhem Podcast / Gavin McClurg
2010年8月、当時25歳だったジョー・ストーンは、ミズーラのマウント・ジャンボでスピードフライングの練習中に墜落し、C7の burst fracture(破裂骨折)を含む8本の脊椎骨折、4本の肋骨骨折、肝臓裂傷、心臓と肺の打撲という重傷を負った。約1か月の誘発性昏睡の間に心停止を2回経験し、目覚めたときにはC7四肢麻痺(不全麻痺)と診断されていた。このエピソードは、ホストのギャビン・マクラーグが、共通の友人サッド・スペンサーの紹介でジョーを招き、事故からリハビリ、そして「感謝」に至るまでの過程を、ジョー自身の言葉で長時間じっくり語り合う内容になっている。会話は率直で時に重く、しかし随所にユーモアと自己批判が混ざり、単なる事故談ではなく「情熱を失った人間がどうやって前に進むか」という普遍的な問いを軸に展開する。
エピソードの導入とサッド・スペンサーからの電話
ギャビン・マクラーグは冒頭、前夜にサッド・スペンサーから突然電話を受けたことを明かす。サッドは過去に2度このポッドキャストに出演しており、2度目の出演では自身のトーイング事故について語った人物だ。サッドは「ジョー・ストーンという男を絶対に出演させるべきだ。信じられない話だ」と言い、ギャビンは話の途中で「待って、待って、それは本人と録音したい」と遮ったという。ギャビンはジョーの話を「鼓舞するものであり、同時に過酷で、驚くべきもの」と位置づけ、「まばたきする間に何が起こり得るか」というテーマを提示する。この導入は、聴衆に対して「覚悟して聞いてほしい」というトーンを最初に設定する役割を果たしている。
ジョーは冒頭で、このポッドキャストを長年聴いてきたリスナーであり、特にバンライフで2年間フルタイムで旅をしていた時期に、フライトサイトと天気の合間によく聴いていたと述べる。これにより、ホストとゲストの間に以前からの親近感があることが示される。ギャビンは「通常はもう少し雑談してから始めるが、今回はサッドの話を聞いてすぐに録音したかった」と説明し、このエピソードが意図的に即興性を保っていることを強調する。
スピードフライングとの出会いと2010年当時の環境
ジョーは2010年当時のスピードフライングの状況を説明する。当時はスピードフライングのライセンス制度が存在せず、パラグライダーのP2ライセンスを取得してからスピードフライヤーになるという流れだった。機材も現在とは大きく異なり、16年で技術は大きく進歩したと述べる。事故当時25歳だったことについて、ジョーは「若すぎる年齢で始めるのは危険だった」と振り返り、若者は知識不足のまま無謀になりがちだと自己分析する。ギャビンも「自分は36歳で始めたから脳が生き残った」と応じ、若年層には別レベルの指導が必要だという点で二人の意見が一致する。
ジョーの飛行歴はスカイダイビングから始まる。2007年にミネアポリス郊外でスカイダイビングを開始したが、本人は「自分をスカイダイバーとは思ったことがない」と語る。目的はあくまでBASEジャンプであり、スカイダイビングはそのための通過点だった。ジョーはローラーブレード(インラインスケート)に打ち込んだ少年時代を持ち、「変わり者だった」と自嘲気味に語る。プロのローラーブレーダーを目指すには体を壊しすぎること、一生続けられるスポーツではないことを悟り、21歳頃に転機を迎えた。子供の頃にナショナルジオグラフィックで見たBASEジャンプが頭から離れず、都市環境で育ったスケーターとして「建物から飛び降りる」という発想に惹かれたという。建物に忍び込み、鍵を壊さず、誰にも気づかれずに飛ぶという倫理観にも言及している。
2009年、ジョーは山とアウトドアに囲まれてBASEジャンプの夢を追うためミズーラへ移住した。大学に通っていたわけではなく、「できるだけ働かず、できるだけ遊ぶ」生活を選んだ。不動産管理会社で働き、上司から「午後2時に来ても午前2時に来てもいい、朝礼に出て仕事を終わらせればいい」と言われたことで、日中は外で飛ぶために深夜に壁を塗るような生活を送っていた。しかしミズーラではスカイダイビングの機会がインターネットで見たほど多くなく、月に数回のクラブジャンプか、北モンタナまで車で行くしかなかった。そこでパラグライダーを始める人々に気づき、マウント・センティネルにハイキングした際に初めてパラグライダーを目撃する。当時ミズーラでスピードフライングをしていたのはジョーともう一人だけで、他のパラグライダーパイロットたちを「年を取ってからやるスローペースなもの」と見下していたと正直に認めている。
独学と過信が招いた事故の経緯
ジョーはスピードフライングに急速にのめり込み、週に5〜6日、マウント・ジャンボを1日3〜6回ハイキングしては飛ぶ生活を送った。エンデュランススポーツの習慣から「1日に何回登れるか、何フィート登れるか」を競うように飛んでいたという。しかしそのほとんどがソロフライトで、指導もメンタリングも受けていなかった。パラグライダーのレッスンは約15回受け、サインオフされて「親指を立てて楽しめ」と言われただけだったと振り返る。ジョーは「若いときはそれで十分だと思ってしまう。チェックボックスを埋めて金を払ったから準備万端だと」と語り、これが大きな誤りだったと認める。
ジョーはローラーブレード時代の「もっと難しいトリックを、もっと激しく」というメンタルセットがフライトに持ち込まれたと分析する。同じラインを飛んだら次はもっと近くを飛ぶ、毎回のフライトがより激しくならなければならないという感覚で、ゆっくり進んで吸収するという考えがなかった。ギャビンはこれをウィングスーツのジレンマと重ね、「最初のジャンプの高揚感を超えるには、より地形に近づくしかない」と指摘する。ジョーはこれに同意し、マウント・ジャンボのラインを一通り飛び終え、岩を蹴るようなことも経験した後、YouTubeで見たバレルロールに手を出したと説明する。「彼らはただ紐を引いているだけに見えた」と語り、1〜2週間はうまくいっていたが、自分が犯している誤りに気づいていなかったという。
2010年8月13日(エピソードの説明では8月10日とされているが、ジョー本人は13日と述べている)、ジョーはその日4回目のフライトでバレルロールに入り、翼の一部が潰れてラインが絡まり、数百フィートからスパイラル状に落下した。山の下り斜面ではなく上り斜面に激突し、時速約40マイル(約64km/h)からの急停止だったと推測される。ジョー自身は事故の記憶がなく、目撃者の証言に基づく話だという。幸運だったのは、約100ヤード離れた場所にハイカーが2人いたことだ。そのうちの1人ウィリアムは訓練を受けたEMT(救急救命士)で、緊急サービスを要請し、ライフフライトのヘリコプターを手配した。ジョーは「フルフェイスのヘルメットを着けたまま、ウィリアムが頭と首を安定させ、友人がゆっくりヘルメットを外し、口の中の血と折れた歯を取り除いてくれた」と説明する。救急隊は1時間以内にジョーをヘリに収容した。
1か月の昏睡と目覚めた後の現実
ジョーは病院に「重篤な状態」で搬送された。4本の肋骨骨折、肝臓の裂傷、肺の損傷、心臓の打撲、そしてC5・C6・C7、T3・T4・T7、L1・L2の8本の脊椎骨折という診断だった。C7には破裂骨折があり、C7四肢麻痺(不全麻痺)と診断される。胸部から下が麻痺し、腕の機能は保たれているが、左手には握力がなく、右手もある程度回復したものの完全ではない。当初は触られるたびに心拍数が極端に上下したため、誘発性昏睡に置かれた。当初「数日」と言われた昏睡は1週間、2週間、そしてほぼ1か月に及んだ。その間、心臓が2回完全に停止し、コードブルー(緊急蘇生)が発生した。1回は母親が病室にいたときに起きたという。ジョーは「トラウマは本人だけでなく、周囲の最も近い人々にも波及する」と語る。
ジョーの家族はミネソタ北部でキャンプ中だった。父親が電波の届く唯一の場所で携帯を確認したところ、ミズーラの番号から20件の不在着信があった。病院から「生きるかどうか」と問われ、「できるだけ早く来てください」と言われたという。ジョーは「自分は昏睡状態で楽だった。家族の方が飛行機に乗り、空港で待ち、息子が1か月も昏睡状態にあるのを見守る方がはるかに辛かったはずだ」と述べる。ジョーには2歳上の姉が2人いる。
目覚めた後、ジョーは薬の影響で激しい幻覚に苦しんだ。最も初期の記憶の一つは、夜の病室で、左右に体重を移動させるエアマットレスの動きを飛行機の旋回と勘違いし、「ミズーラはアスリートを大切にする街だ。4000フィートの高度で癒しのために旋回させてくれている」と思い込んでいたという。最初の明確な記憶は、町で唯一のもう一人のスピードフライヤーでありERナースでもある人物が病室を訪ね、「スピードフライングで墜落したんだ」と告げたことだ。ジョーはその瞬間、自分が無謀に飛んでいたことを自覚していたため、強い罪悪感に襲われたと語る。「いつか『よく生き残ったな』と語る物語になると思っていた。そんな愚かな考え方だった」と振り返る。
ジョーはローラーブレードへの情熱を失った後のアイデンティティ危機についても語る。何かに情熱を持った人間がそれを失うと、それ自体がアイデンティティの危機になる。ジョーはスピードフライングを見つけたとき「人生で二度目の情熱を得た」と感じたという。それだけに、事故は「すべてを無駄にした」という罪悪感と結びついた。「明日ヒーローになりたかった。そのために進みすぎた。それは自覚していた」と述べる。目覚めて3日後、ジョーはライフフライトのジェットでミネソタへ搬送された。より大きな病院、より多くのリソースがある場所へ移るのは理にかなっていた。最初の1週間は人工呼吸器から一生離れられない可能性も示唆され、肺の状態は悪く、自力で食事も飲み込みもできず、座ることもできなかった(長時間寝たきりだったため、座ると失神した)。まず呼吸と嚥下を学び直す必要があり、それが約1か月かかった。
ギャビンが「なぜ死ななかったのかと思ったことはあるか」と率直に問うと、ジョーは「100パーセントある」と答える。ただし自殺願望ではなく、「この状態が一生続くなら、何のために生きているのか」という問いだったという。25歳で一生介護施設で過ごすかもしれないという現実が、未来を見えなくしていた。ジョーは「病院はすぐに『あなたはうつ病だ、抗うつ剤を出そう』と言う」と述べ、これに反発したことを明かす。以前は薬物に頼らない生活を選んでおり、痛み止めは必要だったが抗うつ剤は拒否した。「今感じていることをすべて感じなければ回復できない。薬で曇らせたくない。耐えられなくなったら言う」と主張し、話すこともままならない状態で唇を読ませながら議論したという。その後、気管切開の穴を塞いでかすかな声が出せるようになり、自己主張できるようになった。
リハビリと「マーダーボール」との出会い
ジョーは呼吸と嚥下を学び直した後、ミネソタのカレッジ・ケニー・リハビリテーションセンターで9週間の入院リハビリ(理学療法、作業療法、レクリエーション療法)を受けた。病院での期間は合計4か月余りだった。ジョーは脊髄損傷者の多くが「自分は歩けるようになる特別な一人だ」と考えると説明する。ジョー自身も感覚が完全には失われておらず、骨の破片が脊髄を圧迫しただけで切断はされていなかったため、毎晩ベッドで脚を動かそう、つま先を動かそうと集中していたという。しかし多くの人がこの段階で長く足踏みしてしまうとも指摘する。
転機は退院の約2週間前、車椅子での運転方法を教えるクラスでのことだった。ジョーは電動車椅子の四肢麻痺者がバンのランプを上がり、運転席に移り、左手でハンドコントロールに触れる映像を見た。その手はジョーの萎縮した左手と瓜二つだった。ジョーは「これが残りの人生だ」と悟り、感情のダンプトラックに轢かれたような衝撃を受けたという。その場では崩れまいと必死に耐え、病室に戻ってから人生で最も激しく泣いたと語る。「希望を持つことと、これが100パーセント現実だと受け入れることは別物だ」と述べる。
同じ夜、看護師が『マーダーボール(Murderball)』というドキュメンタリーを持ってきた。四肢麻痺者のラグビー競技を追った作品で、2008年パラリンピック(ジョーは「おそらく」と留保)に向かうアメリカ代表チームを描いている。単なるスポーツ映画ではなく、選手たちの生活、恋愛、着替えの方法などをストーリーテリングとして見せる内容だった。ジョーはそれ以前、毎晩『リバー・ランズ・スルー・イット(A River Runs Through It)』を見ていた。ミズーラを舞台にしたフライフィッシングの映画で、「冷たい川の水を素足で感じたい」という願望に浸っていた。つまり過去に焦点を当てた映画を繰り返し見ていたのが、『マーダーボール』に切り替わったことは「前を向く」への美しい移行だったとジョーは表現する。初夜は泣き通しだったが、翌朝には大きな重みが下りたように感じ、「彼らがあれだけ努力しているなら自分もできる」と思った。翌日からは映画を「教材」として見るようになり、車椅子の押し方、食事の仕方、着替え方、体の動かし方を研究し、それを夜に視覚化して翌日の理学療法で実践した。ジョーはこの切り替えが「ただ流れ作業的にやるのではなく、本当に努力する」ことにつながったと語る。
助けを求めることへの罪悪感と自立の葛藤
ギャビンは、西洋社会が「助けを求めること」「助けを必要とすること」を苦手としていると指摘する。自身の83歳の母親が「子供たちの負担になりたくない」と言い、葬儀や火葬の手配まで自分で済ませようとしている例を挙げ、「あなたは私たちのためにやってくれたのだから、今度は私たちにやらせてほしい」と言っても聞かないと語る。多くの文化では年長者の世話が当然のこととして行われるが、アメリカ社会は独立を誇りとする傾向があるとギャビンは述べる。そして「自分がジョーの立場だったら、人に世話をしてもらわなければならないことへの罪悪感はどれほど大きいか」と問いかける。
ジョーは「それは非常に大きな部分を占める。複数の意味で」と答える。ここで音声は有料のサブスクライバー向けチャンネルへ誘導する案内で途切れるが、ジョーが罪悪感と自立の葛藤について語り始めたところで無料版は終了する。ギャビンはサブスクリプションチャンネルの案内をし、広告は一切入れない方針、経済的に厳しい人にはメールすれば無料でライフタイムアカウントを発行すると説明している。
まとめ
このエピソードは、スピードフライングの事故から四肢麻痺を負ったジョー・ストーンが、1か月の昏睡、心停止2回、呼吸と嚥下の再学習、そして「歩けるかもしれない」という希望が打ち砕かれる瞬間を経て、いかにして前を向く力を得たかを、本人の言葉で丁寧に追う。特に印象的なのは、ジョーが自分の事故を「不運」ではなく「無謀さの結果」として率直に認めている点だ。若さゆえの過信、独学、指導者不在、そして「明日ヒーローになりたい」という焦りが事故につながったと本人が明確に語る。同時に、『マーダーボール』との出会いが「過去を見つめること」から「前を見ること」への転換点となったという話は、リハビリの技術論を超えて、人間が絶望からどうやって意味を見出すかという普遍的な問いに触れている。聴き手に残るのは、事故の悲惨さよりも、ジョーが「すべてを感じる」ことを選び、抗うつ剤を拒み、自ら学び、努力する姿勢を選び取ったという事実だ。ギャビンが途中で「なぜ死ななかったと思ったか」と踏み込む場面も、この対話の率直さを象徴している。
要点
- 2010年8月、25歳のジョー・ストーンはミズーラのマウント・ジャンボでスピードフライング中にバレルロールで翼が潰れ、時速約40マイルで山の上り斜面に激突した。
- 事故によりC5・C6・C7、T3・T4・T7、L1・L2の8本の脊椎骨折、4本の肋骨骨折、肝臓裂傷、心臓と肺の打撲を負い、C7四肢麻痺(不全麻痺)と診断された。
- 約1か月の誘発性昏睡の間に心臓が2回停止し、家族はミネソタから緊急搬送された。ジョー自身は事故の記憶がない。
- 目覚後は幻覚に苦しみ、呼吸と嚥下の再学習に約1か月、カレッジ・ケニーでの入院リハビリに9週間を要した。
- ジョーは事故を「不運」ではなく、若さゆえの過信、独学、指導者不在、進みすぎたことによる結果だと率直に認めている。
- 退院約2週間前、車椅子運転クラスで自分の左手と四肢麻痺者の手が同じだと気づき、これが残りの人生だと受け入れて号泣した。
- 同じ夜に見たドキュメンタリー『マーダーボール』が転機となり、過去を懐かしむ『リバー・ランズ・スルー・イット』から、前を向き努力する姿勢へと移行した。
- ジョーは抗うつ剤を拒み、「今感じていることをすべて感じなければ回復できない」と主張して自己主張できるようになるまで唇を読ませながら議論した。